燃やせ、青春(1)
「おはっぴー」
千佳は校門前に見知った顔を見かけて声をかけた。
「ぴー」
咲希も千佳の姿に気づいて手を上げる。
「なんで学校おるん」
「こっちの台詞だわ」
「なんでこんな日に学校来る奴がちょくちょく居るのよ。学校大好きかよ」
「え、うち以外にも学校来てるやついんの」
「さっき高田も校舎入っていくの見かけたわ」
「高田ぁ? 意外過ぎるんですけど。あいつむしろ学校嫌ってそうだけど」
千佳はちりちりの髪の毛で牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけた高田の姿を想像した。休み時間は基本、寝ているか本を読んでいるか、同級生と話しているところもほとんど見た事がなく、千佳は彼がどのような声をしていたか思い出せなかった。そして彼はいつも学校が終わると一目散に教室から飛び出し、帰宅していた。それこそ一秒でも学校に居たくないとでも言うように。
しかし、千佳はすぐに頭を振って高田の姿を頭から追い出した。
「ま、どうでもいいわ。それより暑いから早く中入ろ」
家を出る時に既に気温は30度をゆうに上回っていた。立ってるだけで汗ばみ、体力が奪われる。
「セミの鳴き声のせいで3割増で暑いわ」
緩くウェーブのかかった真ピンクの髪を掻き揚げながら、咲希は頷く。
「それな」
教室に入ると、咲希が真っ先にエアコンを付けた。
「16度に設定してやった」
にししと咲希は笑う。
「真冬じゃん。凍え死ぬわ」
そう言いながら千佳も笑顔でエアコンの風を体全体で受け止めた。
「はあー、生き返るぅー」
教室はもちろん、校舎の中も人気はなく、世界に存在しているのは私たちしかいないのかもしれないと千佳は感じた。あ、高田もいるんだっけ。
「文明のキキまじパネェ」
咲希がエアコンに向かってあー、ワレワレハ宇宙人ダ、と声を出す。きっと扇風機と混同してるんだろう。当然、咲希の声が変化することはなく、空虚な教室に咲希の声は吸収される。
「ねぇ、タカヒロはどうしたの」
そんな咲希の横顔を見ながら千佳がそう聞くと、咲希はきょとんとした目を向けたあと「聞いてよー!」とそばに寄ってきた。
「あいつ、今日一日、家族と過ごすから会えない。とか言うんだよ。家族が大事なのは分かるけどさ。地球最期の日に彼女に少しも会わないなんて有り得る? あいつまじサイテーだよ」
それを聞いてうわ、と千佳はゴキブリを見つけてしまったかのような声を上げる。
「だから言ったじゃん。タカヒロ、顔はカッコイイけど、ほんとにそれだけしか取り柄ないよって」
「まさか、ここまでひどいと思わないじゃん! はぁー、幻滅ぅー」
そう言って咲希は机に突っ伏した。それを見た千佳はにんまりと笑って、そそくさと教壇の方へ移動する。教室全体を見渡せる位置に立つと、軽く咳払いをした。
「こらあ、そこお、授業中に寝るんじゃあなぁい!」
咲希は噴き出した。
「古典の橋詰? ちょー似てる」
「橋詰先生と呼べぇ! 全く、最近の若者は礼儀がなっとらん」
独特の間延びをした話し方を上手く再現しながら千佳は言う。そういった後で千佳も堪えきれなくなり、二人で笑い転げた。
「千佳、あんたモノマネ芸人になれるよ」
「橋詰のモノマネで?」
「いけるわ。多分うちらしかわからんけど」
「駄目じゃん」
そう言って、千佳が教壇から降りた瞬間、ガシャーンッと金属音が鳴った。
二人は思わず廊下の方を見た。
「なに今の」
千佳がそう言うと、咲希は知らない、と首を勢いよく振る。
「ここ、うちらしか居ないんじゃないの。幽霊?」
二人は顔を合わせて怯えた表情を作る。しかしすぐに破顔してしまう。
「ふつーに考えて、うちら以外にも学校大好きな奴が来たとか、猫が入り込んだとかでしょ」
「ねこぉ? 見に行きたい」
「可能性の話だから。猫じゃないかもよ」
「あ、そういや高田も来てるんだっけ。さっきの音高田かもね」
「何してんのあいつ」
「知らん」
しばらく沈黙が流れたあと、咲希が顔を上げた。
「見に行くか!」
咲希の顔を見て、千佳もにんまりと笑う。
「おう!」
廊下に出ると二人の足音だけが反響する。
少し歩いてから先は顔を顰めた。
「なんか臭くね」
「は? うちじゃねーし」
千佳はすぐに自分のおしりを抑えた。
「馬鹿、おならじゃなくってさ」
咲希がそういった途端、千佳もわかった。
「これ、ガソリンの臭いだ」
二人が音のした上の階に向かう途中、廊下、階段、教室、至る所が濡れているのがわかった。これ、全部ガソリンだ。千佳は目で合図をする。校舎内でガソリンが撒かれているといる異常事態だからか、二人は自然と物音を立てずに移動し、声も発さないようになった。さながらスパイ映画の主人公の気分である。
ガソリンの足跡を追って、廊下から階段を上り、屋上に行く階段の手前でガソリンの後は途切れていた。近くには一斗缶が転がっている。
ここだ、と咲希が指を向ける。千佳は頷いて屋上に向かう扉に手をかける。
開けるよ、と咲希を見ると、咲希は声を出さずにゴー、と口を動かした。
息を止めて、一気に扉を開ける。生温い風が二人に向かって吹いた。急な明度差に千佳は思わず目を瞑る。目が光に慣れると、真っ青な空がまず目に入った。こんな綺麗な空から隕石が降ってくるのか。なんかロマンチックだな。なんて考える。そして、顔を正面に向けるとやっぱり、居た。屋上には予想通り、ちりちりの頭が見えた。
「やっぱ高田じゃん」
咲希がそう言うとびくっとちりちり頭は肩を上げ、恐る恐る振り返った。
「なにしてんの」
千佳が続けて言うと、彼は真っ青な顔でぱくぱくと口を動かす。そして千佳と咲希の方へ突進してきた。
あ、逃げる気だ。そうはさせない。千佳が足をかけると高田は呆気なくバランスを崩す。
地面に衝突するぎりぎりで、咲希が高田の手を引っ張って静止させた。
「なんで逃げんのさ」
高田は怯えた表情で千佳と咲希の顔を順に見ると手足をばたつかせた。
足が危うく、千佳の顔面すれすれを通る。
次の瞬間、咲希が思い切り高田の顔を手のひらで叩いた。パァンと気味のいい音が鳴る。
「落ち着けって」
そう言いながら再び叩く。
「落ち着いた?」
高田の顔を覗き込むと何が起きたのかと目をぱちぱちさせている。
再び咲希のビンタが炸裂する。
「落ち着いた?」
もう一度圧をかけて尋ねる。ビンタの構えをとりながら咲希は言うものだから高田は慌てて首を縦に振った。
咲希が手を離すと、高田はもう抵抗する気はないというようにその場にぺたんと座り込んだ。
「ごめんね、殴って」
咲希が高田の頬に触れて、謝る。高田の頬は真っ赤になっていた。
「い、いえ」
「高田ってさ。学校好きなん」
千佳がそう聞くと、高田が「へ」と間抜けな声を出した。
「だってさ。地球最期の日に学校行こうなんてよっぽど学校好きじゃないと来ないでしょ」
「じゃあ私達も学校来てるから、学校好きピってこと?」
咲希が口を挟む。
「うん。好きピ」
「うぇーい」
「うぇーい」
お互いハイタッチをする。自分たちでも意味不明なノリだが、楽しければそれで良いのだ。
「い、いえ。僕は好きじゃないです」
か細い声が高田の口から漏れた。
「じゃあ、こんなとこでなにやってんのさ」
そう聞くと、高田は口ごもる。うーん、とかえっととかぶつぶつ言っている。
「ここに来た理由を言うか、初恋の話をするかどっちがいい?」
咲希がそう詰寄る。高田の目が大きく見開かれた。
「10、9、8、7」
そういった後、急に速度をあげる。
「65432!」
「燃やしたかったんです!」
慌てたように高田は叫んだ。
「燃やすって何」
高田はバツの悪そうな顔をする。
「僕は、学校が嫌いでいつも無くなっちゃえばいいと思ってました。だから地球滅亡って話を聞いて復讐をするチャンスだと思ったんです。普段は気の弱い僕でも最後の日だったら復讐出来るかも、って思って」
咲希がくちびるを尖らせる。
「なんで学校嫌いなん。数学の小林が嫌いとか?」
「それお前じゃん」
「だって課題出すの遅れたくらいで意味わかんないくらいねちねち説教してくんだよ。まじイミフ」
「あ、そういや数学の課題やってねぇわ。今日提出のやつ」
「今更いいべ」
「それな」
高田を見ると困惑した表情を浮かべている。
「課題やった?」
そう聞いてみる。
「は、はい。一応」
「うわ、真面目。咲希、高田の爪の垢飲ませてもらいなよ」
「高田様ー。私めにどうか爪の垢を献上いたしたまえー」
咲希は大袈裟に頭を下げる。
そしてふと我に返る。
「なんの話しだっけ」
「高田がなんで学校に来てんのかって話じゃなかった」
「え、課題の話でしょ」
「なんで僕が学校が嫌いなのかっていう話です!」
ついに見かねたのか高田がそう言った。おー、すげぇ。記憶力いいな。お前神経衰弱とか無敵じゃね。とそれぞれ高田を褒め称える。
「それでなんで嫌いなんだっけ」
「授業はつまらないし、友達はいないし、いじめられるし。いいことなんて何一つないからですよ」
「はあ? いじめ?」
咲希が素っ頓狂な声を上げる。もちろん千佳も高田が虐められてるなんて初耳だった。
「誰に?」
高田はちらりと咲希の顔を見たあと、申し訳なさそうに言った。
「タカヒロ君です」
思わず千佳と咲希は目を見合わせる。
「まあ、いじめといってもパシリにされたりとかたまに小突かれる程度ですけど」
「立派ないじめじゃん」
はあー、と大きなため息をついて、咲希は頭を抱えた。
「ごめん、気付かなくて」
「あ、いや、別に咲希さんは悪くなくて」
「あいつの彼女だった以上、私に責任がある。ほんっとにごめん」
咲希は頭下げた。
「私も気づけなくてごめん」
千佳も咲希に続いて頭を下げる。
「あの、ほんとに頭を上げてください」
泣きそうな高田の言葉で二人は顔を上げた。咲希は髪をかき上げながら殺すわ、あいつ。と吐き捨てた。
「よし、うち手伝うわ。学校燃やすの」
千佳がそう言うと、うえっと高田は変な声を上げた。咲希はいいじゃん、それ。と千佳に乗っかった。
「なんでですか。二人は学校好きなんでしょ。燃やす必要ないじゃないですか。いじめのこととかはもうどうでもいいんで。ほっといてください」
「いや、なんか楽しそうだし」
そう言って咲希の方を見ると咲希もうんうんと頷いた。
「いいじゃん。きっとこういう時しかできないよ。学校燃やすなんて。やろうよ」
高田はまだうえぇと変な声を上げ続けていたが、「ね!」と咲希が高田の両肩を掴むと、彼は渋々首を縦に振った。
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