ロンダ ー祝福の午後ー

神父は黒い袖を大きく振りながら、ザブザブと川を進んでいく。

この辺りの川底は浅く、流れも緩やかである。濡れることを厭わなければ渡渉は容易であった。


「戻りなさい!」「神父様!」


騒ぎ声を無視して進む神父の背中は、どんどんと小さくなっていく。


「おい、誰か連れ戻しに行けよ……」「み、見ろ! 着いたぞ」


皆がどう動けばいいか分からず、慌てふためく中、気づけば神父は対岸に到達していた。ぼうぼうに生えるイグサをグッと掴み、びしょびしょの体を川から引き揚げる。

その瞬間を誰もが黙って見守った。


一秒、二秒。

神父が上陸して数秒が経過する。


ガサガサッ


その時、大量に茂るイグサが大きく揺れた。

夢亡ナイトメアか? 誰もがそう思い、神父の凄惨な末路を覚悟した。


だが、飛び出したのは一匹のバッタであった。


「あ……」「え……?」「嘘……」


「皆さん! ご覧ください!」


神父が両手を広げ、大声を張り上げる。


夢亡ナイトメアは、もう居ません!! 夢亡ナイトメア、居ないんですよ!! ほら!!」


くるくるとその場を回り出す神父。イグサを引っ張ったり、手を大きく振ったり、足を踏み鳴らしたり。何をしても、夢亡ナイトメアは姿を見せない。


少し遅れて大歓声が巻き起こった。

「う、うわああああああ!!」「やったぁあぁあぁあ!!」「奇跡だぁぁああああああ!!」


全員、無我夢中で川を渡り、ベント・デルタに次々と上陸していく。口々に祝いの言葉を叫び、誰もが顔を紅潮させていた。

ロンダはその光景を見て、視界が滲み、口許が弛んだ。

辛い戦いが報われた瞬間だった。



「皆様、よく聞いてください!」


神父が声を上げると、ベント・デルタに集まった人々の注目を集めた。


「トレミシアに夢亡ナイトメアが出現して以来、我々は先の見えない漆黒の道を歩き続けてきました」


神父は低く、よく通る声で続ける。


「しかし、その道には今、光が差し込みました。絶望の夜は明けたのです!」


神父の発言に、人々が強く同調する。

両親と合流したロンダも、神父の演説をしんみりと聞いていた。


「そして光をもたらし者……今日という朝を迎えることが出来たのは、全て彼女のお陰です!」


神父はロンダを指差した。


「ロンダ! 前に!」


即座にロンダへと注目が集まる。ロンダはキョロキョロと回りを見て、俯いてしまった。だが、母親がそっと背中を押し、ロンダはおずおずと神父の近くに立った。


「ロンダ、よく頑張りましたね」


「いえ……」


「私は彼女のことをよく知っています。幼い頃から人前に出るのが得意じゃなく、内向的な性格でした。しかし彼女の内には故郷トレミシアを想う強い心があり、また実に芯の強い一面がありました。来る日も来る日も彼女は夢亡ナイトメアから故郷を取り戻すため、神を信じて祈りました。例え他人から何と言われようとも」


「俺……あの子こと誤解してたよ」


神父の言葉に胸打たれた者が、ポツリと呟いた。

大衆のロンダを見る目が徐々に変わる。そして神父は自分のことをずっと見ていてくれたのだと、ロンダも心から嬉しく思った。


「そして彼女の祈りは実を結び、伝承の通り遂に伝説の勇者様は現れたのです。ロンダと勇者様がこの地に平穏を取り戻したのです! ロンダに拍手を!」


喝采の拍手がロンダに向けられた。

ロンダはぎこちなく手を振る。

彼女自身求めていた光景であったが、いざその時が来ると自分には過ぎた歓待だな、と頬をかく。


「そしてロンダの活動を献身的に支えたご両親……ロマンド、メリザ夫妻にも盛大な拍手を!!」


ロンダの両親もまた大きな拍手をもらい、母メリザは涙を流した。

ロンダもそれをみて嬉しくなる一方で、周囲に微笑みかける父を見て複雑な感情を抱いた。



神父の演説が終わり、皆がそれぞれに祝宴を楽しむ中、神父がロンダに近付いてきた。


「ロンダ、服はもう大丈夫ですか?」


「あ……もう、乾いた」


「なら良かった。皆、ずぶ濡れのまま楽しんでるもんですから。風邪を引かないか心配で心配で」


「……でも仕方無い、かな。本当に皆楽しそう……」


「そうですね……」


ロンダが俯きがちに微笑むと、神父はロンダの背中を軽く叩いた。


「さぁ、戦いはこれからですよ。トレミシアは広いですからね」


「神父様、どうも」


ロンダと神父の前に、ジョッキを片手にしたロマンドが歩いてきた。後ろには笑顔の母メリザも着いてきている。


「あぁ、ロマンドさん。メリザさん。丁度いいところに」


「なんですか?」


「大事なお話があります」


神父はそういうと、ロンダに対して膝まづいた。


「ロンダ……今朝、私が貴女を自宅まで送り届けた時のことだ。その時既に私は確信していました。貴女が勇者様を呼び出したことを」


神父は膝まづきながら、ロンダの肩を両手で掴んだ。真正面からみた神父の顔は、いつもよりも一層皺が深くなっている。


「私はすぐに王都へ連絡しました。迎えを呼ぶために」


「何を、呼んだって……?」


ロマンドが思わず聞き返した。


「ロンダを聖女として王都に招待する、迎えですよ」


「え?!」


ロマンドとメリザが声をあげる。だが一番驚いたのはロンダであった。


「ロンダと一緒に王都に行かせてください。そして聖女降臨の祝祭を開くのです」

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