1-1 四月・始まりを告げる硝煙

 人類が滅んだ時よりも前に時は遡る。

 それはまだ彼が人として生活していた頃。


「クソッタレが!」


 四月のある日。道路脇に唾を吐き、苛立ちを隠せない青年がいた。彼の名は昏仕儀タカカミ。今年で二十七歳になる男性。職業はフリーター。彼は着ている青のロングコートのポケットに手を突っ込みながらぶつくさと今日の昼のギャンブルの内容を歩きながら振り返っていた。


「なんで激熱が四回も外れんだよ……絶対アレ遠隔だろ。あんなにハマるなんておかしいだろクソが。こないだ少し勝っただけなのがそんな中に食わないかクソッタレが。そこまでして俺をオケラ君にしたいか……クソクソクソ――」


 端的に言ってしまえば彼は給料日を迎えたその日、あらかじめバイトを休んでパチンコ屋に向かった。そしてオケラ――要は何も得られず財布を空にして完全な負けを喫したのである。


「なんで勝てないんだよ……おかしいだろ。俺だけおかしいだろ」


 悔しさと怒りの入り混じったその表情から発する愚痴を吐くその様はただただ不気味であるのは確か。醜悪にも見て取れるその態度は近くを歩いていた男子学生はそんな彼を見て目を細めながら彼から距離を取るように離れた。一方で徳朗はそんな彼に気づくが特に何もせずにいた。ジャケットの下で拳を握りしめていたが。


「俺の人生だけ不幸まみれなのがそんなに楽しいか神様よ……」


 家までの帰路の途中で開かれていた自販機の近くに差し掛かると彼は気分転換に缶コーヒーを買おうとして財布をポケットから取り出して開く。所持金三百五十円。預けた分があるとはいえ、彼は一瞬ためらった。ちなみにギャンブルする前に入っていた財布の中身は六万円以上はあった。


「……まあいいか。どうせ百十円だし」


 乱雑に自販機に金を入れてボタンを乱暴に押す。出されたコーヒーを一気飲みすると彼はそれを近くに設置されたゴミ箱に放り込んだ。


「今月何して過ごすかなぁ……」


 一か月分の娯楽費用の大半を一日で溶かしてみせた彼は一転して憂鬱気味になる。自宅のアパートは結構古く、ドアに郵便受けが付いておりそこには今月の光熱費各種の支払い用紙が丁寧に入れられていた。むすっとした態度で彼はそれを手に取るとそのまま家に入ってそれをベッドに放り投げた。


「……なんでこうなるかなぁ」


 使い込んだ椅子に腰かけ、古い木の机の上でうなだれる。今日が終わったらまた明日から仕事。タカカミ曰く、ギャンブルに大敗した次の日の仕事はとても辛く感じるという。


「隣のジジイなんだよあれ。ふざけんな。なんで座ってすぐにバカスカ稼いでんだ畜生」


 椅子の音をギシギシと鳴らし、ぐちぐちと言いながら彼は部屋の中心に視線を向けた。するとそこには女が一人立っている。


「……え?」


 彼女を認識したその時、タカカミはぎょっとして固まる。それまでギャンブルでタコ負けした事で怒りと不満が募っていた彼の感情は暴風のごとき衝撃によって吹き飛ぶ。

 静かに、確かに。そこに一人の女性がいた。


「え、ちょ、ちょっとまって。きみ……」


 いきなりの状況に言葉が流暢にしゃべれなくなったタカカミは慌てて部屋の周囲を見渡す。


「どっから入ったの?」


 だがどこからも入った形跡は無かった。

 そこにいたのは二十六歳のタカカミから見て若いと思える女性がいた。見た目は長く黒い髪をストレートに伸ばしており、黒の眼鏡をかけて頭には白のカチューシャを付け、白のフリルのついたロングスカートに青空のような色をしたシャツを着こなして全く知らぬ者が住むマンションの一室にいても落ち着いた範囲を醸し出していた。


「急にすみません。私はスズノカと言います。あなたにこれを私に来ました」


 スズノカと名乗った彼女は突然タカカミに向けて自身の手を差し伸ばした。何もなかったはずのその手から光とともに薄い長方形の物が現れる。


「なんだ?」


「お受け取りください。あなたは選ばれたのです」


 仰天するタカカミの前で彼女は無表情で彼を見ていた。驚き固まるままの彼であったが、現れたその物体にそっと手を伸ばす。そしてそれはタカカミの手に渡る。


「選ばれ……た?」


 現れたそれをタカカミはしかめた顔で見ていた。

 昏仕儀タカカミの手にあったのはノートでサイズとしてはA4程の大きさ。表面も裏面も墨のように黒く、はらりとページをめくるとそこには何も書かれていなかった。


「なんだこりゃ?ノートか?」


「はい」


「で、これで何をしろと?」


「称えられし二十五の儀式。あなたにはそれに参加してもらいます」


「なんだそりゃ?称えられし二十五の儀式ってのは?わかりやすく説明してくれよ。こう……わかりやすく一言でさ」


「はい。一言で言えば殺し合いです」

 

「おお。言えるじゃん…………って、ハァ!?殺し合いだぁ!?」


「はい。それが儀式を進めるにあたって重要なノートになります」


――あっさりととんでもないこと言いだしたぞ。この女


 彼女の淡々とした言葉に含まれた『殺し合い』という単語に、タカカミは硬直せざるを得なかった。


「へ、へぇ……」


 しかし固まったままでいるわけにもいかず、タカカミは問いかける。


「で、このノート名称とかあるの?何ができるのさ?」


「あるとするなら『称えられし二十五への帳簿』です。ノートでも構いません」


「称えられし……二十五?さっきから言ってるそれってなんなんだよ?」


「はい。詳細は長いので後で説明します。まずはそのノートを開いてください」


「え?ああ――」


 言われるがままにタカカミはそのノートをめくる。タカカミはそのノートの厚さに少し厚みを感じていた。


(……久しぶりだな。こういうの触るのって)


 顔がどこか憂いを帯びていた。いつの間にか困惑から落ち着いていた彼は開いたノートを眺めた。そこには線も何もなく、ただ真っ白な世界が広がっていた。


「これは……一体なんなんだ?ノートなんだよな?俺に一体殺しで何をしろってんだ?そもそも何が起きたんだよ?」


「あなたは選ばれました。『称えられし二十五』の内の一つに。『悪人』側の最後の一人として。あなたには嫉妬より生まれた能力が与えられます。今から――」


「待て待て待て。そんな急に言われてもわからんっての!」


 落ち着いていたかに見えたが、彼女の言葉で一気に自分の状況がまたわからなくなってタカカミは彼女に突っ込みを入れる。


「つか俺が悪人だと!?」


 仰天して彼は大声を上げた。


「第一ふざけんなよ!!俺が一体何をしたって――」


 突っかかろうとしたその時、タカカミは固まった。


「……どうかしましたか?」


「あ、えっと……それで……」


 強気な姿勢から一転し、苦い表情を浮かべて椅子に座って縮こまる。その間に流れるぎこちない空気が流れた。それを肌身に感じてから彼は話を切り出す。


「それで、誰を殺せっていうんだ?」


「これと同じノートの所有者です。それが今から二週間後に、それからは三十日前後にやってきます。詳しいルールはそのノートに記載してありますので」


「え?でもこれ何も書かれていないぞ?」


「ルールのページを探してください」


 彼女は無表情でタカカミの持つノートを見つめる。


「そんなこと言われてもな……」


 片手で頭を抱え、やれやれと言わんばかりに彼はノートをめくる。


(……ん?)


 はらりはらりとページをめくったその時、文字の書かれてあったページがタカカミの前に姿を現す。


「あれ?さっきまでこのノート全部白紙だったはずじゃ?!」


「はい。そのノートには持ち主の思考を読みとってほしい情報を、この儀式に関する情報を写す力があります」


「いわゆる……オーパーツとかってやつか?よくわからないけど」


「そう思っていただいて結構です。あなたにはこの戦いに参加できる資格があります」


「参加しなかったら?」


「特にありません。今この出会いに関する記憶を消し、貴方は元の生活に戻るだけです」


「そうか。で、ルールってのはこれか」


 ページをめくるとそれらしき項目を開いた。


「はい。それがあなたに開示されているルールになります」


 『ふーん』と言ってタカカミはそこに書かれてあったルールに目を通し始めた。


 一:『正義』と『悪人』はそれぞれ十二人ずつのチームで構成される。


 二:さらに一名、『絶対審判』の秘術を持つ者をシステムより選択する。儀式の対象に選ばれた人物にノートと秘術を授ける役割と儀式の進行や環境の管理を取り仕切る者とする。


 三:戦いの人数は『正義』と『悪人』チームそれぞれより代表者を一人ずつ選抜して戦う一対一の形式を採用する。


 四:儀式の戦いの終了条件はどちらかが死亡するか逃亡して死亡した時、あるいは両者死亡の場合になる。


 五:片方の十二人がすべて死亡した時、そのチームは敗北となる。


 六:勝利したチームのその時点での代表者の人間には『蒼き星の神』たる資格を授ける。


 七:代表者は勝利時と選抜時に次の戦いまでの報奨をその者に見合った分で受け取る権利を持つ。


 八:代表者同士の戦いは両陣営の代表者が決定し、準備期間を経て発生する。


 九:儀式に関する資料は渡されたノートで再度参照することができる。代表者は自分自身の能力を参照することができる。


 十:儀式に参加するものは審判によって決められる。


「……えーっとつまりだ。このずらりと並んだルールによれば――」


 ノート内に浮き出たルールを何度か読み返してタカカミは彼女の方を向く。


「もう少ししたら戦いが始まるんだよな。それまでのお金……なのか?ルール七に書いてあるけど。そういうのはくれるってのか?」


「はい。差し上げます。こちらです」


 淡々として肩に下げたピンクのショルダーバッグから茶封筒が一つ取り出される。

タカカミはそれを受け取りると最初に厚みを感じ、その中身を取り出す。


「……なあ、今更だけど俺って夢でも見てるの?」


「夢じゃありません。それはシステムがあなたに参加したことへの報酬として渡されるお金です」


「いやそうじゃなくて」


――これから人を殺す。しかも自分が殺される可能性もあるというのに。それ故に渡されるお金。少ないわけがない


「ああでもそうか。そう、だよな?」


 タカカミはそれをいつの間にか震えた手で受け取っていた。


「……マジか、これ。いくらだ?」


 封筒の中身には金が入っており、タカカミがそれを手に取ってみると改めてその厚さに仰天する。一枚一枚を確認する折、彼の手に顔からしたり落ちた汗が着く。


「参加するのであれば、あなたにはファイトマネーとして参加時と月ごとにその分が渡されます。このゲームが続き、生き残っているその時まで」


「このお金で一人殺せってのか?」


「儀式を管理しているシステムが当人の能力などを査定し、決めた額です。一戦ごとに対象者にふさわしい前金がファイトマネーとして支払われます」


「なぁ、その戦いってのはやっぱり相手を殺さないと絶対に終わらないんだよな?」


 タカカミが恐る恐る彼女に尋ねる。彼女はタカカミの顔に視線を当て、重い表情で答える。


「そうですね。どっちかには死んでもらいます」


 彼女は相変わらず無表情であった。

 その時、げんなりした表情でタカカミであった彼は顔をしかめた。何か考えを脳裏に走らせていた。


「……タカカミ様?」


 あまりにも長い沈黙故に彼女は思わず彼に声を掛けるほどだった。


「そうか。でもいいさ――」


 スッと立ち上がり、タカカミは笑っていた。そしてスズノカの方を向く。


「ようはこれから来る十二人全員ぶっ殺しやいいんだろ?いいぜ。やってやるよ。それでいいんだろ!?」


 突如怒鳴り声を吐き出した。スズノカは歪ませた顔の奥に見えたタカカミのぎらつく怒りに眉一つ動かさなかった。


「はい。それではここに儀式参加への契約を結びます」


 スズノカが開いたノートから光が溢れる。そのノートは白かった。


「その時になったらお呼びします。それでは――」


 突如、光が彼女を包む。そして彼女は姿を消した。部屋にはタカカミだけが残った。


「……夢じゃいないよな?」


 手に持っていた札束の重みを感じ取り、彼は今起こったことが現実であると理解する。


「これで人殺せ……か。安いのか?これ?」


 手に持った札束の重みを感じ取りながら彼は疑問を走らせる。


「まあいいや。それよりもこっちだ。さて、俺の能力はと――」


 お金を一度机の上に置き、タカカミは渡されたノートを開く。そこにある自分の能力を確かめるために。


 その時は戸惑いはあった。だが彼の儀式への興味はノートをめくる速さとその目の素早い動きが示していた。


(もし資格ってのが……蒼き星の神っていうのが本当に授かるっていうのなら……やってやるさ。蒼き星の神ってのに俺はなってやる。それで俺は……過去に、今に決着をつけてやる!!)


 決意の後、大きな笑い声が部屋に響く。太陽を遮っていた雲がずれて部屋に光をもたらす。

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