魔法使いの正体②
「……上手じゃなくて構わないとは言ったものの。本当にひっどいなぁ!」
「だから、僕だって言った、だろ! ピアノなんて、ブランクがあって弾けるもんじゃない、んだよ!! だいたいな、根本的、な、話、フィガロの結婚はそもそも、ピアノ曲じゃ、ないから! どんだけピアノ用に、アレンジしてても、はあ、僕がやったのは中級程度だけど、ふう、速いんだよ! 難しいんだよ! 弾けてたまるか、よ!」
「息があがっているじゃないか、あはははは!」
「お前、お前、なあ!!」
正直なところ、自分でもそう思う。ひどかった。笑われるのは恥ずかしい。でも困ったことに、ドキドキするのが精一杯で嫌な気持ちが入る余地が無かった。
途中で盗み見た真織の顔が、とても真剣だったからなのか。遠慮なく笑う真織の目が、とても温かいからなのか。弾き終わるまで黙って聴いていた真織の心が、真摯だったからか。
理由はわからないけれど、彼女が嬉しそうに微笑んでいるなら、もうそれでいい気がした。
「いやごめん、ごめんって。ふふ、違うんだ。君が音楽を愛する気持ちが伝わってくるからかな、もう愛おしくてさ。それに最後まで聴けた達成感がすごいよ」
「……達成感ってのは、少しわかる。でも弾けたのは、真織……先生? の嘘が、ちょっとした魔法になっただけ。それで乗り切っただけだから」
弾き終わるまで痛み続けた指先を撫でる。お前はよくがんばった、お疲れさま。
「魔法? 伊澄くんは案外、可愛いことを言うんだね」
傾き始めた陽に、今日も真織が照らされる。優しいオレンジに包まれた姿はなんだか綺麗だ。誰にも言ったことがないような言葉を、そっと胸で呟いた。照れくさいのと、可愛いと言われたのが悔しくてワザと拗ねた顔をしてみせる。
「馬鹿にしてるだろ……」
「まさか! うん、魔法。嘘の魔法。素敵だ。でもね伊澄くん。最初に嘘をついたのは君だよ。だから魔法使いは君なのさ」
「僕?」
訝しく思って聞き返した。何のことだったか、真織にした隠し事はすべて明かしている。別に嘘をついていたわけでもなかった。
「言えばよかったんだ、先生に。親に。指が痛くて弾けないと」
確かに僕は前日に負った怪我を誤魔化した。真織に伝えたわけじゃなかったけれど、出場していたのはつまりそういうことだとわかったらしい。問題ないと、弾くことが出来ると、痛くなどないと僕は口にしたんだ。そう、あれは全部嘘だった。
「きっと言わずに君は嘘をついたんだろう? それは弾きたかったからに他ならない。本当に嫌いで辞めたかったなら、怪我を理由にして弾かない選択肢だってあったはずだ。結果的に心折れてしまっただけで、君がピアノを好きだった証拠だよ」
「……なんでそこまで、わかっちゃうかな」
どうしても出たかった。指を切った瞬間、辛い練習をしなくてすむと考えてしまったのも本当だ。でも結局僕は、演奏することを選んだ。だから嘘をついた。
僕自身がずっと忘れていたのに。真織のお陰で思い出したばかりのことなのに、何でもお見通しだというのか。僕の心の裡なんて、僕よりも深く解かれてしまっていた。お手上げだ。まったくもって敵わない。やっぱり魔法使いかもしれない。
「弾きたくて、君は自分の指にも嘘をついたんだね。お前は動くよって魔法を掛けた。それは、例えばシンデレラのように途中で解けてしまう魔法だったけれど。それでも君は魔法使いだった。そうだろう、だって」
「だって……?」
真織が笑う。金平糖みたいに、甘くキラキラと輝く笑顔。僕は思わず見とれていた。
「君が君の指についた嘘は、あの日の私に魔法を掛けたのだから!」
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