第21話 疲弊

 いつもより早く登校して、『2−8』と書いてある靴箱の前で立っていた。

しかしそこは、ひいらぎのクラスではない。

2年生になった柊は7組。8組は夏人なつとがいるクラスだ。

 そう、柊は夏人の登校を待っているのだ。

次々と生徒たちが登校して来る。

しかし、チャイムが鳴っても、その中に夏人の姿を見つけることが出来なかった。

「おーい!柊。始業式遅れるぞ!」

クラスが一緒になった、バスケ部で同じ中学の本間大輝ほんまだいきに声を掛けられ、柊は仕方なく体育館に向かった。


 あの日以来、柊は夏人と会えていない。

夏人を『三好みよしスイミングクラブ』に連れて行ったあの日。

夏人を傷つけたあの日。

夏人の苦しい過去を知ってしまったあの日。

 会うどころか、連絡も途絶えている。

LINEは既読すら付かず、もちろん電話にも出ない。

 そのまま手も足も出せず、春休みが終わった。


 さすがに学校には来ると思って待っていたのだが、そこでも会えない。

始業式が終わり、教室に戻ると直ぐ、柊はスマホを鞄から取り出し、斗真とうまにLINEをした。

斗真は夏人と同じ8組だ。

 『夏人来てる?』

 『いや、今日休みだって。風邪らしいよ』

柊は、斗真からの短い返信を見ながら、大きく溜め息をついた。

 仮病を使ってまで俺の顔を見たくないのか・・・。


 『何かあったのか?』

斗真に聞かれた柊は、新しい担任が教室に入って来たのを見て

 『いや、とりあえず後でな』

と返信をし、スマホを鞄に入れた。


 授業が終わり、柊が重い足取りで部室のドアの前に立った。

中から、たくみいつきの笑い声が聞こえて来る。

小さく溜め息をついて、ドアを開けた。

「おー!」

「遅いぞ、柊!」

うん、と小さく頷く柊に「椎名しいな休みだって?」と樹が聞く。

「・・・みたいだな」

「え?何も聞いてないの?」

巧が不思議そうに聞く。

 

 無理もない。ここ最近2人は、まるで恋人のように、常に一緒だったからだ。

「もしかして、スイミングクラブに椎名を連れて行った日に、何かあったんじゃないか?」

図星だが、柊は心配そうな顔をした斗真に「大丈夫だよ」と笑った。

 それが作り笑いなことくらい、長い付き合いの斗真にはお見通しだ。

「そっか。でも話したくなったらいつでも言えよ」

ポン、と軽く肩を叩く斗真に、柊は感謝した。

 何も聞かない優しさが、今はありがたい。


 「えーっと・・・。みんな、僕の存在を忘れてませんか?」

聞いたことのない声に柊は顔を上げた。

「?」

ははは、と苦笑いした20代の男性。

柊は不思議そうに、その男性の顔を見た。

「柊、始業式出てたでしょ?」巧が笑う。

「新しい顧問の秋月あきつき先生だよ!」


 あー。そうだ。顧問の先生替わったんだっけ・・・。

顧問、と言っても名前だけだった、日本史教師の山村は、他校に異動したのだ。

「数学Ⅱの秋月芳弘よしひろです。新しく水泳部の顧問になりました」

「教師3年目の25歳。昭陽しょうよう大学教養学部出身で、水球をやっていました」

「至らないこともあると思いますが、どうぞよろしくお願いします!」

スラスラと自己紹介をした秋月は、深々と頭を下げた。


 水球という激しい競技をやっていたのがよくわかる、鍛えられた体をしている。

そして、体育会系の爽やかな好青年だ。

「センセ真面目か!!」

巧に揶揄からかわれた秋月は、照れ臭そうに笑った。

 「先生、俺らも自己紹介しますよ。まずは・・・」

と斗真が言いかけた途端、秋月はその言葉を遮った。

「キミは主将で8組の吉澤よしざわ斗真くん。種目はバタフライですね」

「5組の上野樹くんと、城之内じょうのうち巧くん。2人とも自由形」

「俺ら性格も自由っす!」

と突っ込む樹に、秋月は「その様ですね!」と笑った。


 「そして・・・」

秋月は、柊に顔を向けた。

「7組の柊祐介ゆうすけくん。中学3年生の時、自由形200mで全中に出ていますね。このメンバーの中で、最もインハイに近い選手だと聞いています」

柊は、秋月と目を合わせず、ペコっと頭を下げた。


 どうやら秋月は、前顧問の山村から、部員の情報を仕入れていたようだった。

「えー、なんだ、センセ俺らのこと知ってるんだぁ」

目立ちたがりの巧は、自己紹介をするチャンスを逃して、不貞腐ふてくされている。

「もちろんですよ!これから一緒に頑張るんですから、まずはみんなを知らないと!」

秋月は白い歯を見せてニコリと笑いながら、小さくガッツポーズをした。


 「それと・・・」

秋月がキョロキョロと部室を見回して言った。

「軟式野球部から移ってきた8組の椎名夏人くんは、今日はお休みですか?」

その瞬間、柊の顔色が変わったように見えた。

 慌てた斗真が「風邪ひいたみたいです」と即答した。

「そうですか・・・。それは残念です」


 「先生。俺、今からスイミングなんで、帰ってもいいすか?」

秋月は柊の声を、この時初めて聞いた気がした。

「もちろん!今日は顔合わせだけなんで大丈夫ですよ」

「柊くん、高総体まで3ヶ月ないですからね、頑張りましょう!」

と、再び白い歯をこぼした。

「えー?柊!これから部活紹介の出し物の練習しようって言ってたじゃん」

巧が柊を止めようとすると

「そうだよ、新入生が入部しないと困るだろ」

と樹も同意した。

 しかし既にローファーを履いている柊は、部室を出て行こうとしている。

「あー、それは、お前らに一任するよ。悪ぃ」


 「あ、柊くん!」

振り向いた柊に秋月が駆け寄り、小さな声で言った。

「スポーツにはメンタルの安定が不可欠です。何か引っかかっていることがあるなら、早めに対処しましょう」

「は?」柊は怪訝そうな顔をした。

「特に相手がいる場合なら、尚更です。時間が経てば経つほど、気まずくなったり、関係が悪化してしまう恐れがありますから」

 

 柊は一瞬たじろいだ。

初対面のこの爽やかな若い教師に、自分を見透かされている気がしたからだ。

 柊は軽く頭を下げて、部室から出て行った。 

ポケットからスマホを取り出し、夏人のLINE画面を見ると、未だ既読が付いていない。

 大きく溜め息をついた柊は、スイミングクラブとは逆方向に自転車を走らせた。

今日は泳ぐ気分にはならない。柊は帰る選択をした。

「雨、降りそうだな・・・」

夏人の悲しい過去を知った、あの日と同じような空を見上げた。




 夕飯を食べ終えた菜々子ななこがコンビニに向かう為、マンションのエントランスに降りると、自動ドアを出ようとする柊の姿を見つけた。

 柊は上下ジャージを着ている。

「祐介!!」

その声に柊は振り向く。

「おー、菜々子か・・・」柊はどこかぼんやりしている様に見えた。

「走りに行くの?」

「そうだよ。お前はコンビニにアイス買いに行くのか?」

「・・・。夕飯のデザートは、やっぱアイスでしょ!」

どうやら、柊の勘は正解のようだった。


 相変わらず好きだねー、と言いながら外に出ようとする柊に

「ねえ!祐介!」と菜々子がまた柊を呼び止めた。

「なんだよ?」

少し苛立ちながら、柊は菜々子を見た。

「雨、ひどくなってきたよ」

本当だ。いつの間に本降りになったのだろう。

 

 菜々子は、柊と長い付き合いだ。

あまりむらっ気がない柊だが、それでも思い通りにならないことや、悔しいこともある。

柊にも、苛立ちや怒り、悲しみという負の感情が、当然のように生まれる。

 そういう時、柊は決まって「頭冷やして来る」と、わざわざ雨の日を選んでランニングに出るのだ。


 多分、今夜もそう言うだろう。

 「俺、頭冷やして来るわ・・・」

ほら、やっぱり・・・。

 そして菜々子も決まって同じ台詞を言う。

「風邪ひいたら元も子もないでしょ?それよりお茶入れるから飲みに来ない?」

「・・・・・・・」

しかし今夜の柊は、いつもと違う雰囲気がした。

「んー。じゃあ、たまにはカフェラテでも作るから、来る?」

そう言った菜々子の笑顔を見た柊は、自然と頷いていた。

「カフェラテか・・・。行こうかな」

「うん、来なよ!祐介と久しぶりに話がしたいし・・・」

菜々子はポンポンと、柊の背中を叩いた。


 柊は菜々子に触れられた背中が、暖かくなる感覚を覚えた。

夏人の事で、右往左往している自分の感情に、少し疲弊しているのか・・・。

よく分からないが、今は素直に菜々子に甘えてみたくなった。


 




 








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