陸番線 特急碇星定着
時の流れは早いもので今日は4月7日、研修日の前日だ。
こんな日は家で明日の準備をするか、ゆっくりしていたかったが學園はそうさせてくれないようだ。
上野駅入谷口前のコンコースで柱を背にして翼を待つ。
俺は入学式でもないのに緊張からか予定の時間より20分ほど早く上野駅に着いた。
今日は上野駅の隣に新設された
テレテテテレテンテッテッテー
聞いていた曲を遮り着信音が鳴る。
「もしもし、どうした翼 」
「あっ大和、ごめん5分くらい遅れちゃいそう」
駅にいるのだろうか、人のざわめく声や列車のジョイント音が翼の声を遮るように主張してくる。
「分かった、着いたら電話してくれ焦らないでゆっくりな 」
そう伝えると翼は耳元で囁くように言った。
「うん、それじゃ後でね 」
イヤホンから聞こえてくるその声は最近流行りのASMRのようだった。
ふと在来線ホームに続く階段が並ぶコンコースを見ると何人かの学生が上野新ビルに続く出口に向かって歩いていた。
俺と同じで緊張しているのかはたまた楽しみで早く来てしまったのか。何だか不思議と親近感が湧いていた。
携帯をつけると時刻は九時二十分、翼が来るまであと十五分。結構微妙な時間だな。
だがここで携帯をいじっているのもなんか落ち着かない。
「ちょっと行ってみるか 」
入谷口付近のカフェや本屋がある方向に進みさらに右に進んでエレベーターで13番ホームに向かう。
上野駅地上ホームには北海道や青森などの東北方面から来る寝台特急が停車するホームがある、朝の時間帯は車両がひっきりなしにやってきてとても賑やかでみていて飽きない。
流石は東北の玄関口だ。
特に13番線は格式の高い寝台特急が止まり雰囲気も格別だ。
《まもなく13番線に寝台特急碇星が参りますり》
ガタンガタンガタン
三軸ボギー連接台車の独特なジョイント音を刻みながらぶどう一号に包まれた巨体に白色の一等ラインがピシッと決まった大きいながらも優雅な車両がテールライトをつけて入線してきた。
12両編成の長い列車は徐々にスピードを落とし車止めのあるこちらに近づいてくる。
13番ホームには専用の制服を着たアテンダントさんたちが乗降位置に敷かれた赤いカーペットの左右に姿勢良く立っている。
老若男女の精鋭なのだろう、襟、胸元のハンカチ、ネクタイが全く曲がっていない。
キィィーー
車両は赤いカーペットから一ミリもずれることなく停車した。
碇星は、札幌駅から一晩かけて朝九時二十五分上野駅に到着する。
1930年に日本全土が改軌されて標準軌になった時から鉄道は高速化の道を進み速達性が重視された。
だが鉄道でゆっくりと旅行をしたいと思う人がいたのだろう。
俺もその1人だが。
1933年に上野から青森方面へ向かう豪華寝台特急「碇星」が誕生した。
近年は速達性が最も重視されて旅をゆっくりと楽しむということが昔よりも少なくなった。
そこで鐵道省は北海道新幹線開通後も旅を楽しむために乗る車両として碇星の運転を続行。
車両もいくつか新造されたが半世紀以上前から使われていたマイテネ58を含む12両を丸ごと近代改装した。
とは言っても内装は改装前とほとんど一緒でベッドがさらにフカフカになり、シャワーなどが新しくなったくらいだ。
全個室寝台という豪華さもありかなり人気は高いようだ。値段の一番高い後尾車両のスイートは約12万円と富士の一等寝台より高い。
もっぱら乗っているのは省庁幹部や政治家で一般客はあまり乗らないそうだ。
12番線あたりから車両を見ていると車内の乗客が降車準備をしているのかキャリーケースに服などを丁寧に入れていた。
スイートはカーテンで締め切っていた中は見えなかった。
どんな人が乗ってるのかちょっと気になっていたので少し残念だが駅の一番目立つ場所でカーテンを開けないという判断は妥当だ。
個室の乗客は黒や紺色のスーツに身を包み威圧感を放っている。
いかにも幹部っぽい顔だな。
「ん?」
視線を感じ二階の客室を見てみると中にいた黒いスーツを着た男性が俺の方を不思議そうにみていた。
やばい、変な人だと思われたか?
男性はキャリーケースに荷物を入れていた最中だったようで右手に分厚い本を持っていた。
俺はどうすればいいか分からなかったので、とりあえず軽く会釈をした。
すると先ほどまで不思議そうにみていた乗客も顔つきが優しくなりまたキャリーケースに荷物を入れ始めた。
「そろそろ時間だな 」
時計を見ると時刻は、午前九時三十二分を指していた。あと三分しかないがここから入谷口はそこまで遠くないから間に合うだろう。
13番ホームに背を向け歩き出したそのとき。
ポヨンッ
えっなに!
俺はぶつかった衝撃でバランスを崩したが倒れはしなかった。全くこんなに広いホームで人にぶつかることあるのかよ。
「すっ、すみません 」
女性の声?
再び13番線の方向を見ると制服を着た女の子が倒れていた。衝撃で尻餅を着き長い黒髪が乱れていた。
「だっだっ大丈夫ですか?」
どうすればいいか分からなかったがとりあえず腕を差し出してこの人を引っ張った。
立ち上がるとスカートをパパッと直し、艶やかな黒髪を整えるともう一度俺に頭を下げた。
「本当にすみませんでした 」
「いやいや、大丈夫ですよ。俺もボートしてましたし倒れませんでしたから。それより尻餅をついてましたが大丈夫ですか? 」
「そう言っていただけるとありがたいです 」
彼女は頭を上げ微笑んだ。
顔は可愛さと大和撫子がいい感じで混ざった感じで腰まである艶やかな黒髪は動くたびにやんわりと揺れていた。
655系に使われている漆色みたいな高貴な色の制服はこの人のために作られたと言われても納得できるくらい似合っていた。
デニールくらいのストッキングがムチッとした足をピッタリと包んでいた。
それに控えめに言って胸がでかい。だがその大きさは服の犠牲の上で成り立っているようでブレザーの第二ボタンは飛ぶ寸前だ。
そして瞳は透き通った空色で思わず見入ってしまうほど綺麗だった。
「あっあの何か顔についてますか? 」
「いっいえ、その何でも 」
まずい会話が続かない。
たまたまぶつかった女の子になにをこんなに戸惑っているんだ、落ち着け俺。
《まもなく12番線に列車がまいります。危ないですので黄色い線の内側でお待ち下さい 》
無機質な機械音声が鐵道省113系が入線してきた。
だがこのアナウンスの間で俺はこの後どうするかを考える時間を作ることができた。
この時間帯に駅にいる制服の少女、おそらく多分俺と行く場所は同じだろう。
「あの、もしかして中央鐡道學え...... 」
プシュー
113系の鋼鉄製ドアが開く音が俺の声を遮ったそのとき。
タッタッタッ
「おりゃーー! 」
突然1人の少女が俺に向かって走ってくる。
ドン!
「痛ってぇ! 」
俺は背中に重い一撃を受けて倒れる。
咄嗟に腕が出たため怪我はしなかったが驚きで心臓がバクバクだ。
後ろを振り返ると髪の毛を頭頂部付近で二つに結ったいわゆるツインテールの少女が俺を睨みながら立っていた。
「何すんだ! 」
いきなり蹴るとどうなってんだこいつは!
「全く、朝っぱらからガールハントとか何考えてるのよ 」
は?
なんだ、ガールハントって。
「何言ってんだ、俺はただ......」
「大丈夫、何もされてない? 」
その少女は心配そうにもう1人の黒髪の子に言う。
「は、はい大丈夫です 」
当たり前だ何もしてないんだから。
「ほらな何もしてないだろう 」
俺はそれ見たことかと言い放つ。
「それは良かった。ねぇ、あなたもしかして...... 」
ああ、もう話聞いてないな。
ツインテールと黒髪美人の少女は話しながら改札に向かってしまった。
数歩歩いて黒髪の子はこちらを見て軽く頭を下げていたがもう片方はまたこちらを睨んだ。
「はあ、全く何なんだあいつは 」
俺はただ話をしてただけなのに。
心臓の鼓動も静かになり、「ふぅっ 」と息を吸い立ち上がる。
ツインテールも制服を着ていたがまさかプログラム参加者じゃないよな?
ああいうのは間違えなく問題を喜んで持ってくるタイプだ、絶対に関わりたくない。
服を軽く叩いて汚れを落として入谷口に向かう。
トントン
「すみません。少しよろしいでしょうか?」
え?誰だ?
俺はその聞き覚えのない声に違和感を覚えたがとりあえず振り返る。
「何でしょうか? 」
そこにはさっき俺のことを不思議そうに眺めていた眼鏡をかけた黒いスーツを着た男性だった。
スラッとした長い足にピッタリ決まった黒いスーツそしていかにもインテリのような縁のないメガネ。間違えない多分偉い人だ。
「えっと…どうされました?」
と少しカタコトになりながら聞く。
「あなた省大プログラムの参加者ですよね?」
なんで分かるんだ?エスパーか何かなのか?
俺がそれについて聞こうとする間も無く。
「会議室に着いたらこのパスケースを長い黒髪の女性に渡していただきたいのですが、お願いできますでしょうか?」
と丁寧な口調で言われた。
「あの、それだけだと誰か分からないのですが...... 」
そう聞くと男性はクスッと笑った。
「おや、先程何やら話をしていたのでてっきりお知り合いなのかと 」
長い黒髪ってまさかさっきの人か?
「思い出していただけましたか? それではお願いしますね 」
男性は俺にパスケースを渡した。
「分かりました。そのパスケース責任を持ってお渡しします 」
といかにも頼れる男だろ!という雰囲気で言った。
「その言葉たしかに聞き届けましたよ 」
俺の方を見るその顔は先程の笑顔と打って変わってとても真剣だった。
「それでは、先を急ぎますゆえ、よろしくお願いしますね 」
そう言うと男性は俺とは逆方向の碇星の1号車方面へ歩いて行った。
渡されたパスケースを見てみると可愛らしい桜の木の刺繍が施されていた。
⭐︎
つい数十分前まで俺が立っていた場所にはスマホを見て何やら焦っている翼の姿があった。
どうしたんだ?
俺は右手で翼の方をトントンと叩いた。
「おはよう!今日はいよいよ新入生歓迎会だぞ、準備はできてるか? 」
「おはよう!って遅いよ!何で電話に出なかったの? 」
電話?
携帯を確認してみると数件の不在着信が表示されていた。
「すまん、気づかなかった 」
「全く何してたのさ、大和のことだから電車に気を取られてたんでしょ? 」
違います翼さん。
「違うんだよ翼、実はなーー 」
俺たちは上野スカイスクレイパーに向かいながら今さっき起こったことを翼に説明した。
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