7.5 ある日のひそかな記憶

「これは何ですか?」


「あ?これか?」


 使い込んだ机の上を占める薄く長方形の機械をスズノカは指さしていた。そこにはマイクがついており、さらに何かを入れる箇所が二つある。


「テープレコーダー。ああ、古いから知らんよな」


「どうしたんですか?これ」


「ああ、勝って来たついでに買って来た」


「……えっと?」


 スズノカが無表情で首を傾ける。タカカミが苦笑いで話を続ける。


「博打に大勝ちしてな……リサイクルショップ行ったんだよ。そしたらなぜかこれがあってさ。気になって買ったんだよ。アンティークには程遠いが悪くはないだろ?」


「はぁ。そういうものでしょうか」


「そういうものなんだよ」


 タカカミは机の横にあるキャビネットの引き出しに手をかける。するとそこには未開封の黒のカセットテープが数点入っていた。


「これは?」


「ついでに買って来た。いやぁまさかあんなに勝てるとは思ってなかったからな」


「そうですか。主観ですが、ギャンブルに使うよりははるかにましだと思います」


「それ褒めてる?」


「さあ?」


 シニカルに笑う彼女を視界に捉えた時、タカカミは固まった。同じくして彼女も彼の表情を見て固まる。すると彼女の方が先に表情をいつもの無表情にして彼に向き直った。


「そのリサイクルショップとはどういう場所なんです?」


「え?ああ、行ったことない?」


「はい。どういう場所なんですか?」


「中古品販売やってるとこだよ。食器、家具、一昔前の家電とかさ。後は古本屋とかついてる」


「古本屋……あなたが言っていた例の?」


「そうそう。有名作家の短編集とか本とかそこで買ってるよ」


 タカカミが指さした先には本棚が置かれており、中には数十冊の本が並んでいた。中古の本なのか、いずれもどこか傷みのある本ばかりだ。


「本、結構ありますね」


 興味津々にスズノカが本棚を見る。


「ああ。行ってみるか?」


「行ってみるって……」


「その店だよ。色々あるぞ?時間つぶしには少しはなるぜ?」


「……はぁ」


 タカカミに手を引かれるように彼女はその提案に乗った。

 その時ばかりは儀式の担い手と管理者という関係性は忘れ去られていた。






「ここが……」


「そう。例のお店」


 昼下がり、二人はタカカミの住んでいるマンションから徒歩数分にあるリサイクルショップに足を踏みいれていた。

 店内入口には大きな正方形のダイニングテーブルが置かれており、奥に進むと今度は椅子とテーブルが彼女を迎えた。また、さらに奥には小鉢、お椀といった食器や冷蔵庫、電子レンジ、ワインセラーといった家電がずらりと並んでいる。


「古本コーナーは二階だ」


「二階建てなんですね。この建物」


「ああ、元々は古本屋だったらしいが色々あって今は生活グッズも取り扱うようになった。たまに掘り出し物でパソコンとか最新家電が安く並ぶこともあるんだが……今日はないか」


 掘り出し物コーナーを確認したがタカカミが興味を引きそうなものはなかった。ちなみに並んでいたのはかつて名を馳せた有名アスリートのサイン入り目覚まし時計である。


「こっちだ」


 スズノカは言われるがままに二階の階段を登る。するとそこには本棚に敷き詰められた無数の本があった。一部が棚からはみ出てはいたがかえってそれが彼女の興味を引いた。


「こういう場所があったんですね……」


「普段何処で買い物してんだお前」


「それは言えません」


「へいへい」


 並ぶ本棚の奥にタカカミは足を踏みいれようとしたその時。


「そうだ。お前さ、一冊適当に取ってくれないか?」


「一冊……ですか?」


「ああ、一冊。予算は千円」


「買ってくれるというのですか?」


「いや俺向けに選んでって話」


 沈黙が流れる。そしてハッとしてタカカミが口を開いた。


「ああ悪い悪い。お前も選んでいい。自分の分」


「千円以内でですか?」


「いや五百円」


「…………わかりました」


 熟考の果て、彼女はそれを受け入れた。

 数分後、タカカミの手には文庫本が二冊あった。


「今日はこういうのでいいか。そういやアイツどこ行った?」


 さほど広くない古本屋コーナーの中で彼女の姿を探す。


「お待たせしました。これでお願いします。私は左手の分。貴方の分は右手の方にあります。」


 客向けに設置された小さいカゴを両手に二つ持ってスズノカが姿を現す。


「おう。なに選んだ――」


 左手と右手のカゴそれぞれに視線をやろうとした。だが視線は右手のカゴ……つまりはタカカミ向けに選ばれたモノに向いたままになっていた。


――うさぎのジョンとおうごんのほし


(絵本!?)


 思わず吹き出してしまった。笑いをこらえ、収まるとそして彼女にその絵本を指さして向き直る。


「なるほど。こっちがお前さんが欲しい本だな?」


「あなた向けに選んだ本ですが?値段もちゃんと予算以内ですが?」


 無表情で言われた。タカカミは固まったままになる。


――なかなかジョークセンスあるなコイツ


 その意外性に感心した。





「お前が自分向けの本で選んでたやつなんだが」


「はい?」


 店を出ての帰り道。紙袋から除く絵本の中にあった二冊をタカカミが手に取って確認し、『あーやっぱり』と言ってそれを袋に戻した。


「それ、家にあるぞ」


「いえ、私の家にはありません」


「じゃなくてだ。俺の家にあるから持ってけって話だ」


「……ああ、そういうことでしたか」


 『失敗したな』とタカカミは呟く。


「返品手続きしましょうか?」


「いやいい。つか基本中古品だから出来ないからね?」


「すみません」


「いいよ別に」


「ところで一つよろしいでしょうか?」


「なんだ?」


 少し沈黙を置いてスズノカは質問を投げた。


「なぜその絵本を買ったのですか?」


「お前が選んだからだろうがっ!」


 大声が帰り道に響く。それをきょとんとして聞いているスズノカ。


「……まあいいさ。この手の本。あまり読んだことなかったからな」


「読んだことがないと言いますと?」


「物心ついたガキの頃は図書室行ったとしても自分より小さい子供向けだって思ってロクに読まなかったからな。ちょうどいい」


「そうなんですか?小さい時は何を読んでいたのです?」


「あー……短編集かな。後は普通に冒険譚やら探偵モノとかか?」


 前を歩くタカカミの足が止まって絵本を取り出す。


「けど今は違う。こういうの集めてる大人とかってのがいるのを聞くようになったからな」


「ええ。確かに希少品とかであればコレクターが集めていると言いますし――」


「いやそういう事じゃなくてな」


 情緒ぶちこわしのスズノカの意見にがっかりして本をしまうとタカカミは足を速めだした。


「どうしました?」


「なんでもねえ。とりあえず家戻るぞ」


 タカカミが足早で向かって三分後。自宅に入ると彼女向けの本を渡して紙袋を食卓の傍らに置いてその絵本をまじまじと食卓の上で読み始めた。


「……どうでしょうか?」


 『ふむ』と声を漏らしつつ、タカカミは絵本の世界に没頭していた。スズノカは邪魔しないようにと部屋の隅にいた。

 十分後。彼は本を閉じるとため息を吐いてそれをぱたりと丁寧に閉じた。


「絵本集め……悪くないかもしれん」


「気に入ったのですか?」


「ああ、絵の芸術はわからんが……こういうのならわかるかもしれん」


「気に入ったのなら幸いです」


「最初はコイツいかれてんのかって思ったがなかなかいいチョイスするなお前さん」


「もう選びませんよ?」


 『冗談だって』と言って彼は席を立つとインスタントコーヒーの瓶を開いてコーヒーの準備を始める。カップは二つあった。






「聞いていいか」


「なんでしょうか?」


 コーヒーの匂いが室内に広がる頃、スズノカは買ってもらった本から視線をタカカミに移す。


「なんで今日……俺に付き添った?」


「それは……成り行きというモノでしょうか」


「成り行きねえ」


 深夜に差し掛かったころ、コーヒーを一口飲みながら彼はスズノカをじっと見る。彼女の眼鏡が不意に光るとこっちを見ていた。


「何か問題でも?」


「いや……俺にはついてきたなと」


「何がです?」


「ほら……前のビリマルだったか?お前とデートしたいって言ってたの」


「今回の買い物がデートであると言いたいのですか?」


「ああ……どうなんだろうな」


 ぎこちない沈黙が流れる。コーヒーを互いに飲みながら時間が経過していく。


「まあいいさ。また選ぶの手伝ってくれるか?」


「それは……えっと。今回のはちょっと例外というか、その――」


「ああいいぜ。もうなしでいい」


「……はい。すみません」


 しばらくして出されたコーヒーを飲み切った彼女は彼に挨拶するとその場から消え去った。タカカミは食卓から立ち上がって残ったカップを洗面台に置き、今度はソファーに座る。先ほどスズノカが座っていた場所だった。


「なんでアイツ、今日付き添ったかなあ」


 手には絵本があった。彼はそれをもう一度開き、その世界に飛び込んでいった。






――どうして今日、あの人と過ごしたんだろう


 夜、スズノカは何処かのファミレスにてタカカミと過ごした今日を思い返していた。その手には本があった。


「……私はどうしたいの」


 買ってもらった本を彼女は眺めていた。自身の人生を語った、有名作家のエッセイを。


(私は……いや何が起きているの?)


 料理が来るまでの間、脳裏で自分の変化を模索していた。


――スズノカさん、ファミレス行かない?あんまりそういうことばっかりだと疲れちゃうでしょ?


 その言葉は鋼鉄正義の秘術を持っていた鉄島純一から発せられたもの。


――結構です


 彼女はそれを即座に断った。既に悪人側の数人が倒れた頃の話。


(あの方と恋愛したいわけじゃなかった。でも……)


 本をテーブルの上に置く。そして胸に手を当てる。


(私は……もしかして――)


「お待たせしました。こちらミネストローネでございます」


 彼女の前にミネストローネが運ばれてきた。スズノカは店員に礼を言うとそのスープを机の上に置いてもらうために本をカバンにしまう。


(今は……しまっておきましょう。全部を――)


 スープを口にして内にある感情ごとそれを飲み込んだ。

 その時、彼女の内で何かが溢れそうではあった。


 


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