私の愛した空 エピローグ
「ふぅ」
“ここ”には子供の頃から毎日のように通っているというのに、このところ足腰が疲れやすくなったように感じる。普段仕事で肉体労働もしているのだから、むしろ体力がついてもいいものなんだけれど。きっと働きすぎて疲れが身体から抜けきっていないだけ。そう思うことにした。
初めてこの神社に足を踏み入れたのは小学生の頃だったが、そんな私も今や二十代後半に差し掛かかろうとしている。島での仕事もすっかり板について、どちらかといえば年配者が多いこの小さな島でそれなりに頼りにされることも増えてきた。
少しずつだけど、いろんなものが変わったという実感が日に日に増していく。変わらないものがあるとすれば。
「今日も、空青いなぁ」
山頂にひっそり佇む神社の社殿から見る空の色だけは、あの頃と同じだ。いつからだろう。あの大きく高く広がる青にいつも見守られていると感じるようになったのは。空の色が青であることが当たり前ではないと感じるようになったのは。
「———
呟いたのは大切な人の名前。それは静かに空に昇って吸い込まれた。そのままずっと空を漂って私の声が彼に届けばいいのに、なんて願ってしまう。
「呼んだか?」
「え?」
凛と響く声に思わず振り向くと、いつの間にかすぐ隣に“彼”がいた。周囲には真っ白な羽根が舞い散っている。
その様を見て、つい意地悪を言いたくなった。
「随分大急ぎで来てくれたみたいだね?」
「急いでないし、たまたま近くを通りかかっただけだ」
「素直じゃないのは昔から変わらないんだから」
「だからそうじゃないって言ってるだろう」
「ふふふ」
あの台風の日に天司郎は再び空へ羽ばたいていった。彼の役割、空の災いから私達を守るために。私達が好きなあの青空を守るために。
でも、こうして折に触れて時々この島に戻ってきてくれている。その度に積もる話に花を咲かせるのが今の私にとって何よりの楽しみで、心安らぐ時間だった。
私達二人の頭上に広がっている青い空。何気なくそれを見つめていると自然と言葉が漏れた。
「空、青いね」
「あぁ、青いな」
「ありがとう」
「どうしたんだ
「私達の空を守ってくれて」
「気にするな。元々それが俺の役割だ」
それに、と彼は少し言いよどむ素振りを見せつつも続けた。
「約束、したからな」
それはあの日、彼が再び翼を羽ばたかせた日に交わした言葉。
———俺たちが愛したあの青い空は、俺が必ず守る。
「———うん」
「さて」
彼が徐に立ち上がった。それを見て私は少しだけ寂しい気持ちになる。
「もう行くの?」
「あぁ、そろそろ行く。蒼、元気でな」
「うん。天司郎」
「なんだ?」
私はいつもそうしているように、とびっきりの笑顔を作った。
「行ってらっしゃい」
それを見た天司郎も、優しく微笑んでくれて。
「あぁ、行ってきます」
そして、空に浮かぶ雲より白い翼が舞い上がり、彼は再び空へと羽ばたいていった。
その場で風に揺れてゆっくりと舞う白い羽根の一つが私の手のひらに落ちる。それはやがて熱に触れた雪の結晶のように跡形もなく大気に溶けていった。
「———またね」
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