第51話 祈り
昨夜までの雨は上がり、秋が深まった青空はどこまでも高かった。雨上がりの澄んだ空気は、身も心も引き締めてくれる。その少し冷たい空気を、
……今日こそ話そう!
昨日も話そうと試みたが、学校では柊とすれ違ってばかりだった。帰りも夏人は塾、柊は
『学校だと落ち着いて話聞けないから、明日の放課後マンションに来る?』
夏人の様子を悟った柊から、昨夜遅くLINEが来た。
『いいの?その方が嬉しい』
『もちろんいいよ。でもお前、塾は?』
『サボる!』
『へー。俺の恋人は随分と逞しくなったもんだなwww』
『強くてかっこいい彼氏の影響かな?www』
『彼氏かぁ。照れくさいけど嬉しいよ。あー!早く会いてぇ。そういえば、明日は冴子が家に居るけど大丈夫か?』
『冴子さんが居たっていいよ、話しするだけだから』
スマホに見入っている夏人の顔が、思わず赤くなった。
『おう。じゃ明日な』
『うん、おやすみ』
スマホから手を離そうとした瞬間『ピコン』と通知音が鳴った。そこには「I Love You」と書かれたスタンプが届いていた。
夏人の胸が、恋愛ドラマや漫画の主人公のようにキュンとした。恋をしている夏人は今、幸せに満たされていた。
「さて、行くか!」
夏人が勢いよく自転車を漕ぎ出した瞬間「ガチャ、ガチャン!!!」という大きな音と同時に、自転車が止まってしまった。慌てて確認するとチェーンが切れている。
……マジかぁ。困ったな、遅刻しちゃう。
父の
……確かこの時間だとギリギリのバスがあるかも。
夏人は自転車を玄関脇に戻し、急いでバス停に走った。
肌寒い朝にも関わらず、じっとりと汗ばんだ夏人を乗せたバスは、予定より少し早めに駅に到着した。あとは、今乗り込んだこの地下鉄が、定刻通り出発すれば遅刻しないで済む。
……よかった、なんとか間に合いそう。
ほっと胸を撫で下ろし、夏人は一番後ろの車両の入り口に立った。
と、その時。制服のポケットに入れていたスマホが『ブーブー』と揺れた。着信だ。
スマホを取り出し、画面を見た夏人はぎょっとした。
……え?
スマホの画面には『
……なんかあったのかな。
夏人は一旦車両を降りることにした。何か嫌な胸騒ぎがする。
「もしもし、菜々子ちゃん?どうしたの?」
夏人が出ると、菜々子は尋常ではなく慌てている様子だった。
「夏人くん!どうしよう、どうしよう」
しかも電話の向こうが騒然としていて、菜々子の声がよく聞こえない。
「ごめん、よく聞こえない。もう少し大きな声で……」
「夏人くん!祐介が、祐介が!死んじゃう!」
菜々子は半狂乱だった。恐らく夏人の声も届いてないだろう。
……え?死んじゃう?
夏人の鼓動は突然早くなり、さっきまでの汗が一気に冷や汗となった。その汗が背中を伝うのをはっきりと感じる。
「菜々子ちゃん、落ち着いて。今どういう状況?何があったの?」
夏人は自分に言い聞かせるように、努めてゆっくりと話した。
「道路に飛び出した男の子を助けようと……。祐介が車に轢かれて……」
「轢かれた……?それで柊くんの意識は?……」
夏人のスマホを握る手がブルブルと震え出した。
「頭からいっぱい血を流してる……呼んでも動かない。どうしよ……」
菜々子は泣き出していて、最後の方はよく聞き取れなかった。
「菜々子ちゃん!!」
大声を出した夏人を、地下鉄のホームにいる人達が怪訝そうな顔で見る。
だが今は、そんな視線はどうでもいい。夏人は既に周りが見えていなかった。
頭からの出血、そして反応がない。ということは、頭を打って意識を失っているのか。それとも……。
「柊くんは息してる?」
「息?よくわからない……」
「柊くんの胸に顔を乗せてみて……。動いてる?」
「……。うん、心臓動いてる」
「よかった……。救急車は呼んだ?」
「うん。側にいた人が呼んでくれて……あ!」
電話の向こうから、救急車のサイレンが聞こえてきた。
「菜々子ちゃん、よく聞いて。一緒に救急車に乗って、搬送先を
「国立……」
「いい?俺も学校には行かないで、これから病院に向かうから」
菜々子の泣き声が聞こえてくる。
「菜々子ちゃん、大丈夫。柊くんは絶対大丈夫!目を覚ましたら、何事もなかったように笑ってくれるから」
「うん、そうだよね、大丈夫だよね」
「そう!だから俺たちはしっかりしなきゃ。何かあったらすぐ電話して!俺も病院に行くから!」
「わかった、待ってるね」
そして電話は切れた。
夏人はその場に倒れ込みそうなのを必死で堪え、地下鉄に乗った。
スマホが割れるのではないかと思うほど、両手できつく握るその拳は、驚くほど血の気がなかった。
そのスマホが再び揺れた。慌てて見ると菜々子からのLINEだった。
『国立病院に運んでもらえる』たった一言だった。
国立病院まではここから地下鉄を乗り継いで50分程だが、その時間は夏人にとって永遠のように長く感じていた。
夏人の脳裏には変わり果てた陸玖の遺体が蘇った。まるで悪夢を見ているようだ。
陸玖を失ったあの日と同じように、何もできない自分に苛立ち、焦っていた。恐怖のあまり体の震えも止まらなかった。
……神様!お願いします。柊くんを連れて行かないで下さい。俺からこれ以上大切な人を奪わないで下さい!柊くんを助けてあげて下さい。お願いします!
普段は神の存在に否定的な夏人だが、今は祈るしかなかった。ただひたすら、柊の無事を祈るしか術はなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます