Ep0-4
その年の秋は寒かったのをタカカミは覚えている。二年生になって十月の終わり。ある日の登校時間。
「なんでこんなに寒いんだか」
寮から学校までは歩いて数分もかからない距離にあった。だがそれでも彼にとってその寒さは響くものがあった。
(あ。もうすぐ十一月ってことはあの大学のオープンキャンパスあったよな?確認しないと)
ふとそれを思い出すとタカカミは進路相談室へと向かっていった。
進路相談室。貞凪高校に設置されたそこは大学進学だけでなく就職に関する資料が揃っており、十月のこの時期であれば願書が室内の出入り口に揃っており、オープンキャンパスのチラシもその前から各大学ごとに張られているのだ。
朝早くからでも解放されているその部屋に入った時だった。
「ん?なんだ?」
何か声がした。布の擦れる音、男女の声――
(うわぁ……これって)
声色からしてそういうことをしていると察知したタカカミはいったんその場を去ろうとした。その時である。
「おはよう」
後ろから声がした。九月に生徒会長になったリーダーだった。
「あ、ああ。おはよう」
「どうかしたのかい?」
「なんでもない。じゃあな」
タカカミはバツが悪そうにその場を去った。
(どうしたんだろう――)
リーダーが進路相談室の奥に足を入れようとしたとき、あわただしく二人がリーダーの前に現れる。片方は『ボス』と呼ばれている男だった。
「リ、リーダーじゃん。どうしたのさ」
「君たちこそどうし……アアソウイウコトデスカ」
男女二人の服の具合で判断する。
「ちがうちがう!マジで本当に!!」
「そうよ!こんなのと私がやるわけ――」
「やめなさい。見られてたよ、多分」
「……まじ?」
ボスとその彼女はリーダーよりタカカミが二人の行為を見ていたと話した。それを聞いたとき、二人は舌を打った。
「言っておくけど……君らにも問題はあるからね?」
「そう……だな」
リーダーの意見にいかついボスもその彼女も従順だった。
理由は単純でリーダーがスクールカースト最上位の男で二人はその一つ下。そう捉えていたからである。
「にしてもあの野郎」
タカカミの歩き去った方をボスが睨む。彼女は怯えていた。
「ど、どうしよう。盗撮されていたら」
「関係ねえ。そん時は全員で殺す」
「大丈夫だと思うよ。遠くから彼の一部始終見てたけどものの数秒だったから。スマホ取り出してるところ見てなかったし」
「マジ?ありがと~。リーダーの彼女になろうかしら?」
「おいこら」
「冗談よ」
リーダーがコホンと咳ばらいをする。
「とにかく二人は服装ちゃんと直して。それじゃ後で」
そういうとリーダーは去っていった。女子生徒はボスに疑念の目を向けた。
「何でリーダーってあのがり勉かばうのかしら?」
「リーダーだからだろ」
「あ、確かに。天才じゃん」
一方で朝の騒動にタカカミは授業開始前の教室でどこかバツが悪そうな顔をして椅子についていた。
(小説でああいうことして死んだカップル見たけど……まさか本当にいるとはな)
頭を抱えた。あんな馬鹿がいるとはと。
――あそこまでじゃないが……誰かいたら楽になるのか?
同時に何処か憧れがあった。
(いかんいかん。今は勉学に励まなくては。恋人云々はそれからだっつーの――)
「よぉ。お父さんとはうまくやれてるか?」
軽くなった頭がまた、重くなった。父が学校に来てからこれである。
「まあそうがっかりするなよ。きっとよくなるって」
「……何がわかるんだよ」
「え?」
「お前に何がわかるんだよ!!」
タカカミの怒鳴り声が教室に響いた。しんと静かになった教室でタカカミに視線が集中する。その一本一本に視線を返すように皆を見るとそれらは何処かに外れた。
「……ああ悪かったよ」
父親のことでからかってきたクラスメイトはそう返すと顔を渋くして席についた。程なくしてその雰囲気を払うように授業開始のチャイムが鳴った。
その日の授業は淡々と進んでいく。タカカミの心はどうにも荒れていた。
――見下されているから?何も手にないから?本当の意味での理解者がいないから?
答えはその全部。だから彼はその日の起源は悪く、いつもからかう者たちも彼のその雰囲気にどこか恐れを覚えていた。
(……今日は倉庫でバイトがあるんだ。いつまでも子供みたいにむくれるんじゃない)
放課後、彼は真っすぐにバイトへ向かって汗を流してその日の仕事を終えた。不思議とその日は集中力があったがどうにもヘトヘトになった。
(そうだ。この時間だ。今、この時間こそが俺に一番必要な時間なんだ。研磨して磨く武器のように輝いて見せなくては社会に出ても誰も必要としてくれない!ここに勉強を重ねて俺は『良い社会人』になって……本当の居場所を手に入れてやる!!)
帰り道。学生寮近くの最寄り駅で降りて寮を目指して歩いていた。
その途中の公園に差し掛かった時である。
「おーい!!」
公園の方から声がした。タカカミは苦い顔をした。そこにいたのが父親だったからである。
「何だよ一体……」
無視は可能だったが昔の姿を知っているのでそれはしなかった。疲労からの苛立ちを抑えながら彼は公園のベンチに座っている父に近づいた。よく見ると近くには何かが入っているビニール袋があった。
「なあ。これなんだと思う?」
父はその袋を手に取るとうきうきとした気分でタカカミに中身を見せた。
「……なにこれ」
タカカミは中身を確認した。袋には箱が二つ入っていた。
「最近のゲーム機って高いだろ?だから買って来たんだ!それも二つな!!」
両方ともゲーム機。それを聞いた時、雷に打たれたようにタカカミは固まった。
「どうだ?いいだろ?住んでる寮こういうのありって聞いたからさ。でもずっとバイトで生計立てるのがやっとだって聞いたから俺奮発して――」
「ふざけんなよ」
今度固まったのは父だった。タカカミの怒り交じりのその回答に殴られたかのように急にしんとなった。
「なにがゲームだ……なにが奮発だ!!」
渡されたその箱を横に投げると父にとびかかって数発の拳を浴びせた。
「俺が今までどれだけ苦労したと思ってるんだ!!俺がそこから立ち直りたいと願っているのを知っていながらこうしたのか!!てめぇふざけんじゃねぇ!!」
ふるう速度が速くなる。その間、父はずっと殴られっぱなしだった。
「俺は上に行くんだ。今以上に!こんなの渡してくるんじゃねぇ!消え失せろ!!」
タカカミは拳を止めると息を切らしてそこから立ち上がって公園から去っていった。ふらりと立ち上がった父は無造作に転がって凹んだゲーム機の箱を顔から血を流しながら拾い上げる。そしてしばらくベンチで固まっていると立ち上がって何処かへと消えた。
その目が何を語っていたのかは後に判明する。
悲しき事件の幕が開こうとしていた。
そんな出来事があってから数日後のとある休日。十一月某日、その日の夕方。
「なんだこれ?」
「ダンス動画。最近流行ってるから私もやってみたの」
折り畳み式携帯画面の向こう側では一人の少女が曲に合わせて踊っていた。流れてくるコメントの大半はかわいいだのダンス上手いなで埋め尽くされている。踊っている本人はタカカミの目の前にいた。
「携帯に動画入れたかったんだけどね。パソコン部の人に頼んで入れてもらったの。この携帯SDカード対応だからこういうの入るの。最近だと映画とかアニメとか容量次第で入るんだって」
「へぇ。そういうの見ないから知らんがすごいのか?」
「え?うん。凄いと思うよ。多分」
ああそうと言ってタカカミはため息を吐いた。
「で、本題に戻るが……バイトを教えてほしいって?」
「うん。できるだけ楽なヤツ」
その日、タカカミが学校近くの公園で休憩をしていると一人の少女が彼の座っていたベンチに駆け寄って来た。彼女はラグビー部のマネージャーで以前に彼が進路相談室でうっかり見てしまった人物。
――あんな事して見られてたかもしれないってのに呑気というか大胆というか
彼はマネージャーに呆れた表情をしていた。
「え?何か変なこと言った?」
「ああ、うん。そうだな」
缶コーヒーを飲み切って近くのごみ箱に捨てる。タカカミはカバンと紙袋を持ってその場を去ろうとする。
「え?あのバイト――」
「自分で探してくれ」
早々に去ろうと足を速めるタカカミにマネージャーは近づいて来る。
「ねーいいじゃん。その態度絶対穴場知ってるでしょ?」
「何言ってんだ?楽なバイトなんてねーよ。汗水たらして働け」
「えー……あ、でもキミってさ。体力あるよね?シャトルランの記録そこそこあるって部員が言ってたよ?」
「知らん」
「もー。ところでそれ何?」
「あ?これか?」
マネージャーが指さしたのは紙袋。タカカミがそれを開けると中から数冊の本を取り出す。
「参考書と著名作家の短編集と……後はまあ面白そうな本数冊かな」
「おー……渋いね」
「そうか?」
「うん。これ全部バイトで?」
「ああ。ここにいれば飯代は浮くし、こういうのも買える。将来の大学進学とかの為にも貯金できるから色々助かってるのさ」
「そうなんだ。ところで――」
マネージャーは折り畳み式の携帯電話を取り出すと少し操作してタカカミに画面を見せつけた。
「これどう思う?」
「なにこれ」
「ラグビー部で拾った犬。かわいいでしょ?」
「知らん」
「ぶー……そんなんじゃモテないし苦労するよ将来」
「ご忠告どうも。じゃあな」
再びタカカミが足を速めてその場を去ろうとしたその時だった。
「あ!それなら私が彼女になってあげようか?」
「はい?」
「いいじゃん。色々教えてあげるから。ね?」
「何を言ってんだお前」
あまりにも突拍子もない言葉に彼は豆鉄砲を食らったかのような顔になる。
「大体お前は……」
「え?何か問題?」
タカカミは進路相談室での一件を思い出していた。彼女がボスと何をしていたのかも。
「結構だ。じゃあな」
タカカミは足音を大きくして去っていく。マネージャーはその場に立ち尽くしていた。
「うーん……何かまずかったかしら?」
その時、彼女の携帯が震える。画面を見ると彼女は電話に出始めた。
「あ、もしもしボスー?今?公園。そうそう学校の近くー。あのね、さっきこないだ話してた彼に出会ってて……そうそう。彼。え?やめたほうがいい?輪を乱すって?まーそうかな……」
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