カノン エピローグ

「………」

「あ、詩織しおり~」

「ん。あぁ、あおい。おはよう」


 大学敷地内の医学部用キャンパスにあるリフレッシュスペースでスマートフォンを弄っていた私に声をかけてきたのは同じ学部に通う葵という学生だった。地元にいた頃とさして変わらない垢抜けない外見の私とは対照的な、派手なファッションや化粧を好む彼女を見て医学部の学生と分かる人は果たしてどの程度いるのだろう。

 彼女と知り合ってもう一年にもなるけれど、所謂“腐れ縁”のような関係。私が彼女に対して積極的にアプローチをかけたわけでもないのだけれど、なんとなく朝このスペースで顔を合わせ、肩を並べて講義を受け、同じ机を囲んでランチを食べる。そんなキャンパスライフが私にとっての日常と化していた。

 とはいえ私も彼女に対して全く興味がないわけでもなかった。なぜなら。

「突然ですが問題です、ジャジャン。今日の葵は何かが違う。さて、どこが違う?」

「いつもよりつまらない」

「正解は、“身長が昨日と五センチ違う”でした」

「あぁ、そういえば昨日だったんだっけ。新しいボディの乗り換え」

 葵も私と同じ、『KANON』利用者だった。彼女がどういう経緯で親から貰った身体を捨てることになったのかまでは聞いたことがないけど、それでも私にとって初めてできた『KANON』利用者の友人ということになる。

 でも同じ『KANON』利用者であっても、彼女の人生観というか価値観は、私のそれとは大きく違っているようで。

「でさ、今日友達の伝手で合コン行こうかって話あるんだけど、詩織もどう?」

「え、うーん、どうしようかな」

 葵は私と違って、周囲の視線とか悪意といったものに対するセンサーが鈍いというか、良くも悪くも自分をしっかり持っているタイプの女性だった。自分の身体はもうないのに自分があるというのも言っていておかしな感覚になるけど、彼女は自分の感性や信条を第一に考える人種で、『KANON』による定期的な身体の変化についてもむしろいろんな身体の自分を試せると楽しんでいるらしい。

 幼い頃から周囲の異端の目にさらされ続けた私としては彼女のその価値観や生き方は素直に羨ましいと思えるもので、眩しかった。

「詩織、せっかくそんな可愛いんだからもっと冒険してみてもいいと思うんだけどな~。まぁ気が進まないなら無理にとは言わないけど」

「———うん、じゃあ連れてってもらおうかな」

「え、ホントに?どういう風の吹き回し?」

「ん、気まぐれ?」

「分かった、じゃ友達に連絡しとくね。あと今日の講義終わったあとで買い物行こうよ。詩織に似合う服、バッチリコーディネートしたげる」

「あんまり派手すぎないやつだと助かる」

 そう私は苦笑を返し、葵は目の前の椅子に座って今日行く店を調べると言ってスマートフォンを弄り始めた。

 別に合コンに興味があるわけでも、恋人に憧れがあるわけでもないのだけれど。

 少しだけ、葵の真似をしてみたくなった。それだけ。

 それに、いつかあの子も言っていた。


 ———変わることは、良いことなんだよ、きっと。


 この変化がどういう結果になるのかは分からないけど、きっとそう悪いことにもならないだろう。

 ふと窓の向こうに視線を送ると、どこからかシャボン玉が風に乗って飛んでくるのが見えた気がした。

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