第24話 覚悟

 ひいらぎたちが2年生になって、3日が過ぎた。

その間、夏人なつとは一度も登校していない。

 それどころか、誰も夏人と連絡が取れないでいる。

同じクラスの斗真とうまがノートを届けたいと、夏人の住所を担任に聞いても『個人情報』という壁が邪魔をする。


 「なぁ、椎名しいなっちマジ大丈夫なの?」

ランニングを終え、グラウンドの隅でストレッチをしているたくみが、柊に聞いた。

部員の中でも一番体力のある柊が、珍しく肩で大きく息をしている。

「んなこと言われたって、俺にもわかんねぇし!!」

「は?なにその言い方!心配してんのに」

いつもはヘラヘラしている巧も、珍しく柊に突っかかる。

「なぁ、こういうの止めようぜ!」

いつきが2人の間に割って入った。

 柊と巧はお互い背を向けて、黙々とストレッチを続けた。


 今の水泳部には、ピリピリとした重い空気が充満している。

始業式からずっとだ。

 夏人となにかあった柊が作っている、この重い空気。

夏人が学校に来ない理由も、音信不通の理由も、柊は知っているのだろう。

だが問い詰めても、柊はきっと何も話さない。

そのことをここに居る3人は分かっている。

 

 分かってはいるけど、このままじゃ空中分解しちまうな・・・。

いつもは冷静な斗真も少し焦り始めた。

「みんなお疲れさまー!」

突然明るい声が聞こえた。

 全員が声がする方向を見ると、顧問の秋月あきつきが右手を挙げながら、笑顔で近づいて来る。

ちょっと集まってくれますか?と言った秋月に、4人は黙って従った。

「僕は水球をやってはいましたが、競泳については素人ですので・・・」

そう言った秋月は、4人に一枚ずつプリントを配る。

 そこには、およそ素人が考案したとは思えない県予選までの、トレーニングメニューが書かれている。


 「これ、センセが考えたの?」

巧が驚いた。

「パクリです」

ははは、と頭を掻いた秋月は笑った。

「ネットや本で調べました。あとは、みんなの大会のビデオを見ながら、競泳選手だった大学の先輩に教えて頂きながら作ってみました」

じっとプリントを見ていた斗真も驚いた。

自分たちの弱点や、泳ぎの癖、食事の管理から、果てはメンタルマネジメントまで。


 「このトレーニングが正解なのか、僕には分かりません」

秋月は自信なさげに話す。

「なので、これにみんなの意見を聞いて、足したり、もしくは引いたりしながら、形にしたいと思いますが・・・。吉澤よしざわ主将どうでしょうか」

プリントに見入っていた斗真は慌てて顔を上げた。

「はい。いや、すげーと思って・・・。分かりました。これを基に俺らでも考えてみます」

「そうですか、ではお願いしますね!」

秋月はニコリと笑った。


「ちなみに・・・」

秋月はコホンと軽く咳払いをした。

「学校のプールが使えるようになるまで、昭陽しょうよう大学のプールを週2回、借りることになりました!!」

それまでずっと下を向いていた、柊がパッと顔を上げた。

柊と目が合った秋月は、小さく頷いた。

「マジかよ!先生すげー!」

樹が思わず立ち上がった。

「昭陽大学の水泳部のコーチが、僕がお世話になった先輩なんです。今回みんなをインハイに連れて行きたいと言ったら、学校側に働きかけて頂いて・・・」

 短時間だけですが・・・と言う秋月を、巧と樹は「先生、すげーよ!」と褒めちぎっていた。


 現役大学生の泳ぎを、側で見れるだけで、かなり貴重な経験だ。

しかも昭陽大学は、毎年インカレに選手を輩出している。

県内はおろか、全国の強豪大学とも肩を並べる、トップクラスの大学だ。

 それまで、虚ろな表情をしていた柊の目の奥に、微かに光が差し込んだように、秋月は見てとれた。

「では、このメニューをもう少し練り込みますので、みんなは、頑張って体を作ってて下さいね!」

「あざす!!」4人は笑顔の秋月に頭を下げた。


「柊くん、ちょっと・・・」

秋月が柊を小さく手招きする。

「・・・?」

柊の手にそっとメモ用紙を渡し、秋月はこう言った。

「僕は5でインハイに行きたいんです」

柊が渡されたメモを見て、ハッと顔を上げた。

「先生、これって・・・」

「あ、個人情報漏洩にはならないので安心して下さい」

秋月はポンポンと柊の肩を叩く。

「ちゃんと学年主任の先生には許可を取りましたし、一応僕は水泳部の顧問ですから」

「あの、俺・・・」

上手く言葉に出来ない柊に「大丈夫ですよ」と秋月は笑顔を見せた。


 「自分では処理しきれないことに、大人を使うのは悪いことじゃないんです。特に教師はそのためにいるべきだと思うんです」

「生徒たちの成長と幸せのために、少し知恵を貸すのが教師の仕事です」

そう言った秋月は「まぁ、自論ですけど」と照れ臭そうに笑った。


「でも、この先どうするのかは、柊くん自身で決めて下さいね」

「・・・。はい、ありがとうございます」

柊は渡されたメモを握り締め、深く頭を下げた。

 クシャクシャになったメモを広げ、柊は改めてそれを見た。

そこには、秋月らしい丁寧な字で、夏人の住所が書いてあった。



 夏人が学校に行かなくなって4日目の朝を迎えた。

「ねぇ、今日も休むの?」

姉みのりが夏人の部屋を覗き込んだ。

「・・・うん・・・」


 春休みのある日、雨に濡れて帰って来た弟は、まるで別人のようだった。

学校が楽しい、また水泳をやりたい、と生き生きしていたのに、その日を境に無口で表情がない夏人に戻ってしまった。

 しかも、水泳はおろか、学校すら行かない。

みのりには勿論、両親、特に夏人を可愛がっている父にも、何も話さない。

只事ではないのは分かっているが、こうなると、もうお手上げだ。

 

「今日はお母さん仕事で少し遅くなるって。わたしも委員会あるし・・・」

うん、分かった、大丈夫だよ、と静かに夏人は答えた。

「じゃ、行ってくるね」

夏人の部屋のドアを閉めると、みのりは大きく溜め息をついた。

自分の非力さに、泣きそうになった。


 昨夜までの雨は止んでいるようだ。

今日はこれから晴れると、朝の情報番組のお天気お姉さんが言っていた。

「傘は要らないか・・・」

みのりが玄関のドアを開けると、見知らぬ男子高生が1人、門の前に立っている。

「あ・・・」

その男子高生と目が合った。

「おはようございます!突然すみません!」

 日焼けした端正な顔立ちの彼が、慌ててお辞儀をした。

背が高く、いかにもスポーツをやっている体つきをしている。

明るく爽やかな雰囲気の彼は、きっと学校でも目立つ存在なのだろう、と想像がつく。

そして彼が着ている制服は・・・。


「朝早く突然すみません。俺、夏人くんと同じ青華せいか高校2年の、柊祐介っていいます!」

 やっぱり・・・。

みのりは、この彼が夏人の心を取り戻した水泳部の柊祐介だと、目が合った瞬間に感じた。


 「初めまして。夏人の姉のみのりです」

みのりは初対面の柊に深く頭を下げた。

「柊くん、どうか夏人を助けてあげて下さい」

 今、夏人を引っ張り上げられるのは、家族ではない。

この柊祐介、という他人だ。

学校をサボってわざわざ夏人に会い来た、この他人だ。

みのりはそのことを、認めざるを得なかった。

何故か、涙が溢れ落ちそうになる。


 幼く、自分の側で震えていた弟が、少しずつ離れていく。

それは、雛鳥が親元から巣立っていく時の、頼もしいような、寂しいような、そんな感覚に近いのかもしれない。

 あー、そうか・・・。わたしは寂しいんだ・・・。

今にも溢れ落ちそうな涙の理由を、みのりはそう解釈した。





 


 



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る