第8話


 マルシェはいつもと同じでとても賑わっていた。ルシアンは狭い土地だけれど、鉄がとれるので貧しい国ではない。むしろ、豊かだからこそ隣国からの侵入がたえない。


「これは想像以上だな」


 イーサンは周囲をぐるりと見回して、露店の数と人の数に驚いた。とても活気がある。


「街の南側は山、国境付近は森と平地が少ないので、人口の半分以上はこの街に住んでいます」

「ということは、商人が多いのか?」

「そうですね。あとは鉄が採れるので職人も多いです。商人や職人は、政治志向が高いというより現実的ですから、政権が代わっても商売が上手く行っていれば不満は起きないでしょう」


 つまり、経済をうまく回せば味方にもなる。庶民達は理想より現実を強かに生きているのだ。


 ナディア達は、知り得る範囲で露店の品の説明をしていき、イーサンはそれを真剣な目をして聞いていた。時々フランクにメモも取らせている。


「ナディア様、いい匂いがずっとしますよー」


 ラーナの視線は食べ物が並ぶ露店ばかりを追っている。


「広場の端にベンチがありますから、何か買って食べませんか?」

 

 ラーナがベンチを指差すけれど、ナディアは「ちょっと待って」と言うだけで露店の品に釘付けになっている。


「イーサン様、これは異国の剣ですよね。このベルトで鞘ごと太ももに固定できるようです。スカートでも、ドレスでもこれなら問題なく帯剣できます!!」


 突然目を輝かせたナディアに少々戸惑いながら、イーサンも剣を手に取る。刃渡り十五センチぐらいの剣が数種類並んでいる。刃こぼれもなく、よく手入れされている。


 ナディアが左右の手に剣を持ち、イーサンを見上げる。


「こちらは軽い分刃が薄いので強度は弱いです。対してこちらは刃が分厚く殺傷能力は高いですが、重く嵩張ります。どちらがいいと思いますか?」

「…………」


 無邪気な笑顔で問いかける。


「まさか、このタイミングで『どちらが良いか』のくだりがくるとは思わなかった」


 イーサンがボソリと呟く。


 そして、ナディアの手を見る。右手に持たれた刃の厚い剣の方がやや上がっている。


「そっちがいいんじゃないか?」


 イーサンはナディアな右手を指差した。


「やっぱりそう思いますか! 私もこちらかな、と思っていたのです!!」


 ぱっと花が咲いたような笑顔になり、ナディアは嬉しそうに店主にこれをくださいといって手渡した。


 イーサンはこっそり拳を握る。

 フランクを見れば親指をたてて頷いていた。




 四人はそれぞれ食べたい物を買い、広場の隅のベンチに向かった。しかし、ナディアだけはスッと近くの茂みに消え、少ししてから戻ってきた。


「どう? つけ心地は」

「悪くないわ。でも歩き方に気をつけないと帯剣してるのに気づく人もいそうね」


 ラーナとナディアのごく、ごく自然な会話に、男達は目を見合わせる。


「ナディア様、もしかして先程茂みに行かれたのは……」

「着けてきたのよ」


 平然とした顔で、右太ももを叩く。カチカチと金属音がした。


「あの茂みでか? 足を出して? 人が来たらどうするんだ?」


 イーサンが詰め寄ってくることが意外とばかりに、ナディアは首を傾げる。


「大丈夫ですよ。パパってしましたから」

「そういう問題ではない!!」


 ではどういう問題なのだろう、とラーナに助けを求めるも、腹を抱えて笑っているだけで何も教えようとはしない。


「はぁ、もういい。食べよう」


 イーサンは自分の隣を指差し座るように促した。ベンチは二人掛けが二つ。一メートルほどの間をあけて横に並んでいる。


 ラーナと食べるつもりだったナディアは、えっ?と小さく呟き、ラーナを見る。すると、すでにフランクと二人別のベンチに腰掛けていた。


 そうか、婚約者とはこういう事か。さすがにそこは理解して、イーサンの隣に腰掛ける。ベンチは小さく、イーサンの身体は大きい。手を動かせば微かに肩が当たる。


 だからナディアは少々居心地の悪さを感じ……なんてことはなく、平然とフィッシュバーガーに食らいついた。大きな口で。


「ハハッ、いい食いっぷりだな」

「あっ……申し訳ありません。つい、いつものように……」

「いつものように、か。いい。普段通り食べてくれ。気取って食べる場所じゃないだろう」


 場所は公園のベンチだ。少し汗ばむ初夏の日差しが眩しい。時折吹く風が潮の香りを運んできて、ナディアの長い黒髪をサラリと揺らした。



「この辺りは治安は良いのか?」


 二つ目のサンドイッチを頬張りながら、イーサンが問いかける。サンドイッチの具はサーモンのマリネだ。


「あまり良くありません。その大通りの向こうは細い路地が入り組み、小さな家が密集しています」


 ナディアは広場の左側の大通りを指さす。確かにその向こうに雑多とした住宅街が見えた。


「スリ、置引きといったところか」


 イーサンの言葉に、ナディアは頷く。口をいつものように手で拭おうとして、慌ててハンカチを出した。


「喧嘩や刃物沙汰は繁華街ぐらいです。ですから街としては平和な部類ではないでしょうか」


 そう話すナディアの視線の先が一箇所で留まる。幼い子供の手を繋ぐ母親、もう一方の手には飴細工を持っている。子供にねだられたのだろう。


 その数メートル後を少し汚れた服の男が歩いている。親子にしては距離があるし、母子の方は比較的綺麗な服を着ている。


(おかしい)


 ラーナに声をかけようかと思った時、後を歩いていた男が突然走り出し、母親に体当たりする。母親は悲鳴をあげながら、子供を庇うようにその場に倒れる。その際持っていた鞄が彼女の手から離れた地面に転がった。


 男は鞄を拾うと大通りに向かって走って行く。


「ラーナ!」

「むぐっ、分かった!!」


 ナディアが呼ぶと、残りのパンを口に詰め込みながらラーナが立ち上がる。二人はスカートを翻し男の後を追いかけ出した。


「ナディア!!」


 イーサンは遠ざかる背中に声をかける


「そこに居てください!!」


 小さくなるナディアが振り返りながら叫ぶ。残された二人は、食べかけの食事を持ったまま顔を見合わせる。そして、食事を手に持ったまま立ち上がり、慌てて二人の後を追った。


「もぐっ、あの二人走るの早いですね」

「あぁ、そう、ゴクン、だな」


 最後の一口を二人揃って口に詰め込む。ナディア達は大通りの向こうだ。


 馬車の間をすり抜け、追いついた、と思うも束の間、ナディア達は細い路地を曲がりその背中が視界から消える。


「これはちょっと厄介ですね」

「あぁ、土地勘がないからな」


 二人の額には嫌な汗が滲んできた。





「ナディア、この先は行き止まりじゃなかった?」

「二手に別れましょう。次の角を左手に曲がって」

「了解!」


 こちらは勝手知ったる街での追跡。スカート姿で疾走する二人を見ると、皆口を開けたまま道を譲ってくれる。


 予定通り次の角でラーナが曲がり、ナディアは一人で男を追いかけ続けた。

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