第17話 自覚

 フードコートのカウンター席を選んだ柊は、顔を赤らめたまま、腰を下ろした。

「柊くん何飲む?」

夏人に聞かれた柊は、所持金が30円しかないことを思い出した。

 「あ、俺、ここの水でいいわ」と笑う。

察した夏人が「じゃあ、俺が奢るよ!フィギアのお礼!」と笑う。

「でも、自販機のお茶でもいい?」

どうやら夏人の財布の中身も、かなり寂しいようだ。

「じゃ、買って来るから、見ててね」

とは、フィギアのことだ。

 

 そんなに嬉しかったのかよ・・・

自販機がある店の出口に向かって走る、夏人の背中を見ながら、柊はフッと笑った。

 間もなく夏人は、ペットボトルのお茶と缶コーヒーを持って戻ってきた。

柊は「サンキュー」とお茶を受け取った。その隣に座った夏人は、缶コーヒーを開けながら

「今日は楽しかったなぁ。これも・・・」

フィギュアを触りながら

「ほんとにありがとう!!」

と満面の笑みを柊に向けた。

 

 だからそれが反則なんだよ・・・。

柊は夏人を可愛いと思う自分を、自覚せざるを得なかった。

 夏人の笑顔も。コーヒーを飲んでいる横顔も。ゲームセンターで見た真剣な顔も。ちょっとハスキーで綺麗めな声も。フィギアを愛でる仕草も。

 

 全部『可愛い』のだ。

飼い猫のキングとカズを可愛いと思う感情とは全然違う。

 柊にとっては初めての感覚だ。

この『可愛い』と思ってしまう気持ちが、何を意味しているのかは分からない。

 夏人に笑って欲しい、上を見て欲しい。

ただそれだけではない、何か分からない感情が、柊の心臓をチクチクさせる。


 「あ、あのさ、柊くん・・・」

お互い喉を潤した後、夏人がモジモジしながら柊を見た。

「?」

「あの、スイミングの話なんだけど・・・」

柊が思わず「あ!」と声を漏らす。

 そうだよ!今日はコイツの話を聞きたかったのに、一緒に遊んだだけで、何を満足してるんだ、俺は!

 「あー、その話はもう大丈夫だよ!」

柊は慌てて両手を合わせ、ごめん、というジェスチャーをした。

「ただの俺のわがまま!嫌な思いさせて悪かったな」

「えっと、違うんだ」

夏人は相変わらずモジモジしている。

「?」

「2年以上泳いでなかったから、その・・・。上手く泳げなくて・・・。まだ柊くんに見せるのが恥ずかしくてさ」

「ちゃんと言えば良かったのに、あんな素っ気ない返事しちゃって・・・」

夏人は申し訳なさそうに話した。


 「実は、市営の温水プールで週3くらい練習してるんだ。だからもう少し上手くなったら・・・でもいい?」

柊は驚いた。と同時に点と点が繋がった気がした。

「もしかして!最近遊びの誘い断ってたのも、練習のため?」

「うん」

「放課後、さっさと帰ってたのも?」

「うん」

 柊は「そっかぁ!」と安堵した。


「俺、夏人に嫌われたかなって思ってたから。マジ良かったー!!」

胸を撫で下ろす柊に「え?なんで嫌うの?」と夏人はキョトンとした。

「え?だって、俺しつこかったから・・・」

それを聞いた夏人はクスクスと笑った。

「それは今に始まった事ではないでしょ?」

「うっせーっ!!」


 柊は夏人の柔らかいオレンジ色の髪をくしゃくしゃにした。

するとシャンプーの香りなのだろうか。ほのかに甘い香りが、柊の鼻をくすぐる。

「やめてよー!」と笑う夏人が、「あ!」と思い出したように話す。

「その市営のプールにね、ほんと少ないけど、トレーニングのマシンがあるんだ。年代モノだけどね」

「柊くんが、お前は細いから鍛えろ、って言うから、そこで筋トレもしてるんだ」

左腕に力こぶを作りながら、夏人が笑った。


 柊は夏人の素直さに嬉しくなった。

水泳部員として、夏人は自分で考え、行動し、ちゃんと努力していたのだ。

 俺には練習のこと、話してほしかったけど・・・。

 でも、男としてカッコつけたいのは、よく理解できるしな。

 うん、少し待ってよう!


「どっちにせよ」

柊は夏人の背中を『バチン!』と叩いた。

「学校のプール始まったらイヤでも夏人のキレイな泳ぎ見れるからな!楽しみにしてるよ!」

痛そうな顔をした夏人は苦笑いをした。

「またそうやって、ハードル上げるんだもんなぁ、柊くんは」


 「そういえば」

ペットボトルのお茶を飲み干した柊が夏人にこう聞いた。

「2年以上泳いでなかったって言ってたじゃん。てことは、中2くらいまで水泳やってたんだよね」

「なんで辞めたの?」


 夏人の横顔を見た柊は、一瞬ギョッとした。

さっきまでの夏人とは別人のような表情をしたからだ。

「・・・・・・・」

声を出さないのはもちろん、一点を見据え、微動だにしない。

 柊が近寄れない重くよどんだ空気が、夏人の周りを囲っている。

「あー、ごめん、ごめん!」

柊はわざと明るく言った。

「話したくなかったらいいんだ!悪い!」

夏人は、フルフルと首を横に振った。


 そっか。水泳を辞めた理由は、夏人の地雷なんだな・・・。

もちろん気にはなるが、地雷が分かれば、不用意に夏人を傷つけることはない。

柊にとっては、収穫だ。


 「俺の泳ぎを見せるのは、まだ恥ずかしいけど・・・」

チラッと柊を上目遣いに見る夏人の表情は、元の『可愛い』夏人に戻っていた。

そして、柊はその夏人の仕草に、またドキッとさせられた。

「柊くんの泳ぎは見てみたいかなぁ、なんて」

「え?」柊の顔がパッと明るくなった。

「スイミング、来てくれるのか?」

「・・・。うん。大丈夫。うん・・・、もう平気だ、と思う・・・」

まるで独り言のようにボソボソと話す。

 小声だったからかよく聞こえなかったが、とりあえずスイミングに来てくれるのは、間違いないようだ。

 よし!!!

柊はカウンターの下で、小さくガッツポーズをした。


 「全中に出た実力を見せて頂きます!」

悪戯っぽく笑う夏人の髪を、柊は再びくしゃくしゃにした。

そして再び、ほのかに甘い香りがした。その香りが柊の胸を躍らせる。

「おー!見せてやるよ!!」



 夏人と別れ、地下鉄の駅に向かう柊の足取りは軽かった。

ふと、財布に30円しかないことを思い出した柊は、慌ててスマホをポケットから取り出し、Suicaの残高を確認した。

「あっぶねぇ。チャージしておいて良かった」


 起点駅のため、電車はドアを開けたまま既に停車している。

柊は真ん中の車両に乗り、座席に座った。

「発車までしばらくお待ち下さい」というアナウンスを聞いた柊は、イヤホンを耳にねじ込み、スマホにダウンロードしている音楽を聴き始めた。

 それにしても。冴子さえこの言う通りだったな。

 やっぱ話してみないと、全然分からないもんなんだ。

柊は、母に少し感謝した。


 ただ柊は、夏人が水泳を辞めた理由を話したがらないのが、引っかかっていた。

酷く気になるが、今は『問わない』という答えが正解だろう。

その話に触れると、初めて会った時の、寂しさと冷たさをまとった表情に、夏人が戻ってしまうのを、柊は恐れたからだ。

 そのうち話してくれるかもしれないしな・・・。

焦らず待とう、と柊は決めた。


 気がつくと、車内はいつの間にか座席が埋まるほど、混雑してきた。

目の前に同世代のカップルが寄り添って座っている。楽しそうだ。

 てか、俺もイカれてるよな。男の夏人を『可愛い』と思うなんて・・・。

 女っ気無さ過ぎて、変態になったのか?

そんな自分がおかしくなって、笑いそうになるのを必死で我慢した。

 ま、とりあえず、アイツにカッコいいとこ見せないと!

柊は、軽く目を閉じた。


 鼻の奥に、あのほのかに香る甘い匂いが、まだ微かに残っていた。





 

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