百从（ひゃくじゅう）のエデン

第百五話 再 謁 （さいえつ） Ⅰ

「なんで俺が一緒に行っちゃいけねえんだよっ！！」

「誰もお前を呼んでいないからだ。おとなしく待っていろ」

　食い下がるアシュヴァルに対し、バグワントはあくまで冷静に言い放つ。

　だがどうしても納得がいかないのか、アシュヴァルは噛み付かんばかりに詰め寄って声を荒らげた。

「そんなこと関係ねえ！！　俺も行くって言ってんだから行かせろ！！　そいつ一人で里長のとこになんてやれねえって！！　わかってくれよ、バグワント！！」

「確かにお前の言い分もわからないでもない。だがこれは里長の指示だ。諦めろ、アシュヴァル」

「どいつもこいつも里長里長ってよ！！　ここにゃ太鼓持ちしかいねえのか！？　——じゃああれか！？　お前らはあの人が死ねって言ったら死ぬのかよ！！」

　切り捨てるように言われても、アシュヴァルは食らい付いて離れようとしない。

　その難癖としか思えない言葉にも、バグワントは一切顔色を変えずに応じた。

「必要とあらば」

「なっ——」

　事もなげな顔で言ってのけられ、さしものアシュヴァルもたじろがざるを得ないようだった。

「……い、いいんだ！　アシュヴァル！　一人で行くよ！　自分一人で大丈夫だから！」

　激しい剣幕で食って掛かるアシュヴァルを前に口を挟むことができずにいた少年だったが、そこでようやく入り込む隙を見いだす。

「そうは言ってもよ——」

「大丈夫、心配しないで」

　意図して笑顔を作り、不安げな顔で見下ろすアシュヴァルの手を取る。

　本心を言えば、一人でラジャンと対面することに対してこの上ない恐れを抱いている。

　一緒に来てもらえるのなら、どれほど心強いだろう。

　だがラジャンが単独での訪問を望んでいる以上、その求めに応じるのは当然だ。

　ただでさえ幾つもの負い目があるというのに、アシュヴァルの同席を願うのは弁え知らずにも程がある。

　加えてローカのこれからに関わる大事な場面で頼ってしまえば、この先もずっと彼の力にすがってしまいかねない。

　アシュヴァルの言葉を借りるなら、これもまた戦わなければならないときなのだ。

「バグワント。自分一人で行くよ。連れていって」

「殊勝な心掛けだ」

　答えてうなずくと、バグワントはやや離れた場所から成り行きを見ていたシェサナンドに向かって言った。

「アシュヴァルが妙な考えを起こさないように見張っておけ」

「……わかったよ、兄貴」

　不服そうに答える彼に一瞥を投げたのち、少年は黙り込むアシュヴァルを見上げて告げる。

「行ってくるよ、アシュヴァル。大丈夫だから——待ってて」

　まだ言い足りないといった様子で口をもごつかせるアシュヴァルに対してうなずきを送れば、彼もまたすぐにそれとわかる作り笑顔で応じてくれた。

　ラジャンの屋敷に向かって進む途中、先を歩くバグワントの背に向かって、かねてから気に掛かっていたことを尋ねてみる。

「バグワント、一つ聞いてもいいかな……？」

「どうした」

「あのときは——どうして離してくれたの？」

　尋ねたのは、アシュヴァルが里長ラジャンに立ち向かった際の話だ。

　少年はバグワントによって完全に身動きを封じられていた。

　だがこのままではアシュヴァルの命が危ういと恐れを抱いた瞬間、彼は確かに拘束を緩めてくれた。

　そうでもなければ、ラジャンに次ぐ実力を持つとされる彼の腕から抜け出すことができたとは到底思えない。

「なんのことだ」

「ほら、あのときだよ……！　アシュヴァルがラジャンに——」

　足を止めることも向き直ることもなく、バグワントは前方に足を進めながら我知らぬといった口ぶりで言う。

　当時の状況を説明しようと試みるが、彼はそれを遮るようにして言い切った。

「すまないがそんな昔のことは覚えていない」

　それ以上の追及を許さない断固とした口ぶりに、口をつぐむより他なかった。

　里長の屋敷にたどり着いたのちはそのまま謁見の間に通され、腰を下ろしてラジャンの出座を待つ。

　室内には四人の女たちの姿もあり、バグワントもいかめしい表情で部屋の戸口に立っていた。

　ややあって、部屋の奥から里長ラジャンがのそりと姿を現す。

　高座の上に身を投げ出すように腰を下ろすと、彼はさも大儀そうに脇息に肘を預けた。

　ラジャンが姿を現しただけで、辺りの空気が一変する。

　総身から放たれる威圧感は直ちに周囲の空間を支配し、今すぐにでもこの場から逃げ出してしまいたい衝動に駆られてしまう。

　気を強く持ってこれに耐え、視線をそらすことなく高座の上の彼を見据える。

　誰もが口を開くことなく動向を静観する中、ラジャンは無言で顎をしゃくってみせる。

　奥の部屋へと消えた女が間もなくローカを連れて戻ってくると、立ち上がってしまいそうになる気持ちをこらえ、少女に向けて視線と小さな点頭を送った。

　続けて向けられる睥睨するようなラジャンの視線を、少年は発言の許可と受け止める。

「ラジャン——！！　こ、鉱山とみんなのこと……守ってくれてありがとう。これ……残りのお金」

　名を呼んで高座を見上げ、まずは額が床に触れんばかりに深々と頭を下げて感謝の意を伝える。

　金貨三十枚の詰まった麻袋を足下に押し出せば、女の一人によって拾い上げられたそれはラジャンの手に渡る。

　牙で引っ掛けるようにして億劫そうに麻袋の紐を解いた彼は、袋の中から金貨を一枚つまみ上げた。

「礼には及ばん。乃公は乃公の務めを果たしただけだ」

　興味を失ったかのように麻袋を足元に放り出し、再びにらみ付けるような目で少年を見据える。

「前置きは要らぬ。見え透いた世辞や迂遠な言い回しも無用だ。分かったなら疾（と）く本題に入れ」

　促すように言う彼を見据え返し、まずは預かっていた剣をその足元へと差し出す。

　そして女たちに囲まれて立つローカを横目に見やると、高座の上のラジャンを見上げ、敢然として口を開いた。