第25話 センター


 保健室を出て歩きながら、恐る恐る、目の前の先生を見上げた。


 さっきから、彼は一言も喋らずに歩みを進めている。

もしかしたら、浜梨裕の事だから、俺がベッドと密着していることに妬いているのかもしれない。

 だから、無表情で、もしかしたら怒っているのかもしれなかった。


 「布団やシーツやベッド自体には恋愛感情は無いですから、ただ、寝るのに心地好いだけで」という説明をするかどうか考えているのだが、なかなか切り出すタイミングが無く、焦る。

 今でこそ何もないが、それこそ、幼い頃の父さんは、俺が目にするもの触れるもの全てを点検して回っていた。



 ――――何かを好きになるのはそれだけで大事件だ。



 視界に入るあらゆる物や食べ物、植物、動物への恋愛を得て、ようやく、人間を好きになるかどうかを判断する心が育っていく。



 廊下はシンと静まり返っており、それでもときどき、職員室で電話が鳴ったりするのが聞こえて来て、今がまさに授業中だと言うことを思わせる。

「静かだな」

そう呟いたのは浜梨の方だった。

「え?」

「どうした? やっぱり、まだ体調が」

心配そうな顔。

怒っては、いない……?

「大丈夫です」

とりあえずそれだけ答えておく。

「ところで、どこで会議を――――」

「外に行くぞ」


 やや不安になる俺に、彼はニヤッと、笑う。




外、外って!?




 何も飲み込めないうちに、教室から荷物を取ってこさせられ、

それを持って昇降口へ。

少し待っていると、目の前に先生の車が停まる。


「……えーと?」

「早く乗れ」


 これから、何処へ向かうの? という疑問で頭がいっぱいになるが、先生が告げたのは「センターの地球支部だよ」という一言。

あの、エイリアンなんとかとか言う怪しげなセンター!!

「実在したんだ!」

「するに決まってるだろう」

「な、なんでそこに行くんですか」


 乗り込むとすかさず車が走り出す。

先生はなんだかやっぱり険しい表情のまま言う。

しばらく空気を読んでいたとおいが「クソだな!」と鞄から吠えた。

浜梨は宇宙パワーを察知するワンちゃんを育てて、介助犬にするだの言ってたが、未だに言葉遣いは直っていない。

 夜中、光る足を持ったとおいを見つけた日が、懐かしい。

同時に、冬至と『夜になると恨みのある人の家の近所まで来て大声を出す男子高校生の霊』の話で盛り上がったことを思い出す。姿は見えないらしいが、誰かに罵倒を聞いてもらうと、すっきりして消えていくとか。




 何かあったらしい。近くでサイレンの音がしている。

なぜかわからない胸騒ぎがする。

先生の声。

「あれ……学校に、向かって無いか?」






ただ、ひとつだけ。



痛みだけを、いつも覚えている。






2022年6月17日2時56分













 俺たちを乗せた車はいつも見慣れているビルとビルの間を潜り抜け、道路に出て、トンネルをあちこち走った後に停車した。

こんなんあったのか? というような横長で、丸い窓をした不思議な建物がそびえて居る。

左右に柱がいくつか並んでいて、屋根の横にはどこの国だよと思うような旗がいくつも掲げられていて、怪しい宗教か、国際的な交流でも行われそうな雰囲気だった。



「えーっと、運動会?」

「なんだそれ」

首を傾げる俺の横で浜梨が吹き出す。

笑っているところを見ると旗が並んで居ると運動会を思い出してしまうというのは、学校に勤めている彼にもすぐ思い当たったのだろう。

じゃあ、行くか、と、シートベルトを外してこちらを向く彼に、お、おう、と曖昧に返しながら俺も降りる準備をするものの、心の準備は全く出来ていない。

どうにかついて歩くものの、ドキドキと鼓動だけが速くなって、胸が苦しい。

これが、恋なのだろうか。それとも、サイレンの音を聞いたから。

(俺って、本当は救急車が好きなのかな……)

こんなにドキドキするなんて、おかしい。

でも――――実在したんだな。此処。





 中は、想像していたよりは普通だった。先に待合室のロビーがあり、受付がある。

 良かった……いきなり謎の儀式が始まったり、変な宇宙人の着ぐるみが降ってきたりはしない。

鞄の中に居るとおいが、うぅうぅう、と低い声で唸っている。

「とおい? どうした?」

引率の先生は受付で何やら話をしているわけだが、これからどこで何が始まるのかそわそわする中での、とおいの異変に余計に落ち着かない。

「ニンゲンヲ……」

唸り声に交じって、そんな声がした。

「とおい?」

「ニンゲンヲ……ハヤク、シハイシナケレバ……」


……とおい、どうしたんだ?

ちょうどそのタイミングで、鈍い音がした。

重みで鞄が床に叩きつけられている。足に鞄の感触がぶつかった。

 いつの間にか、ぬいぐるみではなく、目が緑に輝いていて、牙をむき出している、『犬』が、そこに居る。

見えない何かへの憎悪をぶつぶつと呟き続けている。


「ハヤク、コロシテオケバヨカッタンダ。謝るなんて時間の無駄だ、呼吸が出来なくなる……」

「と、とおい?」

とおいが唸り続ける。ギシギシ、と音がして吊り下げられている照明が揺れる。

「とおい!」

「とおいがどうかした?」

ふっ、と辺りが静かになり、とおいが大人しいただの犬に戻るとともに、浜梨裕が歩いてきた。

「いや、あの……」

なんていおうか、何の受付をしてたのか、いろいろ、聞こうと思うが、言葉がうまくまとまらない。

その間にも彼は言う。

「グミのことで体質に異変があるかどうか、先に調べて貰うことになった。今から、彼女の後をついて、診察室へ向かってくれ」



 いつの間にか、奥から出て来た白衣姿の女の人が、ぺこりとお辞儀をして「こっちです」と俺を呼んでいた。

この話を付けて来たらしい。

ふと。『まとめられたら』という言う思考が働いて、メモのことを思い出す。



 「検査かぁ、なんか、久々だなぁ」

 廊下を歩きながら思い出す。

昔は、一挙一動に心が働かなかった。起きないと食べないと着替えないと布団を戻さないとのすべてでパニックになり、何も出来なくて、毛布がずれただけで叫んでいた。

しばらくの間は携帯の画面を見ているんだけど、結果的に着替えずにひとまず食べて、身体を引きずるようにして支度をしていた。

あれが、軽くなったのはいつからだっけ。

 誰かが、世界を教えてくれた。

地面があって、床があることを、教えてくれた。見えていてもぶつかり続けていたそれを、教えてくれた。



 人の身体は不思議なもので、視力があっても心が動かないと、何も見えない。何も認識しようとしない。

 『何かを見て、感じて、それを記憶して、保持している』からこそ、自我としてのその人の為の人格が生まれるし、その記憶を行動の為に使うことも、周囲がどうなっているのかを認識することもできる。



 自分がこう感じたということを、記憶していなければ、何も見られることも、知ることも無い。


 (――――その人が、その人と言う存在で、生きるということも、無い)





病院の診察室みたいな部屋に通されると言われるがままに、採血や身長体重測定などが行われた。


 その間の時間、暇なので冬至のことを思い出す。

 どうしても、まだ、吹っ切れていない。

昔みたいに、とか、昔は、とか、冬至がもう知らない事ばかり押し付けて……

すっかり終わった事ばかり、繰り返して、それで勝手に納得した気でいた。そんな不安定なもの、あてになんかなりはしない。

状況はいつだって目まぐるしく変わっていて当然なのに、『現在』の状態を確認しようとか、『今』話そうとかしなかった俺が悪いんだ。

わかっている。それが、例えば、命取りになるようなことも、あるかもしれない。

でもそうだとしても、きっと、俺は何もしなかったし、ずっと過去のぬるま湯に浸かっていたと思う。

わかっているのに、動けないことってあるよな。


 解放された後、ふらふらとロビーに戻って歩いて居たのだが、そのうち重苦しい気持ちが沸き上がってくる。


 救急車にドキドキするということを、先生に言うべきか、ということだ。

ドキドキすると言うのは、普通は恋愛感情を表す。思えば最初から救急車の音を聞いたらドキドキしていた気もする。

(……本当に好きなのは救急車のことだったんだろうか)

本当はどこかで感じていた。

背伸びしているだけなのかもしれないと。

刺身のことが好きだと聞くだけでも胸が苦しくなる俺には先生のような大人の余裕がない。恋に落ちたのでは?と不安で仕方がないのだ。

好きという言葉だけで、それだけで胸がいっぱいになる。

 もしかしたら自分の考えが違うのかとネットで恋を検索しても『特定の異性に強く惹ひかれ,会いたい,ひとりじめにしたい,一緒になりたいと思う気持ち』と、あって『やっぱ刺身じゃんか』と自分が間違っていない事を確認した。


 まだまだ知らないことだらけの、不安定な状態で、なんで先生と関わって居るんだろう? それこそ本当はおこがましくて、あり得ちゃいけないことかもしれない。

 俺はまだ未熟で、何も知らなくて、本当は恋愛よりは沢山いろんなことを学ばないといけないのだ。

……だから、救急車への気持ちも、気の迷いとかかも。

「あぁ父さん」

 幼い頃。

せめて、自由に好きな物作って良いよって、どうして言わなかったんだ。

いつでも見てるなんて言われたら父さんに怒られないようなものしか使わないし食べないじゃないか。


「今更、好きな物(父さんが監視しない、自分が好きになっても誰にも言われないもの)なんて、わかんないよ! なんで監視をやめないんだよ」




思えば、自由に好きな物を作ると言う発想ではなく、与えられたものを好きになるという生き方を選んで居たような気がする。

そうしないと監視されて常に呼びかけられる空間をやり過ごすすべが無いからだ。父さんは居なくなってもずっとそれが生活になってしまっている。

「お前のことが好きなんだ、お前は何が好きか?」

と言われて大泣きしたのが、思えば最後の記憶だろうか。

そんなもの、聞かれてわかるわけがないのに、わからない自分を悔んだり。


 こりゃ知的障害だな!と大声をあげてみんなの前で笑われたりもあったっけ。

父さんは俺のものをひとつ残らず奪うことはあっても、くれることはなかった。





――――いや、回想は良いんだ。

これだけ考え事をしてても、既にロビーに戻って来てても、どうしてなのか、誰も近づいて来ない。

というか、椅子の立ち並んだスペースや、受付に浜梨もとおいも見当たらない。壁に、宇宙人にも優しくしよう!とかいうポスターが貼ってある。

友好的ならね。

10分くらい待ってみたが、待つのに疲れてしまった。

「すみません、先生、知らないですか?」

忙しそうな受付のお姉さんに聞いてみる。

「あちらです」

彼女は横に長く伸びている真っ白い壁の奥にある、ひとつの部屋を指さした。







2022年7月4日16時19分‐2022年7月5日22時36分



















 これですが。そう言うと此処に務める医者が壁の前に一枚、紙を貼った。

機械に測らせた採血の結果等が印刷されている。

とおいと二人、検査に向かった砂季を待っているときだった。

別の部屋から此処の医者が俺を呼んで、椅子に座らせるなり、「検査のことについて先に話したい」と説明を始めた。


「グミで血液型が変わるということは無いので……」

そう言ってポインターで指さされたところには、血液型の部分がある。

普通の結果の横に、エイリアン適正値という字が小さく割り振られていて、それが適正有りとなっている。

「え……どういうことですか、これって、砂季も宇宙人?」

「というかおそらくは、数年前の宇宙公害の影響によるものだと思います。お兄さんはエイリアンの純型に近い奇形という話でしたね。

あれは完全な遺伝性というわけでもないし、きょうだいがいる場合末の方に行くにつれて、影響が変わってくるというのもあります」

宇宙公害、とは、宇宙開発が進むにつれ、宇宙から持ち帰られる物質や、ロケットなどから微量の物質が地球に影響を及ぼした公害だ。

ぶっちゃけ何がどう広がって何が起こるのかなど、地球人は誰もわからなかったわけが、とにかくその当時基地などの近くに住んでいた人々なんかは、特に影響があったらしい。妊婦からSF映画のエイリアンのような子が生まれるというのも多発した。

「上に濃く影響が出ているとすると、同じように公害の影響があった可能性は高いかと」

「つ、つまり」

「この子は、単に表には症状が出ていなかったのでしょう。その当時の母体の影響を受けて生まれたというだけで。あくまでも、血液検査の結果など表面的な部分で言えば、もともとこういう体質なのだと思います」

「なるほど……二階から落ちて、ほとんど無傷なのも……」

「それは状況を見ていないからわからないですけど、グミを食べたからと言って強く影響が出るかどうかも個人差がありますし、たまたま、体質に合っていたのも大きいかと」

だとすると。

「宇宙犬の声が聞こえるのも……」

医者は真顔で頷いた。

「そうですね。本来、あの犬の声、聞こえない人も、多いですからね」


砂季には言っていないが、俺は宇宙人だから良いとして、とおいの声がはっきり聞こえる人というのは、実はそんなに多くない。

いろいろと不思議な子だった。


「要するに、エイリアンとして開花しつつあるんですか」

「そうですね。別に手術等は必要ありませんが」

「わかりました」

「それでは、砂季さんを呼んで来ないと」




「もう、来てるよ」

振り向くと、入口に砂季が立って居た。

いつもと変わらない微笑み。いや、いつもより、大人しい。何を、考えているのだろう。

「あ、そういえば、とおいは?」

恐る恐る、俺の方が緊張しながら答える。

「とおいは――――介助犬の方の話を、担当に連れられてって、向こうでやってると思う」

「そっか……」

沈黙。

 話、聞こえた? と医者が言うと、彼は頷いた。

「途中から。俺が、もともと宇宙人だって」

「そうだ。グミの影響じゃなかった。もともと、お前は宇宙人で、俺たちと、一緒なんだ」

なるべく、安心させたくて、暗くならないように言う。

お前だけじゃない、という気持ちを込めたかった。



「そっか……」

砂季はどこか誤魔化すような取り繕うような笑みを浮かべる。まぁ、喜べとか、そういうわけでも無いけれど。

「そう、なんだ」

「あの、砂季、今、呼びに行こうと、」

なんだか俺の方こそ焦ってしまってよくわからないことを口走る。

砂季はそんな俺をフォローするように、曖昧な笑みのままで続けた。

「どう思ったらいいのか。よく、わかんなくてさ、人間だって、エイリアンと同じことするし……うまく言えないけど、父さんたちは、それこそ、同じ地球に住んでて、権利とかあって、それでも、子どもの権利が欲しくて。俺らは、道具でしかなくて、嫌いとか、好きとか、自由に言おうとすると潰れそうになって……

案外、生存と侵略のためだけに成り代わろうとしてる、ミナポンの方が、動機としては、正しいのかなとか」



そっと、手が伸びる。砂季を抱きしめる。

「お前がどんな子だろうと、俺はずっとそばに居るし、傷つく事も言わない。ずっと守るよ」


砂季は強く俺の服を掴んで、けれど、じっと黙ったまま、何も言わなかった。










「さて、検査も済んだし……とおいのことも」

廊下に出るなり、腕を掴んで歩き出した俺に、砂季は「待てよ!」と言った。

「何」

「いや……その……」

何を言えばいいかとっさにわからないらしい。キョロキョロしている彼に、助け船の代わりに「とおいなら、検査受けてくるだけだよ」と言う。

「お、おう」

彼も彼で、微妙な返事だ。

「実は、ミャンからも言われてたんだ」

「え」

「とおいは、ただの宇宙犬じゃないと思う。家を壊していたのも、お前を殺す気だったんじゃないか。って」

砂季がやや驚いた顔をする。

「わかってたなら、どうして!」

「だが、不思議と、砂季には懐いていたようだった。お前がとおいと関わっている限りは、堂々と地球侵略しづらいのかもしれない、と」

「……そんな、危ないことに賭けたんですか」

じと、っと睨まれる。

「いや。なんていうかなー」

うーん。なんていえばいいのだろう。

「なんて言ったらいいかわからないけど、俺は普通にエイリアンを殺すこともあるし、訓練も受けたことがある。

だから、その……、なんていうか、お前と楽しそうに話してるの見てたら、隙だらけだし、とおいの出方を、見てみたかったんだよ。

『俺らだから』噛みつくのかもしれないし、お前には無害かもわからない。

とおいによる侵略行為や、暴走行為が起きることさえ無ければ、平和に済むかもしれない可能性だって、あるわけだろ?」

「仲良くぅ?」

砂季が怪訝そうな顔になる。

「少なくとも、誰に対してもやたら言葉遣いが汚いし、ちょっと何か言うと、数倍に汚い言葉で返答してくるし。あまり友好度上がりそうな予感がないんだけど」

「ハハハハ!」

少し元気が出たように感じて、胸をなでおろす。



「大変です!」

来た道の反対側の廊下から、お姉さんが走ってきた。

俺を見るなり、「とおいですが」と言う。

「とおいが、どうしました?」

「机や棚をその、浮かせたり倒したりしてて、測定どころじゃないんです!」

そう、とおいは、そういえばサイコキネシスを持っている。犬の姿じゃないと使えないみたいだけど、それを今発動しているらしい。

「飼い主さん、とおいのことを抑えててください!」

「わかりました」

真剣に言っている俺の横で、砂季が笑いを堪えて震える。

こんなときとは言え、あのとおいに「飼い主」が出来る図に笑ってしまったんだろう。つられて吹き出しそうにもなるが、大人なのでどうにか堪える。


「アオーーーーーーーン!!!!!!!!!」



どこかから、遠吠えが聞こえる。


「アオーーーーーーーン!!!!!!!!!!」



どこか、もの悲しい声だ。


「オォーーーーーーーン!!!!!!!!!!!」


遠吠えなんて、初めて聞いたが、これは、とおいの声なのだろうか。

とおいは、今、どんな気持ちなのだろう。

「こっちです!」

お姉さんに案内されるまま、廊下を走る。意外と広く、長い。


2022年7月6日0時29分
















 こちらです、と入口が両開きの広めの部屋に通された。

『大型』も居るので、部屋も大きめなのだという。入口から入る間もなく、あちこちで、壁に棚がもたれかかっているのが目に飛び込んで来た。

おろおろする周囲の周りで、器具やレポートが宙を舞う。

そんな中で、テーブルに乗ったまましばらく暴れていたとおい。

やがて遠吠えに飽きたのか、一旦呼吸すると、今度は喋った。


「あいつの、においがするっ。あいつの、におい。間違いない!!

居るんだろう!! 居るんだろう!!」

初めて、でもないが、とおいが流暢に話すのを随分久々に聞いた気がする。

野生に戻っているみたいに、ときどき遠吠えを上げている。


「とおい! 落ち着いてくれ」


浜梨がとおいに近づこうとすると、とおいの目が緑に光った。

「ワンワン!!! ワン!」

歯を剝きだして怒っている。どうにかなだめようと俺も近づこうとしたときだった。とおいが浜梨に飛び掛かる。

「そうか……おまえの身体を奪ってやればいいんだ」

「え?」

「あの方に近づくにも、最初から、そうすればよかった」


とおい?

とおいが大口を開けて、先生に嚙みつこうとする。

周囲の人たちもそれぞれ、麻酔を使うかなど話している。

一瞬、とおいと目が合った。


「砂季には、教えておいてやる。今から、浜梨は居なくなる。

頭の中のバックアップデータをデリートして、それと別にとおいの人格を書き込めば――――擬態したとおいが完成だ」


バシュン、と微かな音がして、何かがとおいの足に打ち込まれる。

「先生、気を引いてくださってありがとうございました」

どうやら麻酔のようだ。

「あ、いえ……」

浜梨が愛想笑いする。

 さっきまでとおいが物騒なことを言っていたっていうのに、みんな気づいてないのかというくらい平然と仕事に戻っていた。

眠ったとおいの計測が始まっている。

浜梨は軽く腕を払いながら平然と解説していた。

「さっき、とおいはああいったけど、ミナポン系のエイリアンが擬態する手順は実際は逆だと思う。正確には、別のデータを追加で書き込んでからバックアップデータをデリートするんだ」

「はぁ……」

狙われてたのに呑気なものだ。

「とおい、どうしちゃったんだろう」

「懐かしいにおいがする、と言っていたな。『あの方』が、俺の知っている人の可能性は高い。もとは飼い犬だったのかもしれない」

「だったら、此処に、その誰かが居たっていうことじゃ」

「どうだろう。嗅覚が人間の数倍だからな。もっと遠くのにおいかもしれないし」

眠っているとおいは涙目で、何か悲しい夢を見ているのかもしれなかった。

いつもはイキがっているとおいでも、こうしていると寝顔は純粋だ。

 飼い主と離れ離れになったりしたのだろうか。


「とおいは、すごいエネルギーを持ってる。そのエネルギーを傷つける為じゃなく、人を救うために役立てられたら、って、俺は思うんだ」

浜梨は自分が狙われているにも関わらず、そのエネルギーで殺されかけたにも関わらず真剣にそう言った。

「宇宙人に囲まれた一度は滅びかけたこの街も……そのエネルギーが良い方向に集まれば、また、再生するかもしれないだろ?」

「どうですかね、とおいは、再生になんて興味無いと思うけど」

「それでも、俺はやるんだ」

  


 なんだか前向きな発言。

大人の癖にどこか夢見がちで、無駄に真っ直ぐで、変な人。

「はいはい。頑張ってくださいね」

適当に言うと、お前も一緒だぞ♪ と言われて、じっとりとした視線を送る。

「なんだよ……とおいが懐いてるんだし、良いだろ?」

「まぁ、街を守る、くらいなら、協力してあげても良いですよ」

目を逸らしながら言うと、浜梨はくすっと笑った。

「素直じゃないな」

「もとから素直です」

「うん。でも、なんか、どこか、やわらかくなった気がする」


目が合う。

優しい目。

俺にだけ向けられる視線に、戸惑う。


「セ……セクハラですか、それ」

変なことを言いそうだ、と距離を空けて、背を向ける。

 後ろの方で「雰囲気の話だよ」とかなんとか言っていた。

好きになるって疲れる。今は、ご飯が美味しかっただけで、もう容量いっぱいで、とても余裕がないくらいで。

だけど、少しだけわかった。


 他人が、自分の価値を自分の価値と認めてくれて、初めて、なぜ愛される必要があるのか知ることになる。

(自分の存在を認めて貰った人が、初めて、名前や存在意義に理由を見出して、やっと、他人にもそれを見いだせて、好き、が理解出来るんだ......)

俺もいろんな人に認められて、此処に居る。

それこそ、父さんたちは俺を否定したけれど、それでも学校に行けば友達が居たし、賞とかもあって、誰かが認めてくれることを何処かで知っていたから存在出来たんだろう。







冬至――――


 冬至が認めて貰いたかったのは、俺じゃなく、パパだった。


 あのときは正直、どうして言わなかったのかって、俺に認められるのじゃだめなのかって少しだけ、腹が立っても居た。

俺には何も出来ないのに罪悪感を覚えるみたいでムカついた。

 でも、今は、少しわかるような気がする。

パパが居る場所、家こそが、今まで冬至の居場所で、それを他人の俺や誰かが否定することが出来ないのは、どうしようもない事。

友達、と、好きな人の違いは、こういうところにあるのだろう。



 意味も、存在理由も得られなかった冬至が、今度こそ、それを得られますように。



 俺では足りないかもしれないけど、それでも少しでも、次は力になれたらって思った。






 とおいの検査を邪魔しないように、俺たちは部屋の外に出る。

ふと、隣から何か、チカチカとした点滅、光を視界にとらえる。

なんだろう、と横に居る浜梨裕の方を向く。

光を目で追うと、どうやら先生の指輪からのようだった。

指輪全体が緑色に点滅を繰り返している。

「指輪、光ってる」

「ほんとだ……櫻の身に何かあったのかもしれないな」

浜梨は呑気に指を眺めている。

思わず俺はじっ、と彼を凝視した。

「それ、櫻のなんですか?」


彼はそのときだけ、少し、切なそうに、答えた。


「いや、マスターの、遺品」



2022年7月6日22時40分‐2022年7月7日2時40分‐2022年7月7日加筆







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