官製教育の行き詰まり

@bingoyotaro

第1話

私は幼稚園の時から学校組織というものになじめなかった。

集団的行動というか、周りに合わせて自分の行動を律するということが苦手であった。特に小学校の頃は女の先生と折り合いが悪く、いつも学校で口論ばかりしていた。

「将来絶対に学校の先生などになるものか」という決意をしていた。

ところが不思議なことに私は大学院まで進み、高校の教育現場を見て、学習塾まで経営することになった。

なぜか、教育のことが私から離れない。

そのことが日本の教育について考えさせられる原因になった。

私には3人の孫がいるが、やはり私の時と同様、学校が面白いというような話はしない。

50年前の現実と何も変わっていないのだ。

学校では協調性ばかりが強調される。

やたら団体行動を取りたがる。

みんなといっしょというのが最重要視される。

民族の限界というのを見るようだ。

成績の良い子というのは先生が言ったことをそのまま丸暗記して回答を書くことができる生徒だ。

テープレコーダーではあるまいし、もっと人間でなくてはできないようなことに注力

するべきではないのか?

今の世の中は創造性、自発性、自主性、独自性、そういった性質こそが大切なのに、画一性、協調性、個性の喪失、追随性といったことが重視される。

こういうただ上から指示されたことを何も考えずに忠実に従うだけの人間に一番向いている職業は何かと言えば、組織の歯車である。

日本の教育は昔から儒教教育そのもので、年長者の言うことは絶対であるという考え方に基づいている。

これは戦後の日本の発展において大いに機能した。

何も考えずただ上の指示通り動く多くの日本人がベビームーバーとして生まれた結果、これを徹底的に戦前世代が利用した。

資本主義が利益を生み出すにはどこかを搾取しないといけない。

戦後の日本の売りは安くて優秀な労働力であった。

それを徹底的に利用し、上命下達で無理難題を若い層に押しつけることによって働きバチのごとく働かせ、世界中でエコノミックアニマルだと軽蔑されながらも、奇跡とも称されるような経済発展を成し遂げることができた。

(余談だが、以前フランスの女性首相クレッソンが「日本人は働くだけの蟻みたいな存在だ」と蔑んだ。)


だが、これは人間性を大切にしない無理に無理を重ねた成長路線の結果である。

今、日本では少子化が進み、企業戦士の駒がなくなりつつある。

安い労働力はもはや魅力ではなくなった。上の指示通り動く人間が優秀であるなら、それはコンピュータや機械にやらせればいい。

それなのに、依然として日本の教育制度は変わろうとしない。

社会の実情を無視して役人主導の愚にも付かない教育という名の子供のロボット化を押し進めようとしている。

歯車や機械のような人間はもう要らない時代になろうとしている時に、これでいいのだろうか?

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