水面下

「――犯人はお兄さん、貴方ですね」


 揃ったざわめきが走る。シックな音楽、焦る男性。探偵役の責めるような状況説明、解釈、推論。追いつめられる男性。固唾を吞む人達。

 諦めの溜息、泣きたくなるような独白。滲む涙。居た堪れない。

 ああ、なんて可哀想に。

 隣からストローを吸う音が聞こえてスクリーンから目を離すと、央くんは画面じゃなくてこっちを見ていた。

「ごめん、うるさかった?」

「ううん」

 映画ももう終わりかけだというのに、私のオレンジジュースはまだ半分以上残っている。

 氷で溶けてぬるくなったオレンジジュースほどおいしくない飲み物はない。今日もカップの中で氷が退屈そうに揺らいでいた。


 日曜日の午後の日差しが眩しい。映画館を出てスクランブル交差点に出ると沢山の人で溢れ返っていた。

「この前もらったお菓子ね、お姉ちゃんと全部食べたよ。ありがとう」

「そっか」

 ふわっと笑った央くんの黒いシャツの上に羽織ったアイボリーのロングジャケットが風でひらひらして、それがいつもの白衣みたいで私はお兄ちゃんを思い出す。大事なものは失ってから気づくなんてよく言うけれど、お兄ちゃんが死んでしまってからお兄ちゃんのことを考えたり思い出すことが多くなったような気がする。お兄ちゃんは物静かでよく本を貸してくれたり勉強を教えてくれたりした。幼い私が駄々をこねたり甘えたりしてもいいよって何でも許してくれた優しいお兄ちゃんはもういない。

 横断歩道の途中で信号機がちかちか点滅しだした。警告のグリーン。そろそろ、危ない。

「あっ」

 声が聞こえたと思うより早く、央くんは私の手を掴んで軽やかに駆け出した。手を引かれた私も一緒になって雑踏を抜ける。


 少し遅めの昼食も兼ねて近くの喫茶店に入ると、すぐにさっきの映画の話になった。

「よくあるトリックがいくつか組み合わせてあっただけで、仕掛け自体は大したことなかったね」

「そうだね」

「もう少しクローズドの設定が生きてれば良かったのに……、でも現代だと防犯カメラも多いしなかなか難しいかな。律紀は楽しかった?」

 映画の折り返しを少し過ぎた頃から既に央くんは映画に飽いていた。それでも私に付き合ってかいつも最後まで席を立たないでいてくれるから央くんは優しい。

「うん、すごかった。……考えさせられることが色々あったよ」

 ふうんと口の中だけで央くんが返事をした。頭のいい央くんには多分あまり理解できないのだろう。

 白いワンピースには血が似合うけれど後で錆びて黒ずんでしまうこととか、電話線を切断するだけじゃなくて妨害電波も流しておいた方がいいとか、色々勉強になった。あと、天候に左右されるトリックは絶対に使わない。揚げ足を取られるから。

 私が犯人だったら、探偵役の青年にあんな勝ち誇った顔なんてさせないのに。

「……央くんみたいにうまくは言えないけれど、楽しかった」

「律紀は意外とミステリー好きだよね。また面白そうなのがあったら見に行こうよ」

 穏やかに微笑む央くんはきっと探偵役が似合うだろう。理路整然と考えて行動できる幼馴染は犯人にとっては邪魔者でしかない。

「うん。ねぇ私がミステリーが好きなの意外?」

「だってお前可愛いのが好きだろう」

「そうかな」

「そうだろ」

 同意の声が静かに溶けて沈黙を運ぶ。コーヒーを飲む央くんから視線を逸らすと自分の足元にたどり着いた。ピンクのスカートにレースのついた靴下、臙脂色のヒールの低いパンプス。だって女の子は可愛くなきゃいけないって、ママが。でも央くんは女の子じゃないからきっとそういうことは知らない。

「そうなんだー」

 手元のジュースのストローをかき回してみるけれど、渦が回っても考えはまとまらない。

「律紀」

 名前を呼ばれて顔を上げると、苦笑した央くんと目が合った。

「お待たせしましたー」

 運ばれてきたオムライスとホットサンドの美味しそうな匂いにつられて、思考は簡単に中断した。


 あつあつのホットサンドをナイフで切ったらざくざくと小気味いい音がして、さっきの映画のバラバラ死体を思い出す。

 泣かせてやりたい。私を傷つけたことを後悔させたい。何年も前からそうだった。私は犯人から、ある意味最初の被害者の悲しみから目が離せない。

 私が犯人なら、最初に不倶戴天のあの人を殺したあと、2番目に邪魔な探偵気取りの青年を殺すのに。

「そっち美味しい?」

「うん、央くんのも美味しそうだね」

「うん、美味いよ」

 オムライスを食べながら央くんが頷いた。自然と会話が少なくなって、黙々と食事が進む。

 切れたホットサンドからトマトがはみ出てぐちゃぐちゃの赤色が流れ出す。これはもう仕方ない、どうすることもできないんだって。弁解ばかり溢れてくる。

 誰に言い訳をしているのだろう。

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