第24話 覚悟
その間、
それどころか、誰も夏人と連絡が取れないでいる。
同じクラスの
「なぁ、
ランニングを終え、グラウンドの隅でストレッチをしている
部員の中でも一番体力のある柊が、珍しく肩で大きく息をしている。
「んなこと言われたって、俺にもわかんねぇし!!」
「は?なにその言い方!心配してんのに」
いつもはヘラヘラしている巧も、珍しく柊に突っかかる。
「なぁ、こういうの止めようぜ!」
柊と巧はお互い背を向けて、黙々とストレッチを続けた。
今の水泳部には、ピリピリとした重い空気が充満している。
始業式からずっとだ。
夏人となにかあった柊が作っている、この重い空気。
夏人が学校に来ない理由も、音信不通の理由も、柊は知っているのだろう。
だが問い詰めても、柊はきっと何も話さない。
そのことをここに居る3人は分かっている。
分かってはいるけど、このままじゃ空中分解しちまうな・・・。
いつもは冷静な斗真も少し焦り始めた。
「みんなお疲れさまー!」
突然明るい声が聞こえた。
全員が声がする方向を見ると、顧問の
ちょっと集まってくれますか?と言った秋月に、4人は黙って従った。
「僕は水球をやってはいましたが、競泳については素人ですので・・・」
そう言った秋月は、4人に一枚ずつプリントを配る。
そこには、およそ素人が考案したとは思えない県予選までの、トレーニングメニューが書かれている。
「これ、センセが考えたの?」
巧が驚いた。
「パクリです」
ははは、と頭を掻いた秋月は笑った。
「ネットや本で調べました。あとは、みんなの大会のビデオを見ながら、競泳選手だった大学の先輩に教えて頂きながら作ってみました」
じっとプリントを見ていた斗真も驚いた。
自分たちの弱点や、泳ぎの癖、食事の管理から、果てはメンタルマネジメントまで。
「このトレーニングが正解なのか、僕には分かりません」
秋月は自信なさげに話す。
「なので、これにみんなの意見を聞いて、足したり、もしくは引いたりしながら、形にしたいと思いますが・・・。
プリントに見入っていた斗真は慌てて顔を上げた。
「はい。いや、すげーと思って・・・。分かりました。これを基に俺らでも考えてみます」
「そうですか、ではお願いしますね!」
秋月はニコリと笑った。
「ちなみに・・・」
秋月はコホンと軽く咳払いをした。
「学校のプールが使えるようになるまで、
それまでずっと下を向いていた、柊がパッと顔を上げた。
柊と目が合った秋月は、小さく頷いた。
「マジかよ!先生すげー!」
樹が思わず立ち上がった。
「昭陽大学の水泳部のコーチが、僕がお世話になった先輩なんです。今回みんなをインハイに連れて行きたいと言ったら、学校側に働きかけて頂いて・・・」
短時間だけですが・・・と言う秋月を、巧と樹は「先生、すげーよ!」と褒めちぎっていた。
現役大学生の泳ぎを、側で見れるだけで、かなり貴重な経験だ。
しかも昭陽大学は、毎年インカレに選手を輩出している。
県内はおろか、全国の強豪大学とも肩を並べる、トップクラスの大学だ。
それまで、虚ろな表情をしていた柊の目の奥に、微かに光が差し込んだように、秋月は見てとれた。
「では、このメニューをもう少し練り込みますので、みんなは、頑張って体を作ってて下さいね!」
「あざす!!」4人は笑顔の秋月に頭を下げた。
「柊くん、ちょっと・・・」
秋月が柊を小さく手招きする。
「・・・?」
柊の手にそっとメモ用紙を渡し、秋月はこう言った。
「僕は5人全員でインハイに行きたいんです」
柊が渡されたメモを見て、ハッと顔を上げた。
「先生、これって・・・」
「あ、個人情報漏洩にはならないので安心して下さい」
秋月はポンポンと柊の肩を叩く。
「ちゃんと学年主任の先生には許可を取りましたし、一応僕は水泳部の顧問ですから」
「あの、俺・・・」
上手く言葉に出来ない柊に「大丈夫ですよ」と秋月は笑顔を見せた。
「自分では処理しきれないことに、大人を使うのは悪いことじゃないんです。特に教師はそのためにいるべきだと思うんです」
「生徒たちの成長と幸せのために、少し知恵を貸すのが教師の仕事です」
そう言った秋月は「まぁ、自論ですけど」と照れ臭そうに笑った。
「でも、この先どうするのかは、柊くん自身で決めて下さいね」
「・・・。はい、ありがとうございます」
柊は渡されたメモを握り締め、深く頭を下げた。
クシャクシャになったメモを広げ、柊は改めてそれを見た。
そこには、秋月らしい丁寧な字で、夏人の住所が書いてあった。
夏人が学校に行かなくなって4日目の朝を迎えた。
「ねぇ、今日も休むの?」
姉みのりが夏人の部屋を覗き込んだ。
「・・・うん・・・」
春休みのある日、雨に濡れて帰って来た弟は、まるで別人のようだった。
学校が楽しい、また水泳をやりたい、と生き生きしていたのに、その日を境に無口で表情がない夏人に戻ってしまった。
しかも、水泳はおろか、学校すら行かない。
みのりには勿論、両親、特に夏人を可愛がっている父にも、何も話さない。
只事ではないのは分かっているが、こうなると、もうお手上げだ。
「今日はお母さん仕事で少し遅くなるって。わたしも委員会あるし・・・」
うん、分かった、大丈夫だよ、と静かに夏人は答えた。
「じゃ、行ってくるね」
夏人の部屋のドアを閉めると、みのりは大きく溜め息をついた。
自分の非力さに、泣きそうになった。
昨夜までの雨は止んでいるようだ。
今日はこれから晴れると、朝の情報番組のお天気お姉さんが言っていた。
「傘は要らないか・・・」
みのりが玄関のドアを開けると、見知らぬ男子高生が1人、門の前に立っている。
「あ・・・」
その男子高生と目が合った。
「おはようございます!突然すみません!」
日焼けした端正な顔立ちの彼が、慌ててお辞儀をした。
背が高く、いかにもスポーツをやっている体つきをしている。
明るく爽やかな雰囲気の彼は、きっと学校でも目立つ存在なのだろう、と想像がつく。
そして彼が着ている制服は・・・。
「朝早く突然すみません。俺、夏人くんと同じ
やっぱり・・・。
みのりは、この彼が夏人の心を取り戻した水泳部の柊祐介だと、目が合った瞬間に感じた。
「初めまして。夏人の姉のみのりです」
みのりは初対面の柊に深く頭を下げた。
「柊くん、どうか夏人を助けてあげて下さい」
今、夏人を引っ張り上げられるのは、家族ではない。
この柊祐介、という他人だ。
学校をサボってわざわざ夏人に会い来た、この他人だ。
みのりはそのことを、認めざるを得なかった。
何故か、涙が溢れ落ちそうになる。
幼く、自分の側で震えていた弟が、少しずつ離れていく。
それは、雛鳥が親元から巣立っていく時の、頼もしいような、寂しいような、そんな感覚に近いのかもしれない。
あー、そうか・・・。わたしは寂しいんだ・・・。
今にも溢れ落ちそうな涙の理由を、みのりはそう解釈した。
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