ロンダ ー緊迫の正午ー
お気に入りの紺のオーバーブラウスに着替えたロンダは、軽い足取りで家を出た。
「んんーっ……」
涼風を背中に受けながら、肘をグッと青空へ突き上げる。
麦藁の匂い。見渡せばあたり一面、収穫の終わった麦畑が広がっている。
見慣れてるはずのベントの風景。
何でこんなに新鮮で、特別に感じるんだろう。
ロンダは歩きながら考えた。
それは多分、私が今日までずっと下を向いて歩いていたから。
周囲の目を見ないようにして、両親と神父様以外の他者の声を遮断して。
ベントは私にとって大事な大事な故郷でもあり………窮屈で息苦しい鉄檻でもあった。
だけど、それも今日まで。
忌まわしい
私という存在も皆から受け入れられて、きっと今までの何倍も楽しくて、何倍も嬉しい生活が始まるんだ。
ロンダはでこぼこの田舎道を軽快に跳ねた。
向かうはベント・デルタだ。
表通りを抜け、ベント・デルタに近づくにつれ、ポツポツと人が現れた。
「あれ……」
道端の老人がロンダの顔を指し、口ごもる。ロンダは注目を集めていることを自覚しつつも、目をそらし通りすぎた。
狭い村とはいえ、ロンダは住人の顔と名前に明るくなかった。
多分、相手はロンダのことを知っている。
向こうだけが自分の名前を知ってるというのは、少々気恥ずかしい感じがした。
ロンダが衆目から逃れるように足早に進むと、人の数はどんどん増えていった。
凄い人だかり……!
ロンダは見慣れない光景に心臓が高鳴った。幼少期の収穫祭以来の光景だ。
周囲の囁きが次々に耳に入る。大衆は自分達が何で集まっているか分かっていない人が殆どだった。けれどもロンダは大衆の声色、表情からその感情を読み取った。
それは「期待」。
ベント・デルターーーベント最大の
ベント・デルタはイバラ川流域に広がる広大な湿地帯である。古くは漁師、農家がその自然の恵みに預かり、近代では水運業者が多数往来する、経済の主要地点であった。
しかし十年前に
ロンダは視線を動かし父と母を探した。
すると二人はすぐに見つかった。廃業した観光案内所の小屋の側で、数人の大人が二人を囲んでいる。
大人達は何かを言い争っているようだった。
「ロマンド、しかし今更……」
「駄目です。今日は解散しましょう」
「もうこんなに集まっちまったんだ。今更収まりつかねぇよ」
「……ワシが川を渡る」
「長老、いけません」
「そうだよ。長老じゃもしも
「もしも居たんじゃ、取り返しがつかないでしょう!!」
ロマンドが叫んだ。
緊張が伝播する。周囲のひそひそ話も止み、全員が黙ってしまった。
ロンダは大衆の「期待」が「不安」に転換されるのを肌に感じた。
それを証明するのは簡単なことだ。イバラ川を歩いて渡って、ベント・デルタに上陸すればいい。つまり、
川を歩いて渡るだけ。
ロンダは、それは自分の役目だと思った。
自分が川を渡りきったその瞬間、民衆は大声をあげ、歓喜に包まれるだろう。そしてベントの英雄となるのだ。
だがロンダは内心、その英雄の役は父親であるロマンドにやってほしいと思った。
勇者と共に戦ったのは実際にはロンダだが、ロマンドが川を渡ってくれれば、大衆の目に英雄として映るのはロマンドの方だろう。ロンダは目立つのが好きでは無かったし、何より……変わり者の娘の父親として奇異の視線に晒され続けたロマンドに、英雄となって報われてほしかった。
ロンダは勇者と共に戦った記憶を朧気に思い返す。
喜びも苦しみも、一人で背負うより、二人で分かち合いたい。
ロンダは父親と、英雄になることを分かち合えると思った。
だが、ロマンドは動かなかった。
回りの大人も黙ってしまい、ベント・デルタは大勢いるにも関わらず、水を打ったように静かになった。
ロンダは下唇を噛み締めた。
父は自分を信じてくれていないのか?
もし、このまま誰も川を渡らなければ、
私の努力も? あの苦しみも?
勇者様との思い出もーーー
「通してください、すみません、通して」
静寂を打ち破ったのは一人の男だった。
「この騒ぎは? 一体?」
男は近くにいた老婆へにこやかに語りかける。
「神父様……それがねぇ」
「ははぁ、そういうことでしたか」
老婆の説明を聞き終えると、頷きながら男はイバラ川に向かって歩きだした。
「神父様……?」
ロンダを含めた全員がその男……神父の動向を固唾をのんで見守った。
神父はただただ直進し、事もなさげにイバラ川へ侵入していく。
間違いなく、神父はベント・デルタに向かっていた。
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