第17話

 

 婚約披露パーティー前夜。


 スザンヌが腰を痛めてしまい、ダンスの練習は中止となった。


(私の覚えが悪いせいで……)


 心の中で謝るも、自主練するつもりはない。夕食も久々に気兼ねなく食べれると喜んでいる。いや、悪いとは思っているし、騎士団御用達の効き目のある湿布も渡した。でも


(いつもは小さく切って食べなきゃいけないから、物足りなかったのよね。今夜はたっぷり味わおう)


 思わず笑みがこぼれる。決して悪気はない。


 婚約披露パーティーの前夜なら通常なら食事を控えて明日のためにゆっくり湯に浸かり、美容のために早く寝るところ。しかし、もちろんそんな考えは微塵も浮かばず、指摘する者も寝込んでいていない。


 いや、もう一人侍女はいた。


 その侍女が、スザンヌの部屋から戻ってきた。


「ナディア、夕食はイーサン様と食べることになったから」


 手紙をピラピラとしながらナディアに渡す。


「えっ、どういう事?」

「スザンヌが一人で摂る食事は淋しいだろうしって」


 ナディアは目をパチパチさせた。


(あのスパルタ食事マナーの時間は、私を一人で食事させないためのスザンヌなりの思いやりもあったのか)


 気づかなかった。いや、気づけという方が無理がある。


(一人で食事を堪能したかったんだけどな)


 ナディアは眉を下げたが、スザンヌの厚意を無にするわけにはいかない。夕食を豪快に食べることは諦めた。




 そして、夕食の時間。お城時代には来賓と食事をするのに使われていた部屋にナディアは入った。部屋の中央には大きなシャンデリアが煌めき、その下には六人掛けの大きなテーブル。でも、椅子は中央に二つだけだ。


 椅子やテーブルにも細かな彫り細工がされており、テーブルの下に引かれた赤い絨毯には金糸で刺繍が施されていた。テーブルには先程ラーナが庭に取りに行った薔薇が綺麗にに飾られていた。


「イーサン殿下、お忙しいところお時間を頂きありがとうございます」


 言い出したのが自分の侍女なのだからお礼をいうべきだろうと、ナディアが頭を下げる。


「構わない。いや、むしろ今まで一人で食事をさせて申し訳なかった」

「いえ、お仕事が大変なご様子ですし、気になさらないでください」


 先に来ていたイーサンは、椅子を引くとナディアに座るよう促した。毎日のように一緒にダンスの練習をしているけれど、食事を一緒に摂るのはこれが初めてだ。いや、マルシェを含めて良いなら二回目か。


 侍女が食事を運び二人の前に置いていく。


 ナディアは目の前に置かれたオードブルの皿に目をやった。

 薄く切ったバゲットに無花果入りのレバーペーストが添えられている。今までなら、食前酒片手に口に放り込んでいたところだけれどそうはいかない。


「随分厳しくマナー講習を受けているそうだな」


 イーサンの言葉にナディは目をパチクリとする。


「どなたからお聞きになったのですか?」


 誰から聞いたかも気になったったけれど、イーサンが自分を気にかけていることが不思議だった。


「俺専属の侍女は情報収集のプロだからな。あれじゃ、食べた気がしないだろう。今日は二人だけだ、無礼講でいこう」


 そう言うとイーサンは人差し指と親指でバゲットを摘まみ、一口で頬張った。そして美味しそうに咀嚼する。


「ナディアも食べればよい。無花果が良いアクセントになっている」


 そう言われ、ナディアも指でつまみ噛り付く。さすがに一口では食べれないので二口に分けたが、レバーの塩味と無花果の甘みが絶妙でとても美味しかった。


 スープは海老のビスク。車海老を時間をかけてじっくりソテーし、香味野菜と合わせて煮込んだあと濾したもので濃厚で奥深い味がする。海が近い王都では新鮮な海産物が簡単に手に入る。

 魚料理は白身魚に細く切ったジャガイモを衣のようにつけてソテーした物だった。


 イーサンは気持ちの良いぐらいの食欲で料理を平らげていく。スープに至ってはかなり気に入ったようで三杯もお代わりをした。


 ナディアも、いつもは味が分からないぐらい少量ずつしか口に運べないが、今宵は白身魚も大きく一口分ナイフで切り分け口にした。


「おいしいです。白身魚がふわっとしていて周りに着いたジャガイモがカリカリしています。バターの風味と塩味のバランスが絶妙です」


 久々に心から食事を堪能するナディアをイーサンは目を細めて見ていた。


 続いて運ばれてきたローストビーフは、添えられたソースが絶品だった。一緒に運ばれてきた酸味の強いワインがとてもよくあった。イーサンもお酒は強いらしく、二人で二本開けていたが、どちらもまだ余裕がある。


「実に美味そうに食べるな。一緒に食べていて気持ちの良い食いっぷりだ」

「くっ……失礼いたしました」


「気にするな褒めているのだ。今までもこのように同僚たちと一緒に食事をしていたのだろう?」

「はい、とても賑やかな争奪戦です」


 騎士たちは皆体格が良い。そして訓練は激しい。上品になんて食べていると、あっという間に目の前から食べ物が消えてしまう。


「食い盛りの剣士相手では、女性ではなかなか難しい戦いだっただろう。しかし、賑やかで楽しい食事は素晴らしい。主な会話は剣技についてか? それとも街の治安? それとも上司の愚痴か?」

「男所帯の下世話な会話は、とてもではございませんがイーサン殿下のお耳に入れるべき内容ではございません」


 ナディアがきりっとした顔で言うから、イーサンは思わず噴き出した。


「ハハッ、それは男が令嬢にいう言葉だな」

「聞きたいですか?」

「女性の口から聞くの躊躇いがあるのでよい」


 いったいどんな話が飛び交っていたのか、イーサンも想像に容易い。どこの国に行ってもよく似たものだ。それにしても、妙に擦れた所があるのはそのせいか、と納得した。


 ナディアは、マナーを気にすることなく料理を堪能することに専念した。こんなに味わって食べる食事は久しぶりで、会話も思ったより弾んだ。これからは数日に一回イーサンと食事をしたいと思った。

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