第48話 夢の舞台で

……陸玖兄りくにぃ来たよ!

夏人なつとはそのどこまでも高い天井を見上げた。照明がキラキラと眩しかった。



 インターハイ出場を賭け、青華せいか高校水泳部部員3年生、ひいらぎ、夏人、斗真とうまたくみいつきの全員が挑んだ地区予選。

 その結果、自由形200mの柊と、背泳ぎ200mの夏人が、見事インターハイへの切符をもぎ取ったのだ。

結果が出た瞬間、柊は雄叫びを上げ、夏人は小さくガッツポーズをした。


 なにより観覧席が歓喜の声で騒がしかった。

顧問の秋月あきつきと、ここまでずっと一緒に泳いできた斗真、巧、樹の3人。

柊の母冴子さえこと、幼馴染の菜々子ななこ

三好みよしスイミングクラブの日下部くさかべと、佐伯さえきの両コーチ。

そして約束通り応援に来てくれた夏人の両親と、姉みのりに彼氏の壮太そうた

 全員の応援が、柊と夏人の背中を押したのは言うまでもない


 


 「夏人!陸玖先輩と同じ舞台に行けるぞ!」

閉会式に一緒に並んでいた柊に、そう囁かれた夏人は大きく頷いた。

そして、観覧席を見上げた。

陸玖の死から4年。

こうしてまた両親に自分の泳ぎを見せる日が来るなんて、思ってもいなかった。

しかもインターハイという、大きな大きな舞台への切符を掴んだ瞬間を見せることが出来るなんて……。



 「ほら夏人!」

閉会式が終わりプールサイドから出ようと歩き出した夏人に柊が言った。

「お袋さん達に挨拶しろよ」

既に柊はニコニコしながら観覧席に向かって「インハイ行くぜ!」と両手を振っている。


 夏人は黙ったまま左拳を勢いよく突き上げた。

その拳は高く、力強く、そして美しかった。

応援してくれた家族や仲間に向けて。そして何より天国の陸玖に向けて、夏人は拳を上げたのだった。



  

 夏休みの中盤、柊と夏人は秋月に引率され、インターハイの会場である東京に降り立った。斗真達も一緒だ。

 

 初めて足を踏み入れるこの会場は、地元のそれとはまるで別物だった。

会場の広さも、設備も、人の数も比べ物にならない。

何より、この緊張感が独特だ。全国から集まる猛者達の放つオーラが、会場の外にまで溢れ、競技が始まる前からぶつかり合っている。


 「すげえ……」「広いな……」「どんだけ人いんだよ……」

全員が呆気に取られている姿を見た秋月は、一抹の不安を抱いた。

これから挑むのは、高校生最後のインターハイという大舞台だ。

雰囲気に飲まれ実力を出せないなんて、何も珍しい話ではない。


 「さて!僕は、選手登録をしてくるから、柊くんと椎名しいなくんはアップをしましょう!」

秋月は努めて普段通りに振る舞った。

緊張しているであろう生徒への気配りだ。

 

 「俺ら、こんなすげぇとこで泳げるのか!!」

突然の大声に秋月は驚きながら、その声の主、柊を見た。

その目は期待に満ち溢れ、まるで競泳の楽しさを知ったばかりの少年のようだった。

「夏人楽しみだな!」

柊が夏人の肩に腕を回しながら、にこりと笑う。

「うん。すごい楽しみだよ!」

夏人も柊に負けない程の笑顔で答えた。


 

 「可愛い女の子いっぱいいるぞ!やっぱ東京は違うな」

キョロキョロと周りを見渡した巧が、ニヤニヤしながら言うと「お前はそれしかないのかよ!」と斗真と樹に突っ込まれていた。

それを見ていた柊も夏人も、声を出して笑っている。

5人とも、いつもと何ら変わらない。



……余計な気配りだったかな。

秋月の口元はフッと緩んだ。

「みんな!」

秋月が声を掛けると、5人は瞬時に秋月の元に集まる。

「柊くん、椎名くん、泣いても笑ってもこれが高校生最後の試合です。今までの努力は嘘をつきません。どうか自分を信じて、思い切り楽しんで下さい!」

「おう!」「はい!」

「俺たちも全力で応援するよ!」

そう言った斗真に、巧と樹も「任せろ!」と力強く言った。



「あのさ、先生」

柊が秋月を見た。

「はい?」

「いや、早々と円陣組んだのはいいんすけど、選手登録まだしてないんじゃ……」

「あ!!そ、そうでした!」

そう言いながら、秋月は慌てて受付に走った。

 

……一番緊張しているのは僕じゃないか。

自分の不甲斐なさと裏腹に、生徒たちが逞しく成長しているのを、秋月は誇らしく感じていた。



 「夏人!」

柊はサブプールでウォーミングアップしている夏人に声を掛け、手を伸ばした。

その手を取り、夏人はプールサイドに上がった。

「いよいよだな!」

「うん!」

夢にまで見たインターハイの予選が始まる。

「夏人。陸玖先輩が見せたいって言ってた景色だ。思いっきり楽しんでこい!」

「うん」

「お互い決勝まで進むぞ!」

「もちろん、そのつもりだよ。陸玖兄に成長したとこを見せたいしね!」

「おう!」

夏人と柊は、固く手を握り合った。



 「ピッッ」

電子音と共に夏人はスタートした。背泳ぎ200mの予選が始まったのだ。

水の中に入った瞬間、直前まで感じていた緊張感は消え去り、夏人はこの広いプールを1人でのびのびと泳いでいる感覚だった。体もしなやかに思い通り動く。


………あー、気持ちいいなぁ。


夏人は今、本当に泳ぎを楽しんでいた。

インターハイという憧れの舞台で泳いでいること。高い天井がキラキラしていること。大勢の人の声が聞こえていること。全てが輝いていた。

 

………陸玖兄、俺楽しいよ!やっぱり水泳が好きだよ。


 最後のクイックターン。残り50m。流石の夏人も苦しい時間だ。

「夏人、もう少しだ!頑張れ!」

大勢の応援が飛び交う中、夏人には柊の声がはっきりと聞こえた。気のせいではない。

その声に押されたのか。夏人のギアが更に上がり、その勢いのままゴールタッチした。

 大きく肩で息をしながらゴーグルを取り、目を細めて電光掲示板を見た瞬間、夏人はガッツポーズをした。そして思わず「よっしゃあ!」と声をあげた。準決勝進出だ。


 興奮冷めやらないままプールから上がろうとした時、ふと手を差し伸べられた気がした。

見上げると眩しい照明の中に、確かに陸玖の姿があった。鍛えられた体も、少し幼い満面の笑顔も、あの頃のままだった。

その手を掴もうと、夏人も腕を差し伸べた瞬間「夏人よく頑張ったな。ありがとう」と言って、陸玖は静かに消えていった。


………お礼を言うのは俺の方だよ。陸玖兄、本当にありがとう。


 

「夏人ーーー!!」

自分を呼ぶ声で、夏人は我に返った。

その方向を見ると観覧席の最前列で、大きく手を振る柊の姿が見てとれた。

「お疲れーーー!俺も続くからな!」

夏人は大きく頷き、拳を高く突き上げた。


 







 

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