第15話 イラつく

 「あー。俺ちょっと休むわー」

いつもと同じ昼休みだ。サッカーをしていたひいらぎは、突然プレイ中に枠外に出て、フットサル場の端の方で、ドカッ!と地面に座った。

「柊、もうバテたのかよ!」

サッカー部のたちばなのせせら笑いを、柊は無視した。

 今日はいつもと同じようで、同じ昼休みではなかった。

ここに夏人なつとがいないのだ。実は最近、こんな昼休みがちょくちょくある。


 柊は背中のグラウンドを気にしていた。聞き耳を立てている。

微かに夏人の笑い声が聞こえた。

「今日、椎名しいなは野球やってんのか?」

斗真とうまが隣に座り、話しかけられるまで、柊はその気配に全く気付かなかった。

「!!お、おぅ・・・。ってあれ?斗真も抜けたの?」

「いや、お前が抜けて、頭数合わなくなったからな」

斗真がグラウンドに顔を向けた。

 「椎名、最近変わったな。明るくなった。話しかけやすくなったし、よく笑うようになったよな」

 自分の思考が斗真に読まれていることに、柊は一瞬ギョっとした。

「・・・。うん」

「同じクラスのヤツらとも、あーして遊ぶようになったし」

「うん」

元軟式野球部で左投げの夏人は、わざと手を抜いているのか、パコンパコンとよく打たれている音がしていた。その度に盛り上がっている声が聞こえてくる。


 「よかったな。椎名が明るくなってきて」

斗真が柊の肩を軽く叩くと、柊はポツリと言った。

「そうなんだけど。なんかイライラする」

「?」

「上手く言えないんだけど、最近夏人にイラってくることが多い。期末試験の勉強も1人でできるでしょ?とか言って、ほとんど教えてくれなかったし。夏人の上から目線に『は?』ってなったり」

「栄養バランスとか考えて食事しないと!とか言われると、お前が一番細いんだから、お前はもっと食え!ってイラってなったり」

 斗真は『それ全部お前の為じゃん』と言いたいところだったが、とりあえず黙った。


「それに・・・。遊びに誘っても半分は断られるようになったし・・・」

と柊が肩を落とした。

 なるほどね・・・。

斗真は理解した。

理解した上で、話をすり替えてみた。


「柊のそのイライラってさ。水泳部に入ってくれたけど、椎名の泳ぎが見れないっていうのが原因なんじゃね?」

 たぶんそれだけじゃないだろうけど・・・。

と斗真は推測していたが、それには蓋をして話を続ける。

「まぁ、まだ3月で学校のプールは使えねぇから・・・」

斗真がニヤりと柊を見た。

「お前のスイミングスクールに連れて行ってみるとか?」


 柊の顔には『あーー!なるほど!』と書いてある。

 ・・・。相変わらず分かりやすいヤツだな。

斗真がフッと笑うと、予鈴が鳴った。

 サッカーを止めて校舎に向かっていると、さっきまで野球をやっていた4組の連中が前を歩いていた。

その中にニコニコしている夏人もいる。


 本当に夏人は変わった。

冬休みが明け、軟式野球部を辞め、水泳部に入部してから2ヶ月が過ぎた。

夏人は徐々に明るくなり、それと同時に、柊たち以外の友達も増えてきている。

 一緒にサッカーをやっている橘たちからも「椎名、最近いい感じだな」と好評だ。

さらに、元々顔も頭もいい夏人は、女子からもモテるようになっているらしい。


 「そういえば、椎名っち、告られたみたいだよ。そしてお断りしたみたいだけど」

前を歩いている夏人の背中を見ながら、情報通のたくみが恨めしそうに言った。

「またかよ!」いつきが空を見上げ、はぁ〜と大きな溜め息をついた。

「まぁ、あの顔だし、頭いいし、スポーツやればなんでもできるし。しかもいいヤツだし。モテるのは仕方ないけどねぇ・・・」

「いや、こうなったら、潔く誰かと付き合ってほしいわ!」

巧はグッと拳を作った。

「彼女いるなら他の女子は椎名っちを諦めるだろ?そしたら、1人くらい俺を見てくれるかもしれないじゃん!」

この場にいる全員が、ゲラゲラと笑った。

 ただし柊1人を除いて・・・。


 柊はずっとモヤモヤしていた。

何故か分からない。とにかく面白くない。イライラする。

 人気者で、誰に対しても優しくて、明るく、いつも穏やかな柊は、そんな『負』の感情をあまり持ったことがない。

 たとえ水泳でタイムが悪くて、悔しい!とは思うことがあっても、それをバネにして、すぐ次へと気持ちを切り替えられる。

 それなのに、夏人に対してだけは、その『負』の感情をうまく咀嚼そしゃくできない。

常に消化不良で、腹の底がムカムカしているのだ。


 「あぁ、くそっっ!何なんだよ!」

柊の独り言は、斗真だけには届いていた。

 斗真は柊の肩に手を回し、同じ話を繰り返した。

「もうすぐ春休みだから、スイミングに誘ってみなよ。柊のそのモヤモヤの正体が、分かるかもよ」

どことなく、斗真は何かを含んだような言い方だ。

 でもとりあえず、柊は素直に、その提案に乗っかることにした。



 なんでイヤなんだよ・・・!!

柊はリビングのソファで苛ついていた。

 足元では、キングとカズが「ニャーニャー」と柊に擦り寄っている。体は大きくなったが、2匹はまだヤンチャ盛りだ。

 

 春休みに入ってすぐ、柊は夏人をスイミングスクールに誘うLINEをした。

『明日、俺スイミングだけど、一緒に行かないか?』

すぐに既読は付いたが、なかなか返信が来ない。

 少しイライラしながら待っていると『ピコン』とようやく通知が来た。

『行かない』

は?なんで?

 柊はまたイライラしながら『なんか用事あるの?』と送った。

『特にないけど。でも行かない』

『泳ぐのイヤならさ、見学だけでもいいし。てか俺の泳ぎ見たくない?』


 スマホをいじっている柊の顔は酷く不機嫌だったが、それを悟られまいとして、『行こうよ〜!』とキングとカズの写真も一緒に送ってみた。

 『可愛いね!』

お、いい反応!と柊が喜んだのも束の間、次のLINEを読んでガックリと項垂うなだれた。

『でもスイミングには行かないよ』


「バカ祐介ゆうすけ!何回言わせんの?ご飯できたよ!手伝え!」

柊は、母冴子さえこに怒鳴られ「へいへい」とソファから立ち上がった。


 「ったく、何回も呼んでるのに、スマホばっか弄って!」

冴子はご機嫌斜めだ。カレーを口に運びながら「わりぃ・・・」と柊は小声で謝った。

「てか、カレー、最近も食べなかった・・・」

と言いかけた途端「あー?イヤなら食うな!」と冴子に睨まれ、柊は黙って再びカレーを食べ始めた。


 食事が終わり、柊が食器を洗っていると、ダイニングテーブルにノートパソコンを広げ、冴子は何やら作業をし始めた。

片付けが終わった柊が、コーヒーを淹れ、冴子の向かいに座った。

 冴子が日勤で夕飯の支度をする時は、後片付けをし、食後のコーヒーを淹れるまでが柊の仕事だ。いつの頃からか、それが柊家のルーティーンになっている。


 「親父、今日遅いの?」

「みたい。さっきLINEきた」

父親の帰りが遅いのは今に始まったことではないので、「ふーん」と柊は軽く聞き流した。

「それ仕事でしょ?」

柊はコーヒーではなく、ココアを飲んでいる。

「うん。カンファレンスの資料」

冴子が看護主任になってから、目に見えて仕事の量が増えている。

こうして家に仕事を持って帰ってくるのも、珍しくない。

 でも、冴子は仕事の文句は言わないし、ブレないんだよなぁ・・・。

柊は何となく、ボーっと冴子のを見ていた。


 「あんた何かあった?」

唐突に冴子がパソコンを打つ手を休め、息子の顔を見た。

「え?なんで?」

うろたえている柊に

「16年あんたの母親やってるんですけど」

と冴子はクスっと笑った。

「それに、すぐ顔に出るからね、祐介は」


 冴子には敵わねぇな・・・。

柊は深呼吸を一つして母に向かって話し始めた。

 最近仲良くなった友達をスイミングに誘ったら、あっさり断られ、俺の誘い方が悪かったのかと気になっている。それに何となく最近は、そいつと距離を感じるようになっている。

 と、断片的に夏人の話をした。冴子の目は息子ではなく、パソコンの画面を見ている。


 「・・・。あのね」

聞いているのか聞いていないのか、分からなかった冴子が顔を上げた。

「あんたさ、その椎名くん?だっけ。彼の話をちゃんと聞いてる?今回なんでスイミングを断るのか。なんで最初の頃より距離を取るのか」

「そもそも、何で辞めていた水泳を、またやるのか」

「いや・・・。聞いてない・・・」

「彼には彼の気持ちがあるし、事情があるんだよ。そもそもあんたが、半ば強引に友達にしたみたいだから、本当のことを椎名くんが喋りづらい環境なんじゃない?」

「う・・・・」

柊は反論できないでいた。


 「以心伝心なんて都市伝説。まして友達になって日が浅いんだから。まずは椎名くんの話を、ゆっくりちゃんと聞いてみな」

「それと」冴子が息子の目をじっと見た。

「焦るな!」


 「ん!」と空になったマグカップを柊に差し出した冴子は、またパソコンに向かった。

再びコーヒーを淹れた柊は、冴子の話にぐうの音も出なかった。

 まったく冴子の言う通りだ・・・。


「それにしてもさぁ」

冴子がパソコンを見たまま、プっと吹いた。

「祐介のこういう話初めて聞いたけど、なんか、恋バナ聞いてるみたいで面白かったわ!青春っていいねぇ」

息子を揶揄からかった冴子は、ケラケラと笑っている。

「は、はぁ?恋バナって・・・!冴子!あんま調子に乗んなよ!!」

柊は、自分の体が一気に熱くなるのを感じていた。

 







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