5F
「でけぇ……」
俺は思わず口に出してしまった。
目の前で妖しく揺れる、巨大な影。
その正体は……3mはあろうかという、でかすぎる蜂の怪物であった。
ダンジョンも5Fまで来て、とうとう始まるみたいだ。
いわゆるボス戦が。
ボス戦。
5階、10階のようなキリのいい階数で出現する、ゲームであれば定番の高難易度フロアだ。
「しかしでけぇ、ありゃ自販機とかより大きいぞ!」
「下がってて」
「はい!」
女が俺の前へ歩みでた。
声は険しく、殺気だっている。
前のフロアから彼女は俺と敵の間に立つような位置取りをする。
俺がまた無茶な特攻をしないように気を配っているのだろう。
流石に俺もあんな巨大怪物を相手に殴り勝てるとは微塵も思わない。
大人しく彼女の後ろに下がった。
「ギギギ……ギギギ……」
巨大蜂は絶えず羽ばたき、その羽風がこちらまで届く。
生き物の腐ったような悪臭がし、思わず顔を背けた。
だが彼女は動じない。
髪が羽風でなびくのも構わず、静かに鞘から剣を抜いた。
睨み合う剣士と虫。
間合いはたっぷり。
俺は数秒、瞬きを忘れた。
先に動いたのは女だった。
「アロー!」
剣を素早く振り抜くと、そこから衝撃波が繰り出される。
剣技「アロー」は先ほど習得したばかりの新スキルだ。
飛翔する斬撃が蜂の足を数本捉え、そして勢いそのままに吹っ飛ばした。
「ギギギィ!!」
「やった! お見事!」
俺はガッツポーズをした。
「アロー」は剣士の彼女にピッタリないい攻撃スキルだ!
「まだ!」
彼女は構えを解かずにじりじりと蜂の周囲を旋回する。
蜂も足こそ飛ばされたが致命傷には至らず、不気味に飛行し続けている。
次も動いたのは彼女の方だった。
「アローッ!」
水平を描くような軌跡一閃。
横方向の斬撃が放たれた。
当たれば蜂の頭と胴体を切断する、とどめの一撃!
だがその時だった。
蜂の背中から大量の小蜂が沸きだし、巨大蜂を囲むように飛び回り出した。
ブチブチブチ!
小蜂が斬撃に潰される音が洞窟に鳴り響く。
結果、斬撃は巨大蜂に届くことはなかった。
小蜂は尚も沸き続け、巨大蜂を守る盾のごとく群れを成している。
「ギギギ……」
その時、巨大蜂が微かに光ったように見えた。
パァン!!
破裂音が洞窟内を反響する。
「うっ!」
女の呻く声と、何かが地面を転がる音。
何が起こったのか分からず立ち尽くす俺。
土煙が上がる中、女が倒れているのが見えた。
「大丈夫?!」
「かわした! また来る!」
彼女は倒れていたのではなく、四つん這いで臨戦態勢を維持していた。
土煙が上がる中心を見ると、そこには巨大な白い針が突き刺さっている。
「ギギギィ……」
巨大蜂の腹部が振動し、そこから白い針がもぞもぞと伸び出していた。
あれが巨大蜂の攻撃手段か!
腹部から発射される針キャノン砲。
俺の腕くらい太い針があの破裂音と共に勢いよく発射されて。
命中すれば……間違いなく死ぬ。
「ギギギ……」
発射までの間、少し溜めの時間があるらしい。一見隙だらけにも見えるが……。
「アロー!」
ブチブチブチ!
飛翔する斬撃はまたしても、飛び回る小蜂が肉の壁となって受け止める。
巨大蜂が針キャノン砲を発射するまでのチャージ時間がしっかり稼がれていく。
突然、小蜂の集団が投げ縄のように伸びだした。
進路方向は…俺に向かって来ている!
小蜂は守るだけでなく、戦えない俺への攻撃手段にもなるのか!
「私の後ろに隠れて!」
女が腕を振りながら叫んだ。
確かに女の後ろに隠れていれば俺は守ってもらえるかもしれない。
だが小蜂から俺を守っている間に巨大蜂の針キャノン砲はチャージが完了する。反撃も許されず、一方的に攻撃され続ける展開。
そうはさせない!
俺は女のいる方向とは逆に走り出した。
小蜂は縄状に伸び、俺を追いかけてくる。
「えっ!?」
驚く女に向かって俺は叫んだ。
「ファイアだ!」
「!!」
「ファイアで小蜂を退かして、そのあとアローで本体を攻撃すれば……!」
「分かった!」
彼女は二つ返事で呼応し、ファイアを連続で繰り出した。
ファイアが小蜂の群れに命中する。
炎は燃え移り、小蜂を大量に消滅させた。
やはり、小蜂にはアローよりもファイアの方が効果がある!
その時、巨大蜂を守っていた小蜂の数が明らかに少なくなった。
「アロー!」
女は体重を乗せて思いきり斬撃を放つ。
だがあとちょっとのところで小蜂が集まり、斬撃は防がれた。
気づけば俺を追いかけていた小蜂は居なくなっている。
思った通りだ。
「
俺は息を大きく吸い、呼吸を整える。
「薄くなった防御なら見たとおりファイアで崩せる! いいですか!」
「けど……それだと勇者様が危険に」
「俺は勇者なんかじゃない!」
彼女が一瞬ビクッとしたのが見えた。
「けど本当に勇者だって言うんなら、俺も戦います! 見てるだけなんて……嫌です!!」
俺の脳裏にはほんの数十分前の出来事……彼女が俺を庇って、痛みに苦しむ姿が浮かんでいた。
「勇者様……」
パァン! 再び破裂音が響く。
見れば女は転がるように倒れ、女がたった今立っていた場所には白い針が突き刺さっていた。
「だいじょうぶっ「大丈夫!」
女は素早く起き上がり、剣を構える。
「勇者様の作戦通りやる!」
俺と彼女の気持ちが、初めて一つになった。
なら俺もやるべきことをやるのみ!
「こっちに来い! 虫けら共!」
大量の小蜂が俺めがけて飛来する。
俺は腕を振り、必死に走り回った。
「ファイア! アロー!」
女の声が遠くから聞こえる。
走るのに必死で見る余裕がないが、これで倒してくれるのを必死に祈った。
だが走っても走っても、追いかけてくる小蜂は消えなかった。
それどころか。
耳障りな羽音が、ブブブブブと響く騒音がどんどん大きくなっている。
小蜂が増えてないか?
ファイアで本体を攻撃すれば、守りのために追手の小蜂は数を減らす。
その筈だったが。
俺は女の方を見た。
女は全くファイアを撃ってなかった。
集る小蜂に剣を振り回し、必死な形相ではたき落としている。
俺は理解した。
「まさか……魔力切れっ……?!」
ファイアを当たり前のように使いこなしていたから気にもしなかったが、魔法が無制限に使えるなんて都合のいいことがあるか?
考えてみれば彼女は剣士だ。
いつかのスキル選択肢に「魔力強化」というのがあった。
「魔力」はこの世界のパラメーターに存在する……そしてきっと彼女の魔力は高くない。
ダンジョンを戦い続ける最中、魔力が回復したと分かるイベントも発生しなかった。
そしてこのボス戦。
今、彼女の魔力はガス欠を起こした!
「ギギギ……ギギギ……!」
巨大蜂の腹部は脈動し、次なる針を用意している。
ファイアが使えないと俺だけじゃなく、彼女も小蜂に囲まれて逃げ場が無くなる。
俺は苦しい胸を抑え、掠れた声で叫んだ。
「作戦は中止だっ……! ファイアが使えないなら勝ち目がない……!」
兎に角、逃げなくては。
だがどこに? どうやって?
このダンジョンにギブアップという概念があるのかすら分からないのに。
だけどこのまま戦い続ければ俺達は……。
「あと一発!」
彼女の声に、俺は顔を上げた。
「ファイアはあと一発しか撃てない!」
絶望的な宣言だった。
「だから……」
彼女は纏わりつく小蜂を剣で振り払いながら、力強く叫んだ。
「走り続けて!!」
「!!」
俺は自身の顔面をはたき、自らを奮い立たせた。
「走り続けて」と言われたならば、俺は走り続けるのみ!
ブブブブブ!
ブブブブブブブブブブ!!
小蜂の羽音は最高潮を迎えている。
後ろを振り向いたら、どうなってるか想像したくもない。
だが俺は全てを賭けた。
彼女の「あと一発」に、己の運命を。
剣士は待っていた。
その瞬間が来るのを。
顔の周囲を飛び回る小蜂をはたき落としながら、だが目線は巨大蜂から離さなかった。
「ギギギ……!」
巨大蜂の腹部がこちらに向けられる。
針キャノン砲のチャージが完了したのだ。
「チャンスは……一度きり」
剣士は限界になるまで、自身の魔力というものを把握していなかった。
何故なら魔力を消費したのが、初めてのことだったからである。
このダンジョンで初めて「ファイア」を習得し、そして放った。
無制限に使えるものではないと理解しつつも、まさかこんなに早く限界が来るとは。彼女自身も想定外だった。
だから、「あと一発」。
「ギギギ……ギギギ……!」
巨大蜂の砲口がひくついた。
まるで勝利を確信したかのような、歓喜を含む鳴き声と共に。
その祝砲が放たれた。
「ファイアっ!!」
同時だった。
「アローっ!!」
巨大蜂が針キャノン砲を放つのと。
剣士が「ファイア」と「アロー」を放つのが、全くの同時であった。
ファイアは巨大蜂へめがけ発射された。
そして巨大蜂を守る小蜂の群れが、ファイアの前に立ち塞がる。
ファイアは小蜂の群れにぶつかり消滅……しなかった。
小蜂に当たった上で勢いは無くならず、そのまま突き進んだ。
この時ファイアが消えなかったのは、防壁となる小蜂の数が少なかったからである。
巨大蜂が針を射出する際、同士討ちを避けるために小蜂は本能で射線から僅かに外れる。
つまり針キャノンの射線上は、小蜂の防御をすり抜ける唯一の抜け穴なのである。
それだけではなかった。
剣士が同時に放った「ファイア」と「アロー」は重なり合い、混ざり合っていた。
即ち火炎を纏いし飛翔する斬撃。
スキル同士がシナジーを生み、ここにコンボ攻撃が完成したのである。
「
斬撃は白い針と激突した。
だが火炎に包まれた斬撃は白い針を衝突の瞬間に溶かし尽くし、何事もなかったように突き進む。
「ギ?」
燃える斬撃が、巨大蜂の体を真っ二つに引き裂いた。
「ギギギィィィィ!!!」
親玉を失ったことで小蜂の大群も消滅した。
洞窟内が振動する。
次の階へ進む扉が出現した。
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