第22話 吐露
「あら
「すみません、遅い時間に・・・」柊が玄関でポツリと言う。
スマホを見ると、19時半を回ろうとしていた。
「うちは気にしなくていいのよ。どうせ菜々子が強引に誘ったんでしょ?」
クスクスと笑う母に「別に強引じゃないし・・・」
と菜々子がムッとしながら「いいから、上がって」と柊を促した。
リビングに入ると、コーヒーのほろ苦い香りが漂っていた。
「お母さん、最近へそくりでエスプレッソマシンを買ったの」
菜々子が小声で言う。
「今、これが楽しいみたいで。色々作っては、その度に試飲させられてるの」
なるほど・・・。だからカフェラテなのか・・・。
柊は、その香りを嗅ぎながら、納得していた。
「結構本格的で、美味しいと思うから、祐介も飲んでって」
「ありがと。飲んでみたいよ」
菜々子は柊の素直な返事に少し拍子抜けした。
いつもの柊なら、何かしら茶化してきたり、冗談を言ってくるからだ。
「お母さん、カフェラテ2つ。できたら声かけて」
「はーい!祐ちゃんもゆっくりしていってね!」
菜々子の母は嬉しそうに言った。
「凝り性だからなぁ、うちのお母さん」
「そのうち、カフェでも開きたい、とか言いそう」
部屋に向かいながら、菜々子はクスクスと笑っていたが、後を付いて来ている柊は黙ったままだった。
「さてと」
柊をデスクチェアに座らせた菜々子は、自分はベッドに座り柊の顔を見た。
あまり顔色が良くない様に見える。
「なんかあったでしょ?」
「・・・。俺、顔に出てる?」
「出てる。
柊は苦笑いをした。
初対面の先生にバレるくらいだもんな・・・。
「水泳・・・のことじゃないもんね?」
柊は迷っていた。
菜々子と夏人は、柊の家で数回会っている程度だ。
2人はお互いのことを、まだよく知らない。
その菜々子に、夏人のことで悩んでいることを話すべきなのか。
そもそも、その話をするということは、夏人の過去にも触れなければいけない。
それは、夏人のプライバシーを他人に漏らす、ということになる。
黙ったまま険しい顔をしている柊に、菜々子が声を掛けようとした時。
『コンコン』とドアをノックする音が聞こえた。
「お待たせ!」
菜々子の母が、マグカップ2つをトレイに乗せて、部屋に入って来た。
「取りに行ったのに・・・」と言う菜々子に、別にいいでしょ?と母が微笑んだ。
「祐ちゃん、後で感想教えてね!」
勉強机にマグカップを置いて、母はいそいそと出て行った。
「とりあえず飲もうか」
柊はコクンと頷きマグカップを手に取ると、その温もりが伝わってくる。
甘い香りと相待って、柊の心を暖かくしてくれる様だった。
口をつけると菜々子の言う通り、想像以上に本格的だった。
柊は思わず「美味いな」と声を漏らした。
「お母さん喜ぶよ」
その声を聞いた菜々子も、思わず笑みが溢れた。
その後は、しばし沈黙の時間が流れる。
「あのね、祐介」
菜々子がその沈黙を破って話し始めた。
「もし、アンタが初めての感情に戸惑っていたり、悩んでいるなら、思ったままを吐き出した方がいいと思う。別に誰にも話さないしさ」
菜々子は昔から勘がいい。
なんとなく柊の悩みを察知しているのかもしれない。
「まぁ、いいアドバイスができるかどうか分からないけど」
「それに、アンタにとって大事な高総体が控えているんだから、このままのメンタルじゃダメじゃない?」
新しい顧問の
「でも上手く話すことができないし・・・」
俯く柊に「アンタが上手く話したことなんてあったっけ?」
と菜々子は、おどけて見せた。
「上手く話すことなんてないんだよ。思ったことそのまま話せばいいんだから」
夏人のことで感情が激しく動いていることを、誰にも話していない柊は、正直少し疲れていた。
幼い頃から菜々子とは、一緒に遊び、たくさん喧嘩をし、いろんな話をしてきた。
高校が離れても、いつも気にかけてくれている菜々子に、柊は絶対的な信頼を寄せている。彼女が誰かに自分の悩みを漏らすことは、もちろんないだろう。
柊は決断した。
自分ではもう消化しきれない、この想いを話すなら、菜々子しかいないだろうと・・・。
「・・・。聞いてくれるか?」
柊は冷め始めたマグカップをギュっと握った。
菜々子は「もちろん」と大きく頷き、姿勢を正した。
柊は
夏人と一緒にいると、他の友達とは違う楽しさや、嬉しさがあること。
夏人の仕草や表情に、時々ドキりとすること。
夏人が誰かとベタベタしてると、なんか苛立つこと。
夏人の言動に、いちいち一喜一憂していること。
そして、その自分の感情の波に、疲れ始めていること。
菜々子はただ黙って、柊の顔を見ながら頷いていた。
柊は少し深呼吸をして
「アイツ、
と夏人の過去をポツリポツリと話し始めた。
「俺に指導してくれてる
「うん」
「そのコーチの教え子だったらしく、全日本の強化選手にも選ばれてた、すごい人だったみたいなんだ」
「そうなんだ。世間って狭いね」
「でも。どうしていたなの?もしかして亡くなったとか?」
さすが、菜々子だ。勘が鋭い。
「うん。事故だったって・・・」
柊はボソボソと話す。
「兄貴の影響で水泳を始めた夏人は、それ以来泳ぐのを辞めてしまったらしい。アイツも将来を期待されてた選手だったのに・・・」
菜々子はじっと柊の話を聞いている。
2人のマグカップは冷め始めてきていた。
「俺、何も知らなくて。バカみたいに水泳部に誘ったり」
柊は
「挙句の果てに、兄貴の恩師だった日下部コーチに会わせて、夏人の辛い過去を引きずり出してしまった。せっかく心を開いてくれてきたのに・・・」
柊は、持っているマグカップが割れてしまうのではないかと思うほど、きつく握った。
「でも、
菜々子が言うことはもっともだ。
それでも
「何も知らなかったとはいえ、結果的にアイツを傷つけたのは事実だ」
と柊は自分を責める。
「実際、スイミングクラブに連れて行った日から、夏人とは音信不通になってるし、今日は学校まで休んだよ」
「そっか・・・」
菜々子はすっかり冷めてしまった、カフェラテを飲み干して言った。
「祐介は、椎名くんとどうなりたいの?」
「は?どうなりたいって・・・」
菜々子の言っている意味がよく理解できない柊は、少し考えた。
「とりあえず顔見たい。話したい。謝りたい。その上で水泳をやるやらないは、夏人に任せたい・・・かな」
「祐介は椎名くんと会えなくて寂しい?」
「寂しい?・・・というより心配・・・なのかな」
「会いたい?声聞きたい?」
うん、と頷く柊を見た菜々子は、確信した。
ただ、これを言ったところで、柊は理解できないだろうし、きっと認めないだろう。
でも、今目の前で疲れた顔をしている柊に、これを伝えられるのは、自分しかいない。
菜々子は大きく深呼吸をした。
「祐介、その感情はね。恋っていうんだよ」
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