第25話 告白

 緊張した面持ちでひいらぎは、今夏人なつとの部屋にいる。

姉みのりが、夏人の部屋に案内をしてくれたが、取りつくしまもなく拒絶されると、柊は覚悟していた。

それでも、夏人に会えるまで粘ろう、と決めて、ここに来たのだ。

 だが夏人はあっさりと、柊を部屋に招き入れた。柊は拍子抜けしていた。

「じゃ、わたしは学校遅刻しちゃうから・・・」

と言ったみのりは、柊に軽く会釈をした。慌てて柊もペコっと頭を下げる。

そして『バタン』と玄関の閉まる音がした。


 「なんか飲み物持ってくるよ」

そう言ってベッドから立ち上がった夏人は、どこか顔色が良くない。

なんとなくやつれたようにも見える。

 夏人が出た後、柊はぐるりと部屋を見回した。

決して広くはない部屋だが、綺麗に整理整頓されていて、居心地が良い。

そしてさすが、トップクラスの成績の夏人だ。

本棚には、有名大学の赤本や参考書がずらりと並んでいる。

 やっぱ、国立とか狙ってるのかな・・・

 

 ふと机を見ると、一枚の写真が目に入った。

プールサイドで、金メダルを首から下げた笑顔の男子高生。

その両脇には、まだ幼さが残る夏人と、さっき会った姉が嬉しそうに映っていた。

  

 「それ、競泳選手だった兄貴だよ」

夏人はいつの間にか飲み物を持って部屋に戻って来ていた。

柊は、驚いて振り返り、背後の夏人と目を合わせた。

「うん・・・。すげぇカッコいい兄貴だな」

決してお世辞ではない。素直に柊はそう思ったのだ。

 柊はマグカップを手渡された。ココアの甘い香りがする。

好物を覚えていてくれた夏人に、柊は嬉しさと安堵を覚えた。


 「学校サボったの?」

静かにベッドに座った夏人からの急な質問に、柊は少し驚いた。

「え?うん、いや、サボりではない!途中で腹が痛くなったんだよ」

「お腹痛いのに、こんな所まで来たの?」

夏人はフッと笑ったが、その顔にあまり生気がない。

「悪かったな、突然来て・・・」

「びっくりしたよ。でも俺もずっと連絡しなかったから、心配かけたよね、ごめん」

そう言って夏人は項垂うなだれた。

 そっか・・・。夏人も俺らのこと、気にしてはくれていたのか。

柊は、温かいココアを一口飲んだ。

 

 「そういえばここの住所、どうして知ってるの?」

夏人の質問は、至極当然のものだ。

 柊は素直に答える。

新しい顧問が赴任して来て、その秋月あきつき先生が5人全員でインハイに行きたいからと、夏人の住所を教えてくれたこと。

先生だけじゃなく、みんなが夏人に会いたがっていること。

そしてなにより、自分が一番会いたかったこと。

 夏人は「うん、ありがと」「ごめんね」と小さな声で相槌を打ちながら聞いていた。


 淡々と柊は話しているつもりだが、実は心臓はバクバクと音を立てていた。

日下部くさかべコーチから、夏人の過去を聞いたことを話さなければ、先には進まない。

ただ、それを話したら、夏人がどんな反応をするのか。

柊は不安で仕方なかった。

 「もしかして、日下部コーチから聞いたの?陸玖兄りくにぃのこと・・・」

「え?・・・」

正に今、その話を切り出そうとしていた柊はギクリとした。

 頭がいいヤツは、勘も鋭いんだな・・・。

「あの日。お前とコーチが兄貴がどうとか、葬式がどうとか、話してるの聞こえて。気になった俺が、無理矢理コーチに詰め寄ったんだよ」

慌てて、柊は日下部を庇うように弁解した。


 その様子を見て、夏人はフッと笑った。

他人を悪く言わない、柊らしい台詞だと思ったのだ。

「じゃ、陸玖兄が高2の夏、死んだのは聞いたんだね」

「うん・・・」

「柊くんと同じ日下部コーチに指導を受けてて、オリンピックも狙える競泳選手だったことも?」

「うん・・・」

「じゃ、陸玖兄が死んだ理由も?」

夏人は柊の目をじっと見つめている。だがその目の奥には、光がない。


 「事故だったってことだけ。詳しいことは・・・」

胡座あぐらをかいていた柊がポツリと言った後、突然、正座をし頭を下げた。

そしてその頭をカーペットに擦りつける。いわゆる土下座だ。

「ほんとにごめん!何も知らなかったとはいえ、夏人を無理矢理水泳部に誘って、兄貴の通っていたスイミングにまで強引に連れて行って」

「辛いことを思い出させて。ほんとにごめん!」

夏人には、土下座している柊の顔が見えないが、自分を責めて、後悔して、悔しい表情をしているのだろうと、容易に想像がつく。


「柊くん、顔上げてよ」

「・・・・・・」

柊は黙ったまま顔を上げない。

「柊くんが謝ることじゃないでしょ?」

「それに、水泳をまた始めるって決めたのは、俺自身なんだから」

夏人がそっと柊の背中を触った。

「ね、だから顔上げて」

柊がゆっくりと顔を上げると、そこには柔らかい表情をした夏人が目の前にいる。

「でもお前が学校来ないのは、俺が傷つけてしまったからだろ?」

「ううん、違うよ」

夏人の意外な答えに、柊はキョトンとした。

 え?俺のせいじゃない?じゃ、なんで?


「俺ね、日下部コーチから、陸玖兄という夢を奪ってしまったんだ。だから、合わせる顔がなかったんだよ」

「は?確かに世界を狙える選手だったって期待はしてたみたいだけど、兄貴が亡くなったのは事故だろ?なんでお前が奪った、なんて言うの?」

 柊は正座したまま不可解な顔をして聞いた。

「日下部コーチだけじゃなく、陸玖兄はたくさんの人から愛されて、期待されてたんだ。その全ての人から、俺は陸玖兄を奪ったから」

 いや、それ、答えになってないだろ。

柊は困惑していた。

だが、鈍感な柊にも兄の死はただの『事故』ではないのだろう、という察しはついた。

「だから、俺だけ幸せになっちゃいけないんだ、って思い出したら、楽しいと思う学校に行けなくなってしまって・・・」


 「なぁ、夏人」

柊は大きく深呼吸をして、真っ直ぐに夏人を見つめた。

相変わらず、夏人の目には光がない。

「もし、お前が俺を信じてくれてるなら、話してくれないか?」

「俺、夏人の辛さや悲しさを、全て理解することは出来ないと思う」

夏人も柊の目をじっと見つめている。

「でも、その辛さを少しでも俺に分けてくれたら、夏人が背負っている重りが1グラムくらいは減らないかな?」

 柊は慎重に考えて話しているつもりだが、いかんせん語彙力がない。

こんな言葉で夏人に伝わっているのだろうか。

柊は不安だった。


「うん。ありがと」

ニコっと笑った夏人を見て、自分の気持ちが伝わったと、柊はホッと胸を撫で下ろした。

「俺ね、実は今日柊くんに連絡しようと思ってたんだ」

「え?そうなの?」

柊はいつの間にか足を崩し、胡座をかいて座っていた。

「うん。だから、柊くんが訪ねて来てくれて、すごいびっくりしたよ」

「そっか。でもなんか、いいな。そういう偶然」

柊はどこか、嬉しかった。『以心伝心』という都市伝説はあるかもしれない、とも思った。


 「俺に話したいことがあって、連絡くれようとしてたんだよね」

柊が、背筋を伸ばして聞いた。

「うん。学食の美味しさも、昼休みのサッカーも、帰り道のコンビニも、友達の家で勉強するのも、ゲーセンで遊ぶことも。楽しいことは全部、柊くんが教えてくれた」

「なにより、大好きだった水泳をまたやりたい、と柊くんは思わせてくれた」

僅かだが、夏人の声が少し力強くなっている気がした。

 そんな風に思ってくれていたのか・・・。

柊にとっては他愛もないことが、夏人には大きな変化をもたらしていたようだ。


 「だから、柊くんには全部話そうと決めたんだ」

そう言った夏人の目には、小さな光が戻ってきていた。

「兄貴のことか・・・」

「うん。俺、陸玖兄が死んだ日から、時間が止まっていたんだと思う。陸玖兄の死を受け入れられなくて、ずっと逃げてた」

「怖かったんだよ、全部認めるのが」

夏人はココアを飲んで、一呼吸した。


「でも、柊くんに出会って、俺の時計は動き出した。動き出したらもう進むしかないでしょ?」

柊はコクンと頷く。

「それに、水泳を始めるってことは、どうしても椎名陸玖しいなりくの弟、というレッテルが貼られる。狭い町だからね」

 そんなお前も期待の選手だったんだけど・・・。

柊はとりあえず、その言葉は飲み込んだ。

「だから尚更、きちんと過去を受け入れなきゃいけない。でも1人では・・・」

そう言ってチラリと見る視線に、柊は軽い眩暈めまいを感じた。


 「わかった!俺は夏人を全部受け止める!過去も何もかも全部だ!お前は独りじゃない!この柊祐介が味方だ!!」

柊は、拳を作って胸を叩いた。

「その為に俺は学校サボって来たんだからな」

「あれ?お腹痛いんじゃなかったの?」

クスクス笑う夏人を見た柊は、思わず口走ってしまった。

「俺、夏人に出会う為に生まれてきたのかもしれないなぁ・・・」

夏人は目を丸くして驚いていた。


 ヤバい!!男からそんな台詞聞いたらドン引きされるだろ!

柊は焦った。しかし夏人の反応は意外なものだった。

耳まで真っ赤にして「ありがと」と小さく俯いたのだった。

釣られて、柊まで真っ赤になって、ポリポリと頭を掻いた。

 

 それから、沈黙の時間が流れた。

壁時計の音がやけにうるさく聞こえる。

暫くして、ようやく夏人は、ポツリポツリと自分の話を始めた。









 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る