Ep0-5

 十二月の上旬。彼の運命は大きく動いた。

 休み明けだったその日、タカカミはいつものように寮から校舎に向かって歩いて行った。どんなに悪口を言われても、貧乏だと言われても、がり勉やろうと言われても、覗き魔だと言われても彼の歩みは止まることはなかった。周囲も彼の存在を認めるしかないのかと諦めのため息を吐いていた。そんな時期だった。


(……ん?先生は?)


 チャイムが鳴ったにも関わらず、クラス担任は一向に姿を見せる気配はなかった。

 その静かに感じたおかしさにクラス中がざわつく。


(なんだ?遅刻か?めずらしいな)


 タカカミは初めて教師の遅刻というのを経験した。何だろうと思っていた時、隣のクラスからもおしゃべり声が聞こえだす。


「なんだ?先生はどうした?」


「もう五分は立ってるよ?」


「さぼりですか先生ー?」


 声は次第に大きくなる。ピークに達しかけたその時、クラス担任が血相を変えてあわただしく入ってくると彼は教卓に立って全員に静かにと声をかける。


「えーみなさん。落ち着いて聞いてください。学校の通学路にて……事件が発生しました。その為、本日は休校となります」


――事件!?


 その言葉に妙に心躍らせるものがいれば不安げに感じる者もいた。


「皆さん静かに。とにかく集団での下校をお願いします。それから寮に住んでいる人は――」


 担任とタカカミの視線が重なる。瞬間、担任は何か言いたげそうだったが彼は言葉を飲み込んでクラスの生徒へ再度連絡する。


「学校の外へ出ないでください。えっとうちのクラスだと……」


 しばらくして生徒一同は帰宅することなった。


(事件……なんだ?何が起きた?)


 部屋に戻ったタカカミは珍しく部屋のテレビを点けた。


「ええ。わかりました。また続報が入り次第連絡します。既に死亡が確認されておりますB市の事件現場ですが現在現場は封鎖されており――」


「うわ……」


 事件はタカカミもバイト先に向かう際に通る道路で発生していた。テレビの情報によると、犯人はまだ不明で死者が一人出ていた。


「これは……あの公園か」


 その公園は少し前に運動部の女子マネージャーと話をしていた公園。


「先生たちが慌てるわけだ」


「亡くなったのは近くにある貞凪高校の生徒で――」


「なに?」


 冷や汗が流れる。まさか自分と同じ学校から犠牲者が出るとは思っていなかった。


「これは……結構重大じゃないか?」


 他人のことじゃなく自分のように纏わりつくそれがどうにも振り払えなかった。

 直後、彼の部屋をノックする音が聞こえた。


「はい。今出ます」


 ドアを開く。するとそこには校長先生とクラス担任。そして警察官の三人がいた。


「彼が……ですか?」


「ええ。すまないが君に確認したいことがある。このお巡りさんについて行ってもらえるか?」


 校長の眼は真剣だった。


「は、はい。あの……一体」


 不安そうな顔でタカカミは警察官に質問をする。


「ああ、君の父親についてなんだが」


「父……何かあったんですか?」


 警察官はバツが悪そうな顔でタカカミを見た。


「実は……とにかく一緒に来てくれないか?」


「……わかりました」


 一旦、警官の後に続いて彼は校長先生を同伴にして警察署に連れていかれた。その間、厳かな雰囲気が彼らを包んでいた。






 結論から言えば昏仕儀タカカミの父は事件の犯人だった。

 警官は予測交じりに事件の概要を述べた。

 二日前。事件のあった土曜の夜、彼はマネージャーが公園で休憩していた所に現れ、彼女と少し話をしていたのを近くの住人が目撃していた。それからしばらくして彼女はタカカミの父にナイフで殺害され、遺体は公園の茂みに隠された。本日、遺体が発見されてからしばらくして警察に手紙が届き、事件の全貌が明らかになったのだという。


「……嘘ですよね」


「嘘じゃない。君の父は住んでいたアパートで首を吊って死んでいたよ」


 警官は手に持っていた紙をタカカミに渡す。


「それから……遺書が警察に来ていた。証拠の血濡れのナイフと一緒にな」


 取調室にて警官は悲しげにその遺書をタカカミに手渡した。その隣で校長はそれを見ていた。タカカミは校長先生と顔を合わせて校長が首を縦に振ってから、それを開いた。


――突然、この手紙を送ることをお許しください。

 私は生きるのに疲れました。周りの声に、楽しそうな笑い声に。どんなに頑張っても報われず、気づけば私は古いアパートで子供一人と暮らしていました。前の妻にはDVの濡れ衣を着せられ、証拠はあると妻の間男に脅されて資産を奪われて更には息子一人を押し付けられました。古い家に帰る度、家にいる息子に笑われては泣くばかり。きっと私にも原因はあるのでしょうと思いながらも私は残されたたった一人の息子にどうにか向き合っていました。

 ある時、息子が成長して名門校に入ったと聞いた時にはとてもうれしかったのです。でも息子は私を邪険に扱い、なんとかよりを戻そうとしたのです。でもそれは叶いませんでした。息子の好きなゲームを沢山持って彼に会ってそれを渡そうとしたのですが息子はそれを頑なに受け取らず、それどころか消えろと言ってきたのです。

 立ち去っていく息子を追う事も出来ず、私はついに今日、この計画を実行します。私にはもう何もありません。息子によろしくお願いいたします。


「な……な……」


 震えていた。タカカミの横で見ていた校長もその内容に愕然としていた。


「おい。これ本物か?あのバカ野郎のデマじゃ――」


「筆記鑑定はまだだが……多分本物だろう。手紙下の拇印、君のお父さんのものだと――」


「あんなの父親じゃない!!」


 手紙を叩きつけて剣幕を警官に張る。

 

「ふざけるな……ふざけるなぁぁぁぁ!!」


 タカカミは地面に崩れ落ちた。


――まさかあの男がこんな馬鹿げた真似をするなんて!!


 叫び声は取調室内に響いた。警官も、横で見ていた校長はただそれを見ていることだけしかできなかった。







「なぁ、テレビ見た?」


「ああ、見たぜ!!あの事件だろ!」


 二日後、ホームルームの教室にて。

 タカカミの周囲は大きく、おぞましく変化した。その生徒達の声は大きかった。タカカミの耳にちゃんと入るように声を吐き散らしていた。


「まさかこの学校から人殺しが出てくるなんてなー」


「違う違う。人殺しの息子な!」


 前々から昏仕儀タカカミの存在にイラついていた連中が息を吹き返すどころかそれ以上の活気を持って彼の周りで罵声を直接浴びせることのない攻撃を始めた。


「なぁどうしよう。俺たち殺されちゃうよ~?」


「逃げろー!」


 生徒二人はそのまま何処かへと逃げた。

 タカカミはまだ堪えていた。それしかできなかった。


(畜生……アイツ……)


 心の内で震える事以外、なにも出来なかったのだ。


(なにが『疲れた』だ!俺に全責任を押し付けたようなもんじゃないか!何で報道各社に遺書を送った!?どう考えてもおかしいだろ!俺に対する最大級の嫌がらせじゃないか!!ふざけんな!!)


 本は読めずに彼はそのままぱたりと閉じた。腹の底でなにかがぐつぐつと沸騰しそうだった。


「よお。随分余裕そうじゃねぇか?」


 いつの間にか隣にいたのはボスと呼ばれているその男だった。


「……正直つらいんだが」


「何がつらいだゴラァ!!」


 思いっきり拳がタカカミの顔を吹き飛ばす。椅子から崩れ落ちた彼にボスは攻撃を続けようとするが、タカカミはそれを避けて立ち上がると教室を飛び出る。


「逃がすかーっ!」


 顔から出る血をぬぐいながらもタカカミは必死にボスから逃げる。

 教室を出て昇降口に差し掛かる。上履きであったがタカカミはそのまま外に出ようとしたその時だった。


「そこだぁ!」


 横から勢いよく何かに突き飛ばされる。タックルがタカカミに命中すると彼はそのまま突如出た数人にホール中心まで引っ張られた。


「ボスー!こっちだ!」


 駆け付けたボスに腹を思いっきり蹴られ、彼は餌付く。さらに『俺も俺も』と言いながら数人がかりでリンチが始まった。その間、タカカミはただ堪えるしかなかった。


「てめぇのせいでアイツが死んだんだよ!」


 ここでいう『アイツ』とは当時ボスが付き合っていた彼女であり、彼女はというとタカカミの父が起こした事件で死亡してしまったのだという。


「敵討ちだ!やっちまえ!」


 荒げる声に人は集まり、やがて彼に、タカカミに向かって――


――殺しちゃえ!そんなやつ!


――気持ち悪い!やっちまえ!


――彼女の仇を!


 しばらくリンチは続いた。止まることのない暴力の群れ。収まったかと思えば掴みあげられて顔面を数発殴られる。そして投げとばれて地面に崩れるさまを数人が笑っていた。

 やがてそこに――


「何をやってんだぁぁぁ!!」


 駆け付けたのは校長だった。ボスと数人、そしてタカカミの合間に割って入る。


「大丈夫か――」


 校長の視界映ったタカカミは全身に靴跡を残し、顔からは腫れた個所から血を流して呼吸も絶え絶えの状態だった。後から駆け付けた教員が彼を




「お前!!自分が何をやったのかわかっているのか?!」


「うるせぇ!こいつが父をからあんなことになったんだ!!」


「唆した?」


 彼の取り巻きがニヤついてうんうんと頷く。その光景に校長は不気味さを覚えながらもボスは話を続ける。


「ワイドショーの解説やSNSで言ってたのさ。これはおかしいと。きっと息子が何かしたっていう説があるって」


「そんな出鱈目を信じているのか!?」


「嘘でもいいだろあいつのことなら!!嘘だって力だ!嘘を持って俺はアイツを――」


「このクソ野郎!!」


 校長のクソ野郎という言葉に周囲は沈黙した。先ほどまで恋人を失って荒れていたボスですらも。


「何が嘘でもいいだ。嘘を信じるのはバカだ。デマに推測にあおられる奴をバカと呼ぶ以外に何がある!?お前はなんて恐ろしいことをしたんだ!!お前の進学の件はなしだ!!」


「な――」


 どよめきが起こる。

 嘘に踊るものはどんなものよりも醜く許されざる者である。嘘を吐いてあおり笑うものはもっと醜く許されざる者である。

 部活の成績が優秀な彼の推薦をなくすというその決断はかなり影響し、周囲に沈黙が流れる。


「そ、そんな待ってください――」


 急に弱気になったボスをよそに集まった一同に向けて校長は視線をやる。何も言わぬうちにその目が彼らを離散させた。


(ああ……これはひどい)


 校長は先ほどまでタカカミのいた場所を見る。かすかに残った血痕に苦い顔を浮かべた。

 

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