第六話 百 種 (ひゃくしゅ)
仕立屋を出た少年とアシュヴァルは、人通りに逆らうようにして往来を進む。
すでに時刻は夕刻を回っており、道の両脇に立ち並ぶ店々の軒先には篝火の明かりが輝いていた。
外には連れ立って歩く人々が先ほどよりも多くあり、中には酔って管を巻く者、道端に寝転ぶ者、言い争う者など、お世辞にも柄が良いとはいえない者たちの姿も見受けられる。
酒場の呼び込みらしき者たちは行き交う人々に向かって絶え間なく呼び掛けていたが、アシュヴァルが前を通っても声を掛ける様子を一切見せない。
少年には彼らがあえて目をそらし、わざとらしい態度で視線をさまよわせているようにも見えた。
落ち着きなく周囲を眺め回す少年に対し、アシュヴァルはたしなめるように言った。
「あんまりじろじろ見るなよ。因縁つけられても知らねえぞ。俺が一緒にいりゃそんな心配もねえんだけど」
「あ……う、うん」
「まあ、無理もねえか」
呟いて視線を落とす少年の肩を、アシュヴァルは拳で軽く打つ。
「見るもん全部が珍しいのはわかる。お前がどっから来たのかは知らねえけどよ、その様子じゃこんな大勢の莫迦どもが群れてるとこなんて見たこともねえんだろうさ。東や西のでけえ都に比べたら一段落ちるが、それでもここにゃいろんな奴らが大陸中から集まって来てるんだからな」
「それってさっきの、はみ出し者とか……?」
「もちろんそれもあるが、今回は別の意味だ。——ほら、見ろよ」
アシュヴァルは左右に小さく首を振って応じる。
次いで辺りを見回した彼は、道端にたむろする数人の男たちに向かって顎をしゃくってみせる。
その示す先にあったのは、爪先から頭のてっぺんまでを毛で覆った者たちの姿だった。
毛足の粗密や濃薄、色の違いなどはあったが、全身を被毛で包んでいるのはアシュヴァルと同じだ。
体格も大小さまざまで、中には頭部に角を頂き、口元から牙を伸ばしている者もいた。
アシュヴァルの視線に気付いたのか、その場に集まっていた男たちは三々五々散っていく。
「忘れちまってるだろうから一応教えとくぜ。あいつらは俺と同じ『
そう言って彼は白く短い被毛に覆われた自らの腹部をなでた。
「シシビト……? さっきはその——トラビトだって……」
「獣人の中の彪人、ってことさ」
笑みを浮かべて答えると、彼は続けて酒場の前で言い争いをしている人だかりに目を向ける。
その視線の先を追った少年の目に映ったのは、明らかに外見の異なる二つの集団が声を荒らげていさかい合う光景だった。
「とんがった嘴と羽があるのが『
アシュヴァルはあきれたように嘆息し、二つの集団の中へ割り入っていく。
「おい、お前ら! そのへんにしとけよ。——おら、散った散った!」
手で追い払うようなしぐさとともに彼が声を上げると、嘴人たちと鱗人たちは不服そうな表情を浮かべながらも、渋々といった様子でその場を去り始める。
「この町にはよ、何度も言うがいろんな奴らが集まってきてやがる。もめ事や争い事の元は尽きねえ。ま、
去っていく双方の後ろ姿を見送りながらアシュヴァルは嘆息する。
「シュ……?」
「ん? ああ、それもわかんねえのか。……ま、あれだ。種っていうのはよ、人ってやつを見た目やら暮らしやらで分けた大まかなくくりみてえなもんだ」
アシュヴァルは少年の顔をのぞき込み、不思議そうな表情を浮かべる。
「お前も俺と同じ獣人だよなあ……? 毛と臍があるから間違いねえとは思うんだけどよ」
少年の頭部と腹部を交互に指さしながら頭をひねったのち、彼は肩をすくめながら笑い飛ばしでもするかのように言った。
「ま、んなことはどうでもいいか——! さ、帰ろうぜ!」
「帰る……? ど、どこに……」
不安げな顔を浮かべる少年に対し、アシュヴァルはいかめしい容貌に似合わぬ人懐こい笑顔で応じる。
「どこって——そりゃ俺の家だよ。今日からはお前の家でもある」
アシュヴァルは自らの顔と少年の顔とを順に指さしてみせると、屈託のない笑みを浮かべて言った。
「自分の——家……?」
「食うものに着るものっていったら、次は住むところだろ。来いよ、俺んち」
あぜんとして見上げれば、彼は当然のように答える。
「気にすんなって。行くとこなくて困ってんだろ? ほら、早く帰ろうぜ」
言ってアシュヴァルは一人先へと歩き出す。
「……あ、先に言っとくけどよ、期待してもらっちゃ困るぞ。狭くて小汚くて、寝るために帰るだけの場所だからな! そのつもりでいてくれねえと——」
数歩進んだところで足を止め、動き出せずに立ち尽くす少年を振り返った。
「——ん? どうしたんだよ、んなとこ突っ立ったままで。早く行くぞ。ほら、付いてこいって」
「あ——う、うん……!」
傍らまで走り寄り、その顔を見上げて言う。
「そ……その、アシュヴァル、ありが——ありが……とう」
無一物の自分に食事と衣服を与えてくれ、その上で自宅に住まわせてくれるとまで言ってくれている。
それがどれほど有り難いことであるかは理解しているつもりだった。
どうすれば感謝を伝えられるだろうと頭をひねるが、言葉より他に気持ちを伝えるすべが思い付かない。
踵を返して歩き出すアシュヴァルに追いすがりながら、その背に向かって声を掛ける。
「ほ、本当に……ありがとうって思ってて——」
背中を向けたまま手を掲げた彼は、もう十分だと言わんばかりに手を振ってみせる。
腰布の隙間から伸びる身体と同じ縞模様の刻まれた尾が、ゆらゆらと左右に大きく揺れていた。
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