第5話 前門の虎 後門の狼

 こういうとき、本当に制服があってよかったと思う。

 毎朝これじゃ身がもたない。


「ん~~~~~、なんていうか、根こそぎダサいなぁ!」


 鏡ごしに目を合わせるおれと姉。

 別所行美いくみ


「そんなことないだろ。こんなもんだって」

「弟よ~、おまえはわかっていないのじゃ~」ぽんぽんとおれの頭をソフトにたたく。「姉君あねぎみは悲しいぞよ?」

「具体的にどこがいけなかったんだよ」

「そうだなー、とりあえずそのこげ茶のズボンはやめなって。オッサンくさいから」

「はあ……もっかい着替え直してくる」


 と姉の部屋を出ていくが、もうあまり時間がない。

 クローゼットをあけた。

 

(ちょっと身だしなみを見てもらうだけだったのに……)


 こまったもんだ。

 自分はネズミ色のパーカーつきスウェットの上下のくせに、人の服にダメだしばっかりして。

 ――やむをえない。

 この服装だけは避けたかったんだが、


「おー! いいじゃん! それそれ!」


 姉のOKをとれて、やっと家を出れた。

 本日10月4日土曜日、天気は快晴。


 絶好のデート日和だ。



「あっ。おーい」



 駅前の人だかりで彼女をさがしていると、うしろから声をかけられた。

 ここから先は、脳内でスローモーション。


 足元。

 黒いクツから、 

 ちょっと足がみえて、

 赤系チェックのロングスカートがあって、

 うすいピンクのえりつきシャツの上から、

 羽織ったクリーム色のニット。


 そして口をきゅっとしめたままほほ笑む。


小原おはら……さん」


 昨日はじめて口をきいた女の子――むこうはおれの名前すら忘れていた――とデート。

 どんな奇跡が起こってるんだ?


「うん、おたがい時間どおりだね。じゃあ行こっか。映画館、すぐそこだから」

「ん」


 とみじかいハミングで返事。

 てか、緊張で口がうまくあけられなかった。

 歩きながら彼女はいう。


「別所くんって、オシャレだったんだね」

「これ?」


 着ている服のえりを、自分でひっぱる。

 本当は、これじゃない服がよかった。


(思い出すんだよな。あいつとの最後のデートを……)


「どうかした?」

「え? いやべつに」

「今日は手ぶら?」

「ああ、まあ」

「いいなぁー。男子って楽だよね」肩にかけたポーチを引き寄せて、そこに手のひらをあてる。「うらやましいよ」

 なんとなく、直感で「そこに何が入ってるの?」という問いかけはしちゃダメだと思った。

 それより話題をかえよう。


「なんの映画みるんだっけ?」

「むかしの映画でね、こんど文化祭でそのダイジェストみたいなヤツをやるんだけど」


 きけばリバイバル上映というものらしい。

 むかしもむかし、かなり古い映画だ。さすがに白黒じゃないみたいだが。

 

(いつでも「いかないで」を忘れるなよ)


 そう自分にいいきかす。


「か、かわいいね」

「またまた」ぱん、とやさしく肩をたたかれた。「ムリしなくていーよ。それに私、お世辞とか好きじゃないからさ」

「いや、かわいいって!」


 つい声がデカくなって、まわりに注目された。

 バツがわるくなり、すこし歩くスピードをおとす。

 手前の青信号が点滅してる。

 無理してわたらずに、おれと彼女は横断歩道の手前でとまる。

 ポケットティッシュをくばっている人が近づいてきて、ひとつそれを受け取った。 


「おもしろ。キミ、いーね」

「えっ」

「意地になって言うようなことじゃないじゃん」

「まあ……たしかに」

 

 そこから話しやすい空気になって、おれたちはナチュラルに会話できた。


 彼女は、小原さくら

 セミロングの髪ですらっとした体つきの女の子。

 

 主人公の女の人と名前が同じだからという理由で、文化祭の劇の主役にバッテキされたらしい。


 クラスだと、目立つグループとそうじゃないグループの中間ぐらいにいて、ときどきどっちにも加わるみたいなそんな女の子だ。コミュ力は高いと思う。


「今日が最終日なんだって。前から見よう見ようと思ってたんだけど、ふんぎりがつかなくてさ。一人で映画館に行くのがなんかね……でも今日、別所くんがつきあってくれてよかったよ。ほんとありがとー」

「役に立てたなら、うれしいよ」


 チケットを買って、余裕をもって上映10分前で席についた。

 観客席のイスはたがいちがいというか、列ごとに横にずらしている配置だった。これなら前に背の高い人がいてもスクリーンが見えないってことはないだろう。


(どんな人がるんだ?)


 ふと気になった。

 そのとき、


 おれはそこに焦点を合わせた。

 前の列のイスとイスの間から、まるでそこから生えているかのように生々しい、きれいな三つ編みの髪に。


(ふ―――深森ふかもりさんなのか⁉) 


 そんなはずは……と、おれは腰を浮かしてこっそり盗み見る。

 メガネのフレームの色と合わせたかのような、黒ずくめのコーデ。魔女っぽいたたずまい。


 人ちがいではない。

 確実に本人だ。

 同じクラスの、おれが一ヶ月後の世界からもどってきたことを知ってる、ただ一人の女の子。


「どうしたの、立ったり座ったりして」

「ん? いや、まあ」

「トイレは大丈夫?」


「どうして?」ってたずねると、彼女は上映時間が3時間半ちかくあるからという。

 じゃ一応、いっておくか。


 よっと立ち上がると、



 がささっ



 と視界の一部が大きく動いた。

 うしろの席の人。見た感じ、同い年ぐらいの女の子のようだけど……


(なんで手で顔をかくしてるんだ?)


 頭からパーカーをかぶって、おれから顔をそむけているような体勢。

 しかし、ほんのわずかにチラ見えしてる部分だけで、すぐに誰だかわかってしまった。

 判断にまよう。


(……はたして声をかけたほうがいいのか、気づかぬフリをしてやったほうがいいのか)


 トイレに行って、帰ってきたときも、不自然に顔面を両手ガードしていたあいつ。

 逆にそれ、もう本人だと白状してるようなもんだろ。


(なんのつもりだよ、モア)


 とにかく、こんな状況では口数がへらざるをえない。

 スパイされてて楽しくおしゃべりなんかできない。


 映画がはじまった。

 あっというまに終わった―――のは、途中でまるっと眠りこけてたからだ。

 ラストの手前でちょうど目がさめた。



 いかないで



 と、英語で主演の女の人が言ってた。

 経過はわからないけど、すごくいいシーンだった。あれだけでチケットのモトはとれた。



「……」



 照明がついて明るくなって、深森さんが無言で席を立った。

 うしろの席にいるおれのほうを見るそぶりはない。

 もしかしてたんなる偶然だったのか?

 思えば、モアはともかく、深森さんにはおれの動向をチェックする理由はないし。 

 ずいぶん早歩きで出ていったけど、そのとき、


(目元をハンカチでおさえてたな)


 メガネをはずしてそうしてたのが意外だった。

 結局、一度もふりかえらずに深森さんはドアの向こうに姿を消した。

 

「つかれたねー。あー、お尻いたっ」おれが立ったままなのに気づいて、首をかしげる。「ん? 外にでないの?」

「ちょっと……映画の余韻よいんがあって」と、口からでまかせを言う。

「お手洗い、いってきてもいいかな?」


 もちろん、と返事する。

 そして小原さんもドアの向こうへ。


 さあ――やっとこれであいつに話しかけることが―――


 カッ、とおれはするどく視線を移動させて、うしろの席をみた。


「も……」


 言いかけたとき、寝息のような音が。

 うそだろ?

 デートの尾行がバレて観念しているのかと思いきや、


(寝てるのかよ‼)


 って、おれも人のことは言えないが。

 かぶっていたパーカーは、もう下ろしていた。

 ハーフパンツから伸びるぴたっとそろえた両足。

 背もたれにもたれた上半身。

 同じように成長してきた、おれの幼なじみの萌愛をまじまじとみつめる。


 寝顔のその目元。


 ここでもなぜか、スローモーションになった。

 つー……と、ゆっくり流れ落ちたんだ。きらきら小さい光を反射させながら。


 涙が。


(それは――映画で感動したからか? それとも、なにか泣くような夢でもみてんのか?)


 おれはポケットから、道端でもらったヤツを一枚とりだした。

 吸わせるように涙のつぶにあてて、その通り道をふいてやる。

 こんな形でティッシュが役に立つとはな。


「おい、起きろってモア」

「……」


 反応がない。

 すこし肩をゆすってみる。

 ――と、ゆすられるのをイヤがるように、おれの手をつかんできた。

 そのまま、ぎゅっ、とにぎる。

 萌愛の両目は、まだつむったままだ。


「…………コウちゃん、どこにも行か―――」

「えっ」

「……」

「モア?」


 いきなりパチッと目をさました。

 同時に、あわてたようなそぶりでおれの手から手をはなす。


「ふ、ふわぁぁぁ……っと、あ、あー、たっぷり寝たなー」

「やっと起きたのか。とっくに映画は終わってるぞ」

「そっか」


 ゆっくり座席から立ち上がった萌愛。

 なにも映ってないスクリーンをみながら言う。


「コウちゃんさぁ、いつからこういう映画の趣味になったわけ?」

「べつに」

「べっしょ」

「それはおれの名前な」


 いつものやりとりにクスリともしないこいつと外に出た。 


「あれっ? なんでサトちゃんが?」


 合流した小原さんは、さすがにおどろいた。

 でもすぐ、


「せっかくだから三人で遊ぼうか」


 と提案してくれたんだ。

 そのあとファミレスで食事して、ボウリングにいって、夕方に駅前で小原さんとわかれた。


 帰りがけの道で、


「なあモア。あのとき、おまえじつは起きてたんじゃないのか?」


 とおれは何気なくたずねた。

 ほんとに何気なく。なんの狙いもなく。



「はぁ!!?? ばっ、バカいわないでよ。そんなわけ……ないじゃん……」



 萌愛はすかさず否定した。


 しかし、ずいぶんあとの寝る前になっておれはこんな疑問がわいた。


 ――どうしてあいつは「あのとき」がいつのことか、すぐわかったんだ?

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