第9話


 ナディアは左腰のナイフに手をかけやめた。前を走る男は、足こそ早いが腕っ節は弱そうだ。これなら素手で大丈夫だと判断した。


(走るスピードが落ちてきた)


 男のスタミナも大したことはない。ナディアの息は乱れていない。


 男の背中が角の向こうに消えたと同時に


「うわっ!!」


 低い叫び声が路地に響いた。目の前に突然現れたラーナにびっくりしたのだ。そのまま慌てて踵を返すも、細い通路の真ん中にはナディアが仁王立ちしている。


 普段なら、大抵の悪党はここまで、と降参するけれども、今日のナディア達は騎士服を身に纏っていない。ぱっと見た目は背の高い平民の女だ。


 (逃げ切れる)


 男は当然のことのようにそう考えた。


(まずは黒髪の女に体当たりする。路地に詳しそうだから大通りに出て人混みに紛れ込む)


 完璧な計画だとばかりにニヤリと笑うとナディア目掛けて走り出した。勢いよく左肩からドンとぶつかってやろうと身構えたその瞬間。


 男の腹にナディアの足がめり込んだ。


 勢いよく突き出された足。そこに全力疾走の男の勢いが加算され低くいい音がした。


「うっっ…………」


 痛みと衝撃で声も出ない男を背後からラーナが押さえつけた。男は地面に這いつくばった状態で、手を捻りあげ、背中を膝で押さえつけられている。


「ねぇ、ナディア、縄持ってない?」

「持ってない。ラーナ持ってきてないの?」

「どうする?」

「どうしよっか」


 汗もかいていなければ、呼吸の乱れもない。

 平然と交わされてる二人の会話には、緊張感は微塵も感じとれない。

 

 令嬢風に言うなら「あら、お茶がなくなったわ」「私もよ。おかわりは必要?」ぐらい、軽いノリで会話は交わされている。


 (これなら逃げれれ)


 普通に考えればただの令嬢でないことはわかりそうなもの。ただ、男は頭上で交わされ穏やかな声音に何故かそう思った。掴まれていない手と足に力を込め、強引に身体を起こそうとする。しかし、腕力だけはあるラーナがさらに強く腕を捻り上げると、うっと苦しそうな声をだして、頬を地面につけた。


「そうだ! ナディア、足、折っちゃう?」

「あら、いい考えね。右足かな」

「一本でいい?」


 令嬢風に言うなら「クッキーいかが?」「一枚頂くわ」「一枚でいいの?」だ。


 さすがに男も気がついた。

 このままでは、「じゃ、もう一本。フフッ」のノリで四肢を折られると思い青ざめ叫び出す。


「ち、違うんだ! 俺は頼まれただけなんだ!!」



「…………」

「…………」


 ナディア達は顔を見合わせると


「「はい、はい。話はあとで聞くからね〜」」


「い、いや! 本当なんだって! 信じてくれよ! そんな目で見ない…………あっ、お願い。右足掴まないで。逃げないから。ね? ……右足から手を離してください。おねがいしますぅ」


 最後には涙交じりに懇願する男。ナディアは呆れ顔でラーナを見ると、その目は「あなたに任せるわ」と言っている。


 ふぅーと息を吐き出すと、不承不承男に問いかけた。


「誰に頼まれたの?」

「帽子を目深に被った男だ。いっ、痛い! 本当だって。あんた達をこの路地に誘い込んで、男達から引き離せって!!」


 ナディアは目を大きくあけた。


(まずい!)


 頭の中で警報が響く。


「ラーナ!」

「分かった!!」


 ボキッと言う鈍い音と、男の悲鳴が狭い路地に反響した。


「これで逃げれない。あとで衛兵を呼びましょう。それより謀られたわ。どうする?」


 ラーナは手をパンパンと叩くと立ち上がった。二回音がした気がしたけれど、ナディアはそこは気にしない事にした。


「多分、まだこの路地にいるはず。ラーナ、思うままに走って。着いて行くから」

「いいの?」

「私、あなたの第六感だけは・・・信じているから。あなたならイーサン様にたどり着けるはず」


 ナディアが唇の片端だけ上げて笑うと、ラーナはふんっと鼻で笑い返した。


「じゃ、行くわよ」


 言葉と同時に走り出したラーナの後を追いナディアも走り始めた。



 その頃、イーサン達はナディアを見失い立ち往生していた。


「イーサン様、ナディア様は何処に行かれたのでしょうか?」

「すっかり見失ってしまったようだ。男を追っていったからな。早く見つけて加勢してやりたい」


「……ところでここ、どこか分かりますか?」

「分からん」

「どっちから来たかは?」

「分からん」


 二人はお互いを見つめる。次いでぐるりと周りを見る。細い道の端に小さな男の子が一人、道路に絵を描いているだけで人通りがない。


「これってもしかして」

「あぁ、俺達が迷子になっているようだな」


「あの子に聞きますか?」

「聞くならフランクが聞け。俺の姿を見た途端、かなりの確率で逃げる」

「ええ、俺もそう思います」


 イーサンは横目でフランクを睨んだあと、さてどうするものかと考えた。その時だ、バタバタと走る足音がこだましてきた。


 二人は耳を澄まし、音が聞こえる方向を探す。


 (あの男が二人を振りきって走って来たのか?)


 それなら丁度良いとばかりに身構えた所、ラーナが姿を現した。ラーナは二人を見るとスピードを落とし安堵の表情を浮かべながら手を振る。それに答えるようにフランクが軽く手を挙げた時だ。その時だ


「イーサン様、危ない!!」


 ナディアの声が響いた。


 ラーナから数秒遅れて来たナディアは、そのままスピードを落とすことなくイーサンに向かって飛びつき地面に倒れこむと、まるで庇うように巨体に被さった。


 それとほぼ同時にシュット空気を切る音がした。


 細長い影がナディアの背をかすめ近くの地面に突き刺さる。

 鋭い刃が路地に差し込む日の光でギラりと光る。


 石畳みの隙間の地面に深く突き刺さったそれは、弓矢だ。


 飛んできた位置を確認しようと、全員が見上げた時もう一本が飛んできた。


 イーサンは素早く身体を起こすと、自身に被さるようにしていたナディアを、今度はその腕の中に庇うように抱きしめた。

 細い路地で四人団子状態となってしまっているために逃げるスペースがない。急所に当たらないことを願うしかないか……そう考えた時、小さなナイフが弓矢に向かって投げられ、その軌道をそらせた。弓矢ははじかれ壁に突き刺さり、ナイフは石畳の上に転がった。


 ナイフが飛んできた先を見ればラーナが立っている。


「ナディア!!」


 ラーナに名前を呼ばれまでもなく、ナディアはイーサンの身体を押しのけた。


 そして左腰と右太もものナイフに手を伸ばすと鞘から抜き宙に放り投げる。


 ラーナは空宙でそれを受け取った。そして、屋根の上めがけて投げつける。


 二本の刃がまっすぐに屋根の上にいる人影に向かって飛んでいく。三階建ての建物で距離もある。でもナイフはスピードを緩めるなく男に迫る。刺さる! と思った瞬間、男がかろうじて身をかがめそれをよけた。そしてそのまま屋根伝いに走り去って行った。


 細い路地だ。屋根から屋根へ飛び移ることも階下の部屋に飛び込むこともできる。これ以上の追跡は不可能だった。


「逃げられたわね」


 呟くナディアの隣でイーサンが顔を赤める。視線の先には露になった太ももがある。茶色い革のベルトと無骨な鞘がその白さと柔らかさをさらに際立てるようでなんとも艶めかしい。


「ナディア! スカートを」


 思わず声に出し、気が付いたらイーサン自ら捲れたスカートをもとに戻していた。


「あ、申し訳ありません。お見苦しい物を」


 ナディアもこれは流石に恥ずかしかったようで、頬を染め慌てて立ち上がった。

 照れを胡麻化すかのように、先程男がいた場所を見上げた。その背を見て、残りの三人が「あっ」と小さく声を上げる。


「ナディア大丈夫か? 背中が切れている」


 先程イーサンを庇った時に矢が背をかすめたのだろう。ジャケットとシャツを切り裂き、透けるような肌がその間から見えていた。うっすらと赤い血が滲んでいる。


 ラーナは慌てて弓矢を手に取る。イーサンは背中に顔を近づけ傷口が変色していないかを確認した。白い肌に思わず照れを感じるがそれどころではないと、軽く頭を振る。


「弓に毒は塗られていないようです」

「ああ、傷口も変色していない。大丈夫だろう」


 傷はたいして深くない。薄皮一枚切ったぐらいなのですぐに血は止まるだろうし、数日後には傷も消える。でも、イーサンの視線は背中に注がれたままだ。正確には右の肩甲骨の下から左脇腹に向けてできた刀傷を見ていた。


「味方を守り、できた傷です」


 正面から受けた傷は戦士の勲章だが、背に出来た傷は恥だ。ナディは逃げる時に出来た傷ではないと言いたかった。


 イーサンは困ったように眉を下げる。


 女性に身体に大きく出来た傷。それを恥ずべき傷ではないと勇ましく主張する。

 どう返答すべき方考えたあと、


「そうか、それなら名誉の勲章だな」


 あえて明るい声を出した。そして、その大きな手でナディアの頭を優しく撫でた。


「立派な騎士だ。そして命が無事でよかった。傷など気にすることはない」


 ナディアは目を見開いた。


 傷跡がどれだけ醜いかは知っている。切られて出血が止まらず火で熱した剣を押し当て吐血したから火傷もひどい。

 気丈に振る舞っているけれど、人に絶対見られないようにしていた。


 出会ってすぐのイーサンは、その傷を明るい口調で受け止め、立派な騎士だと言った。それはナディアが両親からずっと言って欲しかった言葉だ。

 

 胸がじわりと暖かくなった。その意味は分からないけれど、ナディアはそっと自分の胸に手を当てた。

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