第38話 兄の身代わり
「え?
しかもメドレーリレーなんて、ここにいる全員泳いだ経験がない。
「そう。器用でなんでもできる俺に、白羽の矢が立ったのだよ!」
「え?じゃ、
はい、俺です、と
夏人はチラリと
「あー、俺はリレーは見学!もちろん個人戦には出るよ」
そう言って樹は笑った。リレーに出れないことは全く眼中にないようだ。
「三校定期戦はお祭りですし、リレーに出て楽しんでみませんか?」
いつものコンビニにいる5人は、いつものように騒がしかった。
「メドレーリレーにエントリーするなんて、秋月先生どうしたのかな?」
この日夏人は、委員会の打ち合わせが長引いて、部活に出れなかった。
直接秋月からこの提案を聞いたわけではないので、その真意が分からない。
その様子を悟った柊は、夏人の肩に腕を回して言った。
「全然深い意味はないってさ!ただ、先生がリレーを見たいんだってよ」
「そうみたいだよ。運動会でも、リレーって一番盛り上がるじゃないですかー!って」
斗真が再び秋月を真似て、笑いを誘う。
「せっかく
「え?じゃ、ほんとに巧くんが
「そ!俺は応援隊長ね!」
樹がドヤ顔で、自分を指差す。
「公式戦じゃないし、楽しく泳げばいいんじゃない?」
笑顔の柊を見た夏人は、うんそっか、そうだよね!と頷いた。
創立から長い間男子校だったのだが、時代の流れなのだろう、15年前に共学校になった。
同じように、元は男子校だった公立高校が、同じ地域に二校ある。
この三校の男子生徒たちの、交流と親睦を深める為、毎年11月に『三校定期戦』なるものが、70年以上前から続いている。
共学校になっても、それは変わらない。
しかし昔は、喧嘩さながらの運動部の『戦い』だったのだが、近頃はお祭りとして位置づけられ、文化祭や、球技大会のように、生徒たちが楽しみにしている行事の一つになっている。
「俺たちは今までリレー泳いだことがなかったから、なんか違う世界が見えるかもな」
斗真がそう言った時、夏人の顔がほんの少し変わった。
その微妙な変化を柊は見逃さない。
「ずっと1人で泳いでたからな。みんなでバトンを繋いでいくって、どんな世界なのか楽しみだ。な、夏人!」
柊は、夏人の頭をポンポンと軽く叩いた。
『見たことのない世界』
死んだ
鍛錬し、努力したその先にしか見えない世界。
でもその『見たことのない世界』は、こんな身近にもあるのか。
チームとしてみんなで一つになって、ゴールを目指す世界。
それもまた『見たことのない世界』だ。
「うん、楽しみだね!」
「でもやるからには、優勝しようぜ!」
夏人と柊のやりとりを、3人はニヤニヤしながら見ていた。
「はいはい、ここでイチャつくのは止めなさいね」
「そうだよ、見てるこっちが恥ずいわ」
巧と樹に
そう、2人は付き合っていることを、巧と樹にも打ち明けていたのだ。
親友であり、仲間である2人に隠し事をするのが、どうしてもイヤだったからだ。
秋休みが終わったある日、俺ら付き合ってるんだ恋人として……と批判を覚悟で、柊は2人に告白した。
巧と樹は顔を見合わせてプッと笑った。
その反応に、柊も夏人も驚いた。
「え?気持ち悪くないの?驚かないの?」
そう聞いた柊に、2人の答えは意外なものだった。
「なんとなく知ってたよ」
「気持ち悪いわけないでしょ?」
「で、でも、男同士だよ?」
今度は夏人が聞いた。
「それが何?」
「そうだよ、好きになったのがたまたま男だったんだろ?それに……」
巧と樹は顔を見合わせて言った。
「
「そうそう!」
今こうして、コンビニの前ではしゃいでいる巧と樹の顔を見ながら、柊はこの2人に、そして勇気をくれた斗真に感謝していた。
男同士の恋愛は理解され難いのが現実だ。しかしそれを受け入れ、今までと何ら変わりなく接してくれる。
ただただ、ありがたかった。感謝しかなかった。
それは夏人も同じ思いだ。
大好きな柊と、大好きな水泳を楽しめるのも。
そして色鮮やかな高校生活を楽しめるのも。
それはこの仲間達のおかげだと、夏人も感謝の気持ちでいっぱいだった。
柊と夏人は同時に、ありがとう、と3人に頭を下げた。
「うわ!シンクロしてる!」
「どんだけ仲良いんだよ!」
「見せつけんなよ!」
3人に揶揄われた柊と夏人は、顔を見合わせて笑った。
11月の秋空の下に行われた『三校定期戦』は大いに盛り上がり、あっという間に幕を閉じた。運動部員は各々競技を楽しみ、競い、交流を深めた。
贅沢にも、高総体の県予選が行われた、屋内総合プールを貸し切った水泳部も、かなりの盛り上りを見せた。
一番熱かったのは、観覧席から声援を送っていた、秋月と樹だったかもしれない。
それに釣られて、応援に来ていた文化部の生徒も、他校の生徒も、果ては見学に来ていた他の教師まで、大声で声援を送っていたのだ。
最後のメドレーリレーに至っては、秋月も樹も声が枯れる有様だった。
だが、その声援のおかげだろうか。
メドレーリレーは、青華高校がぶっちぎりの優勝だった。
圧倒的な速さで50mを泳ぎ切った夏人から、1位のバトンを受けとった巧が遅れをとった。
自由形を種目としている、巧の付け焼き刃の平泳ぎでは無理もない。
しかし、その後の斗真のバタフライで再び1位になり、アンカーの柊にバトンが渡った時には、すでに2位の選手とは体半分以上の差がついていた。
遊びと言えども決して手を抜かない柊は、更にギアを上げ、気付けば圧倒的な差をつけて優勝をもぎ取っていた。
「やばっ!リレーめっちゃ楽しかったな!」
制服に着替えた柊が、興奮気味に言った。
おう、楽しかった!斗真も笑顔で同意した。
「俺、
そう言った巧に、柊と斗真が首を横に振った。
「お前、
「俺もそう思う。巧はもっと真面目に
柊と斗真に出鼻を挫かれた巧は、えー、マジでー?と肩を落とした。
秋月と樹に合流した柊は、夏人が居ないことに気付いた。
「あれ?夏人は?」
「トイレ行くって」
そう言った樹は、迎えに行ってあげたら?とほくそ笑んだ。
あ!いた!
夏人を見つけた柊が声を掛けようとしたその瞬間。
「夏人!」「
知らない声が夏人を呼んだ。そして夏人はその声の方向を見た。
2人の男が夏人に近付いて来る。
……
何となく声を掛けることが出来ず、ようやく3人の話が聞こえる距離で、柊は足を止めた。
「椎名久しぶりだな」「夏人、元気そうでよかった」
同じ
夏人の背後に居た柊には、夏人の表情は見えなし、声も殆んど聞こえない。
だが、どこか嫌な予感がしていた。
「水泳また始めたんだね」
「それも
「相変わらず、夏人はすげぇな」
「………。もしかしてさ。陸玖先輩を忘れるために、
その言葉に夏人は、首を横に振って否定しているように見えた。
柊はホッと安堵した。
だが夏人を『椎名』と名字で呼ぶ男の言葉に、柊は愕然とした。
「あの柊ってヤツ、陸玖先輩に似てるよな。雰囲気も泳ぎのフォームも。椎名さ、柊を陸玖先輩の身代わりにしてるでしょ?大好きだった兄貴の面影があるから側にいるなんて。そういうのヤツに失礼じゃない?」
「………………」
否定も肯定もしない夏人の背中に声をかけないまま、柊は黙ってその場から立ち去った。
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