アイロニ エピローグ
「ただいまー」
部活で疲れ切った身体に鞭打つように通学用自転車のペダルを漕いでようやく帰宅する。いつも通りの日常。そう、いつも通りで、日常なんだ。これが今の自分にとっての。
「おかえり」
リビングに入ると、奥のキッチンで夕食の用意をしていたお母さんに声をかけられる。お父さんの姿は見えないから、まだ仕事から帰ってきていないようだった。
「お夕飯、お父さんが帰ってきてから食べようと思うんだけど、
「うん、大丈夫。それまで部屋にいるから、父さんが来たら呼んで」
「はーい」
それだけ告げて疲労を抱えた身体を引きずるように階段を昇り、自室に入った。部屋の照明を点けると、黒く大きな四角い箱が何よりも存在を主張していた。中学入学のお祝いに、お父さんに無理を言って買ってもらった自分用のデスクトップパソコン。ちなみにこれと引き換えに中学の三年間、誕生日とクリスマスのプレゼントは無しと宣告されている。でもそれが苦にならないくらい、これを早くに手に入れられてよかったと思っている。
PCの電源を入れると身体が覚えているままにマウスが動き、いつもの画面を開いていた。
【今帰りました】
【おー、お疲れー】
【お疲れっす】
【すぐに出れる?】
【ちょっとしたら親と夕飯食べないとなので、二十時くらいからだと助かります】
【おっけ、じゃ今日は二十時からで】
【すみません、ありがとうございます】
お父さんに自分のパソコンをねだったのは、コンシューマーだけでなくネットゲームにも触れてみたいと思ったから。思っていた以上にそれは奥深く、そして楽しかった。今まではゲームと言えば一人で遊ぶか“あの子”と遊ぶものだったから、ネットを通じて不特定多数の人と楽しむことのできるこのジャンルは、自分にとって一種のカルチャーショックともいえるもので。そして、自分のゲームの腕前がいかに未熟かも思い知らされた。世の中には自分よりセンスのあるゲーマーがごまんといる。それを知ることができたのも、パソコンを手にしてよかったことの一つと言えるかもしれない。
いつか、プロゲーマーになるために。
本気でなれると思っているわけでもないけれど、なにか行動を起こさなければなれるものもなれない。何事もそうだ。『人間なんて生きているだけで前進する』ってあの子は言っていたけれど。
“卒業”の日、この部屋で最後に彼女と交わした約束。言葉で示し合わせたわけではないけど、自分にとってあれは約束だったんだ。
———君との“自分探し”で見つけたもの、簡単に忘れたりできないし。
「淳ー?お父さん帰ってきたからそろそろ食べよー?」
「あ、うーん」
今日の夕飯のメニューは何なのだろう。少なくとも、一人で食べる食事よりは美味しいはずだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます