第3話 柊祐介の好奇心
「で?昨日何があったの?」
窓際の
たった今、売店で買ってきた焼きそばパンの袋を破りながら、柊は「うーーーん」と天井を見上げた。
ちなみに、今朝母が大急ぎで作ってくれた弁当は、もうない。柊はほぼ毎日、2時間目が終わると、わずか10分の休み時間の間に、弁当を食べ終えてしまうからだ。
昨日プールで出会った不審者、椎名夏人が帰った後、急いで鍵を返しに職員室に行き、柊があまり好きではない化学教師に小言を言われ、自転車で10分ほどの自宅マンションに着いたのが、19時少し前だった。
それまで一度もスマホを見ていない。
ひどい疲労感を感じていた柊は、倒れ込むようにベッドに横になった。
その時、ピコンとLINEの通知音が小さく聞こえたが、スマホをカバンから取るのも、字を読むのもめんどうだったので、スマホはカバンの中に放置したままだった。
柊が覚えているのはここまでだ。
気付いたら朝になっていた。
慌てて、部屋の時計を見ると5時40分を指していた。
よかった、寝過ごしてはいなかった・・・
柊は少しホッとした。
どうやら夕飯も食べず、制服のまま寝落ちしていたようだ。
「腹減ったなー・・・」
起きるにはまだ早いが、さすがにもう眠くない。それより空腹だ。
親を起こさないように、静かにキッチンに行き、冷蔵庫を開けると、昨夜のおかずと思われるものがあった。
器に入った煮物と冷奴がラップに包まれており、ご丁寧にメモが貼り付けてある。
『何回も起こしたけど、起きないから、朝に食べな!バーーカ!』
母親の字だ。「バーーカ!って・・・」
柊は苦笑いした。母、冴子は見た目も若いが、中身も若い。
若い、というより、かなり幼い。
こんな調子なので、柊にとって冴子は、母というより、姉、いや妹みたいな存在なのだ。
ところが外では、10年以上のキャリアを持つ看護師で、今年の春からは看護主任として働いている。
柊は、家の中の幼い母と、看護師として働く母の姿を想像し、少しおかしくなった。
ギャップが過ぎるだろう・・・。
ほんとはパンでも食べたい気分だったけど、この昨夜のおかずを残そうものなら・・・。 家の中の母の顔を想像するのは容易い。
「いただきます」
レンジでチンした昨夜のおかずは、早朝6時前の、柊の朝ごはんに変わった。
「コンビニには来ないし」巧は少し不機嫌だ。
「LINEは全然既読にならないし」
いろいろすっぽかしたんだから、聞かれるのは当然だよな・・・
急いで焼きそばパンを平らげ、昨日のプールでの出来事を、一部始終、巧に話した。
相槌を打ちながら聞いていた巧の弁当箱は、いつの間にか空になっていた。
「変なヤツだなー」
「だろ?制服のまま浮いてるとか。ほとんど無視されるとか。意味わかんね」
「いや、制服で浮いてた、とかより」
「柊を黙らせるってとこがさ。面白いヤツだわ!」
巧はゲラゲラと笑った。
「あーでも。そんだけキレイに泳げるなら、水泳やればいいのにな」
巧の言葉に、柊はハッとした。
そうだよな、なんで水泳やらないんだ?無断でプールに入るくらいなのに・・・。
「でー、なんだっけ?名前、そいつの」
「椎名夏人、隣の4組。確か軟式野球部」
「軟野かー・・・」
巧は「うーーん」と腕組みをし、何やら考えているようだった。
暫くして「おーい!
そこには、同じクラスの男子生徒が、3人で立ち話をしている。
そのうちの1人が振り返り、こっちを見た。
「南野、ちょっとちょっと」
と巧が手招きをすると、南野は小走りで、近づいてきた。
「お前軟野だよな?」
あ、それで呼んだのか。柊は納得した。
南野は身長は低い方で、おまけに小太り。およそ野球をやっているようには見えない。
日焼けもあまりしていない。
「うん。そうだよ。なんで?」
不思議そうな顔をして、巧の質問に答える。
「4組の椎名って知ってるだろ?」
今度は柊が尋ねた。南野は柊の顔を見て「もちろん。同じ部活だし」と答えた。
「どんなヤツ?」
「んーー。どんなって・・・」
南野は腕組みをして天井を見上げた。
「あんま部活来ないから、よくわかんないけど」
「
そう。アオ高と呼ばれているこの
その為、部活動、特にスポーツにも力を入れているのだ。
「でも軟野は硬式と違って、遊びみたいな部活じゃん。国立とか有名大学を狙っているヤツ多いから、勉強優先したくて練習もテキトーだし」
だから日焼けしてないのか。柊は南野の顔を見て、妙に納得した。
「椎名もその1人だよ」
「へーー」
巧もいつの間にか真面目な顔で聞いている。
「てことは、椎名って頭いいの?」
柊の質問に「知らないの?」と呆れたように南野が答える。
「この前の期末、学年で5位だよ」
「え?マジ??」
柊と巧は、同時に驚いた。
「でもさ」南野の話は続いた。
「椎名って、いろいろもったいないんだよねー」
「いろいろって?」柊が食い気味に聞く。
「頭いいから、医者でもなんでもいけるのに、興味ないみたいだし。運動もできるから、なんか真面目にやれば、さらっと全国とか行けちゃいそうだし」
「それに・・・」
「それに??」
もう柊も巧も、興味津々だ
「これはちょっとムカつくんだけど」
「・・・。イケメンなんだよな、しかもかなりの!!」
イケメンか。柊はぼんやりとだが、思い出していた。
確かにキレイな顔だったな。
「椎名ってモテるんだけど、女子にも興味ないみたいで。彼女もいらないって言ってたことあったよ」
南野は「俺は欲しくてもできないのに!」と少しキレ気味に言った。
「くうーー!頭良くて、運動神経も抜群で、イケメン??」
頭をぐしゃぐしゃと掻いて、巧も同じくキレ気味で言った。「マジ、イケメン滅亡して!!」
「だからもったいないと思うんだよ」南野の話はまだ続いていた。
「あれでお前らみたいに、チャラいなら、もっと高校生活エンジョイできるのにって」
どうも南野から見ると、柊たちは、チャラい部類に属しているらしい。
「大人しいヤツってこと?」イケメンというワードに、まだ
「大人しいっていうか・・・」南野は椎名のことをどう表現するべきか、迷っているようだった。
「うーーん。掴み所のない不思議くん・・・かな?」
「全然嫌なヤツじゃないけどね。でも皆んなと当たり障りなく接してても、なんか、他人と一線を引いている感じが・・・」
「おーい!」
さっきまで一緒にいたヤツらに呼ばれて「じゃあ」と、軽く右手を上げ、南野は教室を出て行った。もう少し話したそうに見えた。
「
「椎名ってやつのことよく知らないって言ってたけど」
「よく知ってるじゃんね」
確かに。南野はよく喋った。
椎名はあまり部活に来ないと言っていた。
それでも、あれだけの情報があるということは、南野も柊と同じように、椎名夏人という、掴み所のない、ちょっと不思議な男に、少しだけ興味があるのかもしれない。
「あー!でも!そんだけのハイスペックな男が、彼女いらないとか。世の中、不公平すぎない?」
「頼む、椎名くん。キミが振った女子の中で、一番可愛い女の子を紹介してくれ!」
「そして俺を、バラ色のアオ高生にしてくれ!」
巧はキリストに祈るように、机に肘を付き、手を組んだ。
神様は、そんなアホな願いを叶えてくれないよ。
でもそう言う巧も、どちらかというと、イケてる方だと思うんだけどな。
と柊は、クスっと笑った。
事実、巧は顔は割といいが、そのお調子者の性格が軽い男と見られ、あまりモテない。
『掴み所がない男。他人と一線を引く男。どこか不思議な男。キレイな泳ぎをする男。オレンジの髪色をした男。美しい容姿の男』
柊が椎名夏人を知ることが出来たのは、現時点ではここまでだった。
『キーンコーン、カーンコーン』
昼休みを終えるチャイムが鳴り、巧は自分の席に戻った。
他の生徒たちも、次々と席に着き、次の授業の準備をしている。
一番眠い5時間目の今日の授業は、柊の苦手な『古典』だ。
窓から外を眺め、柊は椎名夏斗の、少し冷たい、大人びた目をぼんやりと思い出していた。
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