第49話 それぞれの未来

 「なぁ、これいつまで出してんのかな」

ひいらぎが校門横のフェンスを指差して、隣を歩いている夏人なつとに尋ねた。

「俺たちが卒業するまで、とか?」

「マジかよ……」柊はため息をついた。

「メダル獲ったわけじゃないのに。決勝でドンけつの8位だぞ。なんか微妙じゃん。なのにこのでかい横断幕はどうなのよ……」

「そんなこと言ったら、俺なんて決勝にすら残ってないんだよ」

2人は目を合わせてくすくすと笑った。


 校門横には『青華せいか高校水泳部 柊祐介ゆうすけ選手、椎名夏人なつと選手 インターハイ出場おめでとう』という横断幕が掲げられている。

生徒たちはもちろん、青華高校の前を通る地域の住民たちの目に必ず留まる、目立つ場所だ。


 夏人は背泳ぎ200mで準決勝敗退。柊は自由形200mで決勝に残ったが、結果は8位入賞だった。2人のインターハイは終わり、同時に青華高校水泳部を引退した。

 全力で泳いだ。柊に至っては、自己ベストを更新した。それでも全国の壁は厚かった。

悔しくない、と言えば嘘になるが、2人に悔いはなかった。


 「俺は嬉しいな、これ」

そう言った夏人は、笑顔で横断幕を指差した。

「2人の名前がこうして並んでいると、あー、柊くんとインハイで泳げたんだなぁ、って実感できるから」

「お前、それわざとやってるだろ?」

「え?なにが?」

「可愛すぎんだよ!」

校門の前ではしゃいでる柊と夏人の横を、登校して来る生徒達がくすくすと笑いながらら、通り過ぎて行く。中には「柊先輩と椎名先輩?」「2人ともかっこいい!」「仲良いよね」と言う女生徒の声も聞こえてくる。弱小水泳部から初のインターハイ選手が出たのだ。元々目立つ2人は、ちょっとした有名人になっていた。



「そういえば、今日から二者面談だな。夏人は今日?」

「うん。柊くんは?」

「俺は明日」


 夏休みが終わり、季節は秋に変わろうとしている。3年生は本格的に進路を決めなければならない季節だ。

「夏人は国立の医学部受験するんだろ?競泳も辞めるんだよな」

「うん。水泳はインハイで燃え尽きちゃったからね。悔いはない。陸玖兄が死んでから、人の命を救う仕事をするのが俺の目標だったし……。そろそろ本腰入れて勉強しないとね。柊くんは昭陽しょうよう大学でしょ?水泳部からスカウトされたんだから」

「うん、まぁね……」

「……?なんか悩み?」

柊の浮かない顔を夏人が覗き込んだ。

「え?いや、学部。どうしようかなぁって。ほら、俺、水泳しに大学行くから、夏人と違って将来の仕事とかなんも考えてなくて……」


 そこに『キーンコーンカーンコーン』と予鈴が聞こえてきた。

2人は慌てて校舎に入り、靴を履き替える。

「またね」「おう」

それぞれのクラスに向かいながら、柊は胸の中にあるモヤモヤとした、小さな違和感を覚えた。この違和感は、インターハイを終えてからずっと感じているものだったが、柊自身、その正体を掴めないままだったのだ。




 「柊は、昭陽大学でいいんだよな?」

次の日の放課後、柊は教室で担任と向かい合って座っていた。

3年生は予定通り二者面談が進んでいるのだ。

「はい……」

「学部は?」

「いや、まだ……」

「まぁ、どこにせよ水泳漬けの大学生活になるんだろうけどな。お前は早く願書出さないと間に合わないから、さっさと決めろよ」

「はい……」

歯切れが悪い柊に「なんか迷っているのか?」と担任が聞いた。

「んー。なんか、モヤモヤしてるっつうか。手放しで喜べないっつうか……」

「大学から誘ってもらっておいて贅沢なヤツだな」

担任に鼻で笑われた柊は、思わず面白くない表情をした。

「好きな水泳やりながら、大学で目標を見つければいいんじゃないか?何も今ここで将来の夢を見つける必要はないだろ」


 担任の言うことはもっともだ。

事実、水泳部の仲間で将来の仕事を決めているのは、医者を志している夏人と、ゲームクリエイターを目指すいつきの2人だ。斗真とうまたくみも、やりたいことを見つける為に大学に行く、と笑っていた。

「むしろ、高3で将来決めてる方が少数だぞ」

担任は最後にそう付け加えたが、柊の耳には届いていないようだった。


 ……俺はどうしたいんだろうねぇ。

まるで他人事のように胸の中で呟きながら、柊は教室を後にした。



 「あーー!柊くん!良かった、間に合った!」

突然秋月の声が聞こえた。バタバタと廊下を走って来る。

「先生、廊下は走っちゃダメっすよ」

柊は茶化したつもりだったが、「そ、そうですね」と真面目な顔で応える秋月に、柊は笑いを堪えた。


「どうしたんですか?」

「柊くん。たった今明応めいおう大学の水泳部の監督からお電話がありました」

「明応大学?」

「はい。柊くんをスカウトしたいそうです。それで、急なんですが今月中に返事が欲しいということと、それと……」

「先生、ちょ、ちょっと待って!」

柊は興奮気味の秋月の言葉を遮った。

「明応大学って東京の、明応?」

「そうです。オリンピック選手も輩出している競泳の名門大学。明応大学です」

「マジすか?」

「マジです」


 柊は驚いた。

なぜ8位の自分に声が掛かるのか。しかも競泳選手なら誰もが憧れるような名門大学からだ。


 ……なんで俺なんか。

腑に落ちない柊の顔を見た秋月は、事の経緯を話し始めた。

「そもそも、インハイの会場に来ていた明応大学のスカウトの方々は、柊くんの名前を挙げなかったそうです。ただ1人、監督さんを除いて」

「え?じゃあ、監督自らってことですか?」

「はい。柊くんに興味が湧いたと。柊くんの泳ぎをもっと見てみたい、と仰ってました」



 柊は驚愕していたと同時に、さっきまで胸の中で居座っていたモヤモヤとした違和感が、まるで霧が晴れるように、一気に消えていく感じがしていた。

 インターハイで泳ぎ切った柊は、後悔こそしていないが満足していたわけでもない。

全国の選手と競い合い、まざまざと知ってしまった自分の実力。

もっと強くなりたいと思った。もっと速くなりたいと思った。何よりもっと水泳が好きになった自分がいた。


 ……そうだ。俺はまだまだ弱い。強くなる為にはもっと厳しい環境に行かなきゃだめなんだ!

 

 明応大学水泳部の練習はかなり厳しい、というのが定評だ。元来、練習の虫で、陸上より水中が好きな柊にとっては、打って付けの大学なのだ。



「先生!俺その話受けるよ!いつ返事すればいい?明日?明後日?」

「ちょっと待って下さい。柊くん」

高揚して早口になっている柊を、秋月は一旦落ち着かせようとする。

「一人では決められないことですよ。東京ですからね。きちんとご両親に相談してからじゃないと」

「あ……」

舞い上がっていた柊の脳裏に浮かんだのは、両親ではない。他ならない夏人の笑顔だった。


 ……そっか。俺が明応大学に行くってことは、夏人と離れるってことか。


脳裏に浮かんだ夏人の笑顔が、寂しげな顔に変わっていく。

柊の胸は再びざわめき始めた。








 



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