第18話
イーサンとの食事が終わり夜も更けた頃。
剣を手に持つ人影が二つ。
部屋の中を所狭しと走り回る。ベッドの上に片足をかけそのまま跳ね上がる。カーテンをハラリとめくり目眩しをして隙を作り切りかかる。
大理石の床を、キュッと踏むと素早く短剣を突き出す。出された方はギリギリで交わすと身を屈めて足を払おうとする。その足を飛んで交わし相手の首元に剣を突き刺す――
「参りました」
ラーナが背中を大理石につけ、仰向けの姿勢で両手を上げる。ナディアは剣を首から離すと右手を差し出し、ラーナを引き起こした。小柄だけれど筋肉質な身体はそれなりに重みがあった。
四勝一敗で今夜もナディアの勝利だ。剣では勝てる。しかし、弓矢はラーナに
敵わない。男性騎士も含めた上でも数本の指に入る腕を持っている。
淑女教育で鬱憤が溜まるたび騎士団に行くわけにもいかないので、寝る前にこっそりラーナと剣の練習をすることにした。
部屋は狭いので、短剣を使うことにしたけれど、練習のあとはシーツは剥がれ時にはソファが倒れと中々な状態になっている。
「うーん、やっぱり部屋だと狭いわね。もっと剣を大きく振り回して走り回りたい!」
ナディアが額の汗を拭きソファに腰をおろすと、グラスに水差しの水をドボドボと入れ一息に飲み干した。ちなみに、練習中は水差しは部屋の隅に避難させている。
「それをするとスザンヌがうるさいのよね。叔父様ももう少し頭の柔らか人をつけてくれたらよかったのに」
叔父であるルーカス騎士団長にしてみると、この二人だからこその人選だ。騎士団でも一、二を争う跳ねっ返りを抑えつける事は並大抵の人間にはできない。
「いっそのこと、イーサン様からスザンヌに頼んでもらって、庭で練習して貰えるようにするとかは?」
ラーナもソファに座り、水差しを手に持つ。グラスに並々と注ぐとこれまた一息に飲む。
その姿をナディアは見るとはなしに見ている。
「どうしたの? ぼうっとして。って、婚約披露パーティーは明日だもんね。物思いに耽るぐらいのことはするよね」
「うーん、そうと言えばそうなのかなぁ」
ちょっと宙を睨んだあと、ナディアはこの一ヵ月の疑問を口にした。
「イーサン様の噂について知ってる?」
「あー、悪魔のように冷酷で傍若無人。女癖が悪くすぐ暴力を振るう、ってやつ?」
何か噂が増えている気がするけれど、ナディアはとりあえず頷いた。
「そう、それ。私一ヵ月一緒にいるけれど、とてもではないけれど、そうは思えないのよね」
ナディアが首を傾げる様子を見て、ラーナが身を乗り出す。
「それはどうして?」
「うーん、例えば、ダンスの練習で何回、いえ、何十回と足を踏んでも嫌な顔しないの」
「ふんふん」
「で、たまに私の足を踏むとすごく慌て謝ってくれるの。キャシーの話では私の足を踏まないために一人で自主練してるとか」
「うんうん」
「政策だって善良そのものよ。カーデラン国の一部となったから、カーデラン国への物の移動に関税はかからない。商人達は喜んでるらしいわ」
「それから」
「孤児院に割り振る資金を増やされたわ。それから、教会への資金の流れを明確にして私服を肥やした神官を処罰した」
「よく知ってるわね」
「キャシーがお茶やお菓子を差し入れしてくれるんだけれど、その時に教えてくれるから」
ナディアはそこまで話すと、残り少ない水差しの水を二つのグラスに均等に入れた。
「噂は所詮噂ってことじゃない?」
「でも、火のないところに煙はたたないって言うでしょ?」
「じゃぁ、本人に聞けば? 婚約者なんだから」
あっさり言うラーナをナディアは半目で睨め付ける。それができないから話をしているんじゃないか、と思う。
確かに見た目は怖いし、眼帯は不気味かも知れない。大柄で鋼のような体躯に気後れする令嬢もいるだろうけれど、噂されている悪魔とは違うと思う。
口をへの字にして考え始めたナディアに、ラーナは呆れている。
「噂なんかより、自分の目で見たものを信じればいいだけじゃない。私のカンではイーサン様はいい人よ」
ラーナはグラスの水を飲み干し、ドン、とテーブルに置いた。
「音をたててグラスを置いたらスザンヌに怒られるわよ」
「……淑女教育はナディアだけでいいと思うんだけど、何で私までさせられるんだろう」
「多分、姪を思う叔父心よ」
「いらない、そんな心」
ラーナはそう言うと立ち上がった。時計を見ればもうすぐ日が変わる頃だ。
「明日は忙しくなるだろうし、いい加減部屋にもどるわ」
そう言って部屋を出ていった。
残されたナディアは飲み干されたグラスを見てため息をつく。
(確かにラーナの言う通りだわ。私も自分の目で見たことを信じよう。何よりラーナのカンは外れない)
ナディアはソファから立ち上がると、着ていたシャツとズボンを脱ぐ。
隣の浴室に向かい、湯に浸かる。侍女が用意してくれたお湯は冷めていたけれど火照って身体には丁度よかった。それに、明日の朝どうせまた入浴するのだ。サッと汗を流せれば良い。
腕を背中に周し、一年前についた刀傷に触れる。
(この傷を負ったことに後悔はない。でも、アンディと婚約している時は、彼がこの傷を受け入れてくれるか不安だった。イーサン様はこの傷を『名誉の勲章』と言ってくれた。きっと受け入れくれる)
そこまで考えて、ドボンと顔を湯につけた。
(受け入れてくれるって、……白い結婚なのに)
水中から顔を出し、ぷはっと息を吐くと湯を手で掬い顔を何度も洗う。
(やっぱり緊張してるのかな。私、思考がおかしい)
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