Ep0-6

「う……」


 彼が瞼を開いた時、彼は見知らぬ天井を見上げていた。

 当時、病院に運ばれてきた時の彼は全身の至る所に血痕が付き、さらに青痣と浮かばせて息も絶え絶えの状態だった。体中の骨にひびが入り、顔は何針も縫わなくてはいけないほどのケガをしてたのである。今の彼は腕を動かすのがやっとで、寝たきりの状態で起き上がるのが難しいほどだった。後に医者は奇跡的に回復したと述べている。


「おお、目覚めたか」


 近くで座って見守ったのはタカカミのクラス担任。心配そうな眼付きで彼を見る。


「二日も眠ってたが大丈夫か?どこか痛むところはないか?」


「痛むって――」


 その時、彼らのリンチがフラッシュバックした。


「う、うわぁぁぁぁ!!」


「ああ、落ち着くんだ!!」


 ベッドの上で痛み関係なしにベッドがきしむ音を大きく鳴らすほどに暴れだす。担任は必死に彼を抑えながら設置されたナースコールを押した。しばらくして数人がかりで彼を抑え、しばらく時が過ぎた。







「……やはり学校には戻れないと?」


「……はい」


 その日の夜、職務を終えた校長先生が入ってきた。彼はタカカミに学校に戻る気はないかと質問したが結局彼は首を縦に振る気はなかった。彼らのリンチによってできた心の傷により、彼は貞凪高校へは戻らないと決心したのだ。


「思い出すんです。さっきみたいにきっと……それが嫌で」


「先はどうする?ここでリタイアして……君はどうなる?」


「……それは」


 部屋の中に重い沈黙が走る。校長はしばらく考えるとハッとして彼に提案を出した。


「そうだ。こういうのはどうだ」


「といいますと?」


「マスコミに関してはこっちでどうにかしよう。だから君はマスコミから遠く逃げればいい。というより新天地を君に与える。そしたら君はもう自由だ」


「自由……ですか」


「そうだ。幸いこの病室はまだ見つかっていない。というより病院なんぞに彼らが押しかけたら流石に反動というのが来るだろうと思うし――」


 校長は彼に向けて視線をやる。彼の眼が未だ虚ろであると気づくと声は急に途絶えた。


「……すまない。無責任だな」


「もう無理ですよ。ニュースとか……先生が来るまでに全部見ましたよ」


 弱った声で彼はぽつりとつぶやくように言った。そこに入学当初の面影はなかった。

 マスコミによって暴かれた当時のタカカミの情報は嘘と真実が入り混じって世間に撒かれていた。小学校時代はいつも臭かったという事実。学校の帰りに万引きしていたという嘘。中学校時代には暴力飯場に自ら赴いてお金を稼いでいたという事実。そして反社会的勢力とつるんでいたという嘘。全てが彼を覆って嘲りつくしていた。


「俺は……どうすればいい?その選択に」


「それはだね。えっと――」


 向けられた質問に担任はどう答えるかで悩む。


「ああ待った」


 するとそこに校長が割って入った。


「提案した身ではあるが……回答を急ぐ必要はない。君はまだ治療中だ。しばらくはここに隠れているんだ」


「隠れて……ですか?」


「ああ。実はマスコミが君を狙っている。なんなら遺族の仇といわんばかりに危険な連中も徘徊している。彼女は……犠牲になった子だがネット上で知名度があってな。どうやら結構な有名人だったらしい。それでマスコミやそういった連中がうようよして君を狙っているようだ。あるものは復讐の意を込めてな」


「な……なんで」


「確かに事件の犯人は君の父だ。君じゃない。だが世間からしたら君は『犯人の息子』ではなく君を『犯人』としてみなしているのさ。ネット上の情報も嘘と真実入り混じって全部本当のことだと世間は捉えている。どんな嘘でも確かめずにそれが真実だと捉えているんだ。愚かな話だが」


「……そんな」


 向けられている『正義の刃』の存在にタカカミはただ愕然としていた。


「答えを急く必要はない。キミは少し休んだほうがいい。次はどうするかは……明日でも遅くはないさ」


「……わかりました」


 校長とクラス担任が彼に『お大事に』と言って部屋を出ていく。部屋に一人残されたタカカミはただ天井を仰ぐことしかできなかった。


(俺……どうなるんだろうか)


 少なくとも学校には戻れない。また暴力を振るわれる可能性がある。それどころか世間に自分の居場所がない状態にまで陥っているのだ。それを認知したとき、彼の目は沢山の涙を零す。それを拭こうとして手を動かすが痛みが走る。


(ああ畜生。痛い……)


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。全ては現実。デマと事実が織りなしたその顛末は、暴力と中傷で引き裂かれた彼の今に嘘はなかった。





 彼が負傷してから二か月後。二月。修学旅行に向かう予定だった月。

 

「ではここを貰ってよいと?」


「ああ、ここなら大丈夫だ。それに世間はもう君への興味をほとんど失っているようだからね」


「……身勝手ですね。世間様というのは」


「そうだね。……本当に酷いね」


 世間は今、芸能人のスキャンダルや政治家の話題などで染まっていた。当時あった世界恐慌の終わりなど他にもあったが。彼は校長と一緒にある部屋にいた。そこは昏仕儀タカカミが後に使い始めるあるマンションの一室だった。

 1LDKの広さで一人暮らしにはやや大きい部屋だったが、彼の理想の物件としては良いほうであった。


「ここでなら……色々できそうですね」


 タカカミは部屋の周囲を隅々まで眺める。

 暴力沙汰のあったその月からタカカミは色々と計画を立てていた。死ぬまでのプランを。老後になったら貯金を使った生活になるとしてその前だ。どうやって生計を立てるかだった。そこで彼は高校を高卒資格を持って高校を卒業したことにして仕事の幅を広げて社会人として生活するというルートを選んだ。誰かの目に留まりにくくなるようにという彼の願いもあったがそれを病室で療養していた時に決断した。


「帽子は取らないのかい?」


「すみません。あれからどうにも視線が気になって……」


 当時の彼は制服ではなく黒のTシャツにジーパン、それと黒のつば付き防止をかぶっていた。室内にいたせいか今はロングコートは脱いでいる。


「あ、ああ。かまわないさ。学校の職員とそれから色んな人たちのツテをどうにか辿ってな。場所と……それからこれを」


 校長はタカカミの通帳を手渡してきた。前日、彼の口座にいくらかお金を振り込んだらしい。タカカミがそれを開くとそこにはある程度のお金がバイト代に交じって入っていた。


「え?こんなに……いいんですか?」


「そりゃあそうだろう」


 校長は怪訝そうな顔で彼を見た。彼に渡した額は今回の一件に関して渡した額は正直に言えば少なかった。だから、『こんなに』と言った彼が心配だった。


「でもいいのか?本当にこれで」


「……もういいんですよ。後は自分でどうにかします」


 ヤケな口調でタカカミは通帳を畳むと部屋の棚にそれをそっとしまい込んだ。そして校長の方を向く。


「ありがとうございました。色々と」


「……そうか。これでさよならか。ところであの通帳なんだが――」


「ああ。名前ですか?ええ。変えましたとも」


「……『昏仕儀タカカミ』だったか?それでいいのかい?」


「ええ。前の名前は捨てました」


 新しい生活を得たこの日まで昏仕儀タカカミは別の名前を持っていた。それを捨てて世間の目をずらすのが狙いだった。そして今日、彼の名前は『昏仕儀タカカミ』となった。


「では……昏仕儀君。これで、お別れだ。何かあったら……ああ、さっき言ってたSNSの私のアカウントまで連絡を――」


「わかってますよ。学校に近づかないでってことですよね?」


「そうだ。……すまない」


「いいですよ。お互い残りの人生、平穏に行きましょうよ」


 タカカミは笑っていた。ただ笑っていた。

 校長は彼に挨拶をするとそのまま部屋を出ていった。彼は一人きりになった部屋でベッドに向かうとそのまま寝ころんだ。


「……これでいいんだ。もう」


 世間の目、暴徒の腕、悪意の言葉。それら全てからようやく解放された。そう、楽になったのだ。同時に夢を失ったが。


「そうだ。俺は生きているじゃないか。それどころか家と金を貰った。少し仕事していれば楽な生活ができるんだ。……なのに」


 起き上がって頬に手を触れた。


――なんでこんなに涙が溢れるんだ……!


 外は夕方から夜になろうとした。彼はまた一人で泣いていた。

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