多分、今日はドライブ日和
ドライブが好きです。と言っている女が嫌いだ。
そういう女は大抵、男が運転する車に乗るのが好きなのであって決して自分で運転をするのが好きという訳では無いからだ。自分では一切運転をしないくせにドライブが好きと豪語できるその面の皮の厚さに感心してしまう。(もちろん、中には自分で運転するのが好きな女性も居て、そういう女性には好感を持つが、今までの経験上そういう殊勝な女性はごく僅かだ)そしてその女を車で迎えに行くと、車を値踏みするような目で観察し、収支であったり、センスといったものの無言の面接が始まる。軽自動車で迎えに行った暁にはあからさまに嫌な顔をし、急用ができたと言ってこちらの用事を容赦なくドタキャンする。
そういう女がいつまでも世の中に存在する理由は、自分が背伸びをして購入した車を自慢し、褒められたい男や、その女とセックスさえ出来ればいいやと言って、心にもない褒め言葉を息を吐くように言うことが出来る性欲に支配された男が女を煽てるからである。だからそういう男たちもドライブ好きな女と同様に心底嫌いだ。
「いつも君は仏頂面だね」
助手席で俺の横顔を見ながら彼女は言う。
車は有明から10号晴海線に入ったところだった。
「生まれつきだ」
前の車の背を見ながら俺は答えた。
ふーん、と呟いた後、再び彼女が口を開く。
「ねえねえ、隣の家に塀が出来たんだって。へぇー」
「なんだ急に」
「おーい、みかん取ってくれ。そこのアルミ缶の上にあるみかん」
「とうとう頭がおかしくなったか」
「君を笑わせようとしてるんじゃないか。失礼なやつだな」
「駄洒落で笑うような人間はこの世に居ない」
彼女はあからさまに残念そうにする。ちぇ、と小さな声で言ったあと、しばらく静かに彼女は外の景色を眺めていた。
「ねぇ、もしも明日世界が終わるとしたら何する?」
彼女がウインドウに目を向けたままぽつりとそう言った。
「別に、何もしないんじゃないか」
「えー、つまんなー」
「お前はどうするんだ」
うーん、と彼女は唸る。それから口を開いた。
「家族とお話をして、友達とスイーツバイキングに行って、あ、札束風呂にも入りたい」
車は飯倉を抜ける。景色がどんどん後方へ取り残されていく。
「それから、」
彼女は続ける。
「君とドライブがしたい」
その言葉に俺の心は大きく揺れた。しかし、それを悟られないようにポーカーフェイスを保つ。
「俺は嫌だ」
そう言うと彼女はえー、と不満気な声を上げる。
でも、もしも本当に世界が終わる日が来るとしたら、なんだかんだ強引に俺は彼女とドライブをしているんだろう。今日みたいに他愛の無い話をしながら。
なんとなく、そう思う。
「ドライブをして、どこに行くんだ」
その言葉を聞いた彼女はみるみる嬉しそうな顔になって指を差した。
彼女の指の先には真っ赤な東京タワーがそびえ立っていた。
朝起きて、テレビを付け、昨夜見た衝撃的なニュースはやはり夢ではなかったのかと少し驚く。
テレビには世界滅亡を伝えるアナウンサーの姿が延々と繰り返し流されている。
時計を見た。地球が終わるまで残り16時間54分。
会社はどうなっているんだろうか。
社用携帯を取り出し、画面を確認すると一通のメールが届いていた。
諸君、今まで我社のためによく尽力してくれた。感謝する。これにて解散。良い終末を。とだけ書かれたメールが社長から全社員に向けて一斉送信されていた。
なんだそりゃ、と思わず携帯を投げ出した。
入社した時から俺は遮二無二働き、同期たちからは出世頭と言われていた。同世代が恋やら遊びやらに夢中になっている間に、俺は文字通り、全身全霊で仕事に打ち込んできたつもりだ。上司の信頼も勝ち取り、昇進が目の前に来たと思った時に、たった一つの隕石のせいで全てが台無しだ。
いや、あいつのせいだ。
きっと一人では寂しいとかなんとか我儘を言って、皆を連れていこうとしているんだろう。もしくは、俺への復讐だろうか。
後者だったら、うれしい。
そんなことを考えながら、袋から食パンを取り出し、トースターにセットする。缶からコーヒーの粉をすくい取り、コーヒーフィルターに入れると、それをコーヒーメーカーにセットし、スイッチを入れた。直ぐにコーヒーメーカーはごぽごぽと音を立てながら部屋にコーヒーの匂いを撒いた。
朝食が出来上がるのを待つ間に、カーテンのレースを開けて、窓から外の様子を見た。
胸がすくような快晴だった。世界が終わるというのに、どこかで鳥が呑気にちゅんちゅん鳴いた。
窓を開けるとむっとした風が部屋にむかって吹いた。朝からこれだけ暑ければ、昼はもっと暑くなるだろう。隕石が落ちてくる様子が見えないかと首を伸ばして、空を見上げたが、一面にどこまでも青が広がっているだけだった。
チン、と部屋から音がして、窓を閉めた。
トースターからきつね色に染まった食パンを取り出すとジャムを食パンの表面に広げる。
コーヒーを入れるためのマグカップを用意しようと食器棚を開ける。小さな赤いハートがついた白のマグカップと青のハートがついたマグカップが目に入る。青いハートがついた方を手に取ると、一度、もう一方のマグカップも見てから食器棚を閉めた。
この家には彼女の痕跡がそこら中に残っている。その痕跡を見つける度に、俺の体の内側から真っ赤な血がどろりと流れるのを感じる。
しかし、その痕跡を消すことはどうしても出来なかった。消してしまうと、一生彼女から許しを貰えないような気がして。
その時、そうか、と思いついた。
彼女の実家に行こう。
きっと彼女の両親からはこっぴどく罵られ、殴られるだろう。いや、そもそも会ってくれないかもしれない。それでも、最期の日は彼女に会いたかった。
俺は持っていたマグカップを置いて、車のキーを手に取ると家を出た。
あ。苦手だ。
「嫌いですか? パクチー」
目の前にいた女が俺の顔を覗き込むように言う。
「佐藤さん。一口、食ってみて下さい。ここのパクチーは他とは違いますよ。パクチー苦手な人でも食べられます」
斜め右前に座っていた山下が口をもぐもぐさせながら言った。
その言葉に俺は意識を戻して、へぇー、そうなんだ。と言いながらパクチーを口に押し込む。
独特の風味が口いっぱいに広がる。パクチーを口の中でぐちゃぐちゃに噛みちぎって、飲み込んでから、あ、確かに美味いな。と心にもないことを言う。
目の前の女と山下はでしょー、と嬉しそうな顔をした。
俺はまた、意識を左に飛ばす。
やっぱり、苦手だ。と思う。
その人はよく気が利いて、飲み物のお代わりを聞いたり、サラダをみんなの分取り分けたり、せかせかと動いていた。そして表情をころころ変え、オーバーとも思えるようなリアクションをとる人だった。
疲れないのだろうか。あれだけ人に気を回して。そんなに人に好かれたいのだろうか。
「よし、俺トイレ行ってくるわ」
山下が突然立ち上がり、そう言った。
トイレくらい勝手に行けばいいじゃないかと思ったが、山下が俺ともう1人の俺の左前に座っていた男に向かって合図を出していることに気がついた。
俺は渋々立ち上がると、左前の男も続けて立ち上がった。
「ええ、なになに。作戦タイム?」
「さあー、どうだろうね」
山下がおどけた仕草でそう返すと、俺たちを率いてトイレに向かった。
「ぶっちゃけどう?」
トイレに着くなり、山下がそう言う。
「俺は美紀ちゃんかなあ。すげえ可愛いじゃんあの子」
左前の男がそう答える。たしか名前は田村とかいったか。
「ええ、俺も狙ってたのに。美紀ちゃん」
山下が大袈裟に残念そうな声を出す。
「佐藤さんは? やっぱりあの子っすか」
「あの子って?」
心当たりが無くて少し戸惑う。
「ほら、佐藤さんの隣に座ってた凪ちゃん」
俺の両隣に人が居たので一瞬どちらか分からなかった。すぐに記憶を呼び起こし、ああ、あのせかせか動いていた子か。と気づく。
「凪ちゃんもいいっすよね。まあ佐藤さんが狙ってるならやめとくか」
田村が言うと、山下はぐっと目を細めた。
「お前美紀ちゃんがいいって言ってたろ。節操のないヤツめ」
「可愛い子に可愛いといって何が悪い」
そんな田村と山下のやり取りを見ながらやっぱり来たのは失敗だったかな、と思った。
今回のこの合コンは山下が最近彼女と別れたばかりの俺を気遣って主催してくれた。もっとも、俺を気遣うというのは方便で、自分が合コンに参加したかっただけかもしれないが。
メンバーも山下の伝手を頼ったものだったため、田村は山下の大学の時の同級生であるし、女性メンバーも田村の知り合いの紹介らしく、年齢で言えば明らかに俺が浮いていた。山下は大した差じゃないですよ、と言っていたが、やはり年代が下の人に囲まれると俺の年齢が際立っているように思えた。
「悪い、俺、気分悪くなっちゃってさ。もうお暇しようかと思うんだけど」
山下にそう伝えるとじゃあ、もう解散しちゃって個々でやることやりましょうか、と言うのでトイレから戻ってすぐに会はお開きになった。
挨拶もそこそこに田村は美紀ちゃんを連れて、夜の街に消えていった。
俺もすぐに駅に向かおうとすると、「あの」と声をかけられて立ち止まった。
「私も同じ方面なので帰り道ご一緒させて頂いてもいいですか」
凪とかいう女の子だった。
きっと山下が、佐藤さん具合悪いそうだからちょっとみてあげて、とでも言って手を回したんだろう。
仕方がなく、俺が頷くと凪は俺の横に連れ立って歩き始めた。
「佐藤さんって山下さんの会社の先輩なんですよね。山下さんって会社でもあんな感じなんですか」
「あんな感じって?」
俺が聞き返すと、彼女は少し口ごもった。
「なんていうか、その、軽薄そうな感じ?」
それを聞いて俺は声を出して笑った。俺が笑ったのを見て凪も少し表情が緩んだように見えた。
「だいたい、あんな感じだよ。でもあの人懐っこい感じが取引先とかに好まれてるみたいで、成績はいいんだ。あいつ」
へぇー、と感心したように彼女は声を出した。
「確かに山下さん、話しかけやすいですしね」
「悪いな、話しかけにくいやつと帰り道が一緒になっちまって」
「いえいえ! 私から誘ったんですから」
慌てて手を振って彼女は否定する。その大袈裟に見える仕草をみて、また、苦手だ、と心の中でつぶやく。
そして、急にその仕草が時間が止まったかのように停止した。
どうした、と彼女の顔を見る。
凪は空き地にポツンと停められている白いセダンを見つめていた。
「車、好きなの?」
俺が聞くと、凪はああ、いえ、と首を振った。
「車っていうよりドライブが好きなんです」
それを聞いた時、俺の中に不快感が生まれなかったことに驚いた。普段ならドライブが好きなんです、なんて言われたら表情に出さないのも不可能なくらい嫌な気持ちが溢れるというのに。
凪は俺の顔を見て言う。
「車の中って外界から隔たれて、私たちだけの特別な空間になるじゃないですか。街の喧騒を置いてけぼりにして、私たちだけがどこまでも行ける。そんな感じがして、好きなんです」
想像してしまう。
俺がステアリングを握っていて、助手席には凪が座っている。凪はウインドウから見える景色に大袈裟に反応し、俺はその様子を横目で見ながらどこまでも車を走らせる。
きっと楽しいだろうな。
思わず声に出していた。
「それなら今度、俺とドライブに行こう」
凪は目を大きく見開いた。
そして、笑顔で頷いた。
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