第22話 冬至と砂季


――人を心から信用するのって怖くないか?

――友達って言葉で信用が成り立つのも変に思うけど、自分だけが相手のこと好きなのではないかと相手を信用出来なくなることも事実で、

自分でもどうなりたいのかわからなくなるから。

――周りに人がいてくれる環境なら大事にすることに越したことはねーよ。






 あの後、何故かついてくると言ったミャンを先頭に、薄暗い住宅街を歩いていた。

歩いている間中始終無言だったので、俺は浜梨のことを思い出している。

ミャンの言う、薄っぺらい建前と、それを大事に抱える彼。


――血のつながりは、浜梨裕には大事なものなのだろう、というのも理解はしている。

 エイリアンは赤ちゃんに寄生することもあって、それが彼の一族の中で生まれた。身内という殻を纏ったまま人をどんどん殺していく。

 それを知った後も、一族はそいつを庇った。

生んだ親ももちろん惨いことはできないと黙認し続ける。

家はどんどん、血が濁っておかしくなっていった。

 俺の母さんの年代のときに、宇宙開発に伴う、物質の干渉で宇宙公害が流行って奇形児が生まれたけれど、それと同じようなものなのだろうか?


そんな複雑な家庭で生まれ、『自分が、あの家を殺さなくちゃいけないと思った』

――――という彼が、今、一体どうして人間の中で、こうやってなんとかセンターだか、高校教師だかに所属して、人々の為に働いているのかはわからないが、彼なりに人間の事を知ることに重要な何かを見出しているのかもしれない。



途中、浜梨はミャンにとおいを紹介していた。

「コイツは、俺が見つけたんだ。宇宙介助犬にするんだ」

浜梨が呑気にそんなことを語る横で、とおいがわんわんと鳴いている。

「勝手に決めつけるな!クソが!」

『謝ったり畏まると呼吸が止まる』タイプの、宇宙犬が、果たして人々の社会に馴染めるのだろうか……


 以前とおいが適当に語った話を要約すると、一部のエイリアンたちは

地球で呼吸するために身体の物質の流れをいじっているが……そのなかに『言語コード』がある。それにより『謝罪など』地球人と深く関わりを持つことになりがちな言語が禁止されているらしい。謝ったら死ぬのだとか。

罪を認めたり罪悪感を持ったりはしないのかもしれない。


「冬至のお父さん……完璧なママに仕立てようと、冬至の人格を保証していたものを全部否定している、んですよね」

なんとなく、さっきから黙ったままのミャンに話しかけてみる。


 人格を保証していたもの、とは趣味とか好きな物とか嫌いな物とかそういったものだ。部活も辞めて、趣味や、俺たちのことも失くしていく。

今まで食べていたお菓子や食事も、もう興味が無くなっていくこともあるだろうし、これまで読んでいた漫画や小説も何も感じなくなっていくはずだ。

ママになる、には冬至を消すしかない。

 それは、ただ彼が消えてママに成り代わるだけでなく、彼を構成していたものも同時になくなったということ。


「それが? だから消すしかなかったんだろ。ママのことしか呼ばない、ママの趣味しか認められない。冬至に認められたのはママと同じことだけ。それなら、冬至を消した方がいい」


 彼なりの優しさなのだろう。

冬至の孤独。ママに成り代わらなければ存在すら許されなかった心は、ミャンにも痛いほど伝わっている。


「……そうじゃなくて、あの、差し出がましいかもですけど、冬至のお父さんの記憶とかは消せないんですか」

「それは……。生活に関わる」

「あ。そうですね」

 父親と言う役割を忘れてしまったら、家にも帰ってこないだろうし、親の同意が必要な書類を出すことも出来ない。




――――だけど。

冬至は存在しちゃいけなかったのか?

ママになってまで、自分を壊されて捨ててまで、何のために、誰の為に生きてるんだろうか?


俺が冬至が居ることを許しても、それだけじゃ、駄目だった。



2022年5月31日20時18分














 冬至の家は、特筆することもない、住宅街によくある短い階段のついた四角い家だった。

着いたというのに、ドアの前に立ち尽くしてしまう。

「開けないの?」

と、聞かれるが、開けて良いのだろうか。

ふと、あのときの浜梨裕の声を思い出した。

――――親しい人は会話をするだけで、血圧や心拍数があがったりする。今の彼がいきなりそれを受けるとショックを引き起こす危険性がある


 あのときには理解出来なかったけれど、考えてみれば自然な話だ。

(そりゃそうだよな。全部持ってるやつが、全部奪われたやつに話しかけてるんだから。

今の冬至は自分が居る意味も、存在価値も、何もかも、ママの居ない家を補う為の代替でしか、なくなってるんだから)


 ママを使い続けるための部品。

それが、自分が居なくなってしまった家、そして、父の中からも消された冬至の存在。

それを揺さぶるようなものを突き付けてくるのは、俺がそれを否定するみたいに彼を呼んだのは、あまりに残酷な事。

だからこそ彼には耐えられなかった。家が、変わることが無い限り、冬至の居る場所なんて無いのに。


ママを補い続ける、ママの代わり。それが――――


「ははは。此処まで来て、何、迷ってるんだろ……」



「少なくとも、冬至がこのまま居れば、父さんに、愛してもらえる。何の問題も無い」

ニヤリ、とミャンが皮肉っぽく笑う。

「それは『誰』なんだよ……!!! 冬至は……それは、冬至じゃない……、ただ、肉体があるだけだ」

 ママにする為の部品以外を否定し、消し去った冬至を愛しても、それは、彼ですら無くなった何か。

俺を拒絶する目が焼き付いて離れない。もう、彼は居ない。冬至の父さんは、父親なのに、そんなことも分からないんだ。



――――だったら、なんで、名前を付けた?

どうして、冬至を学校に通わせた?

冬至が、部活をして、勉強をするのは、ママで居なくても自分の将来を決めてもいいという意味じゃないのか。

  ママの代わりにして、やりたいことや好きな物も全部、見張って、奪って、否定する為だったってことなのか?

 



 冬至のお父さんの行動が合っているとは思わない。

 俺の家は、何を書いても、全部自分の才能より上かどうかと判断されて、張り付かれ続けて、だけど、それでも、ずっと仕事で出かけて家に常に居るわけじゃなかったから耐えられた。

でも、冬至と同じように自分が存在することすら許されない可能性だってあった。


「……俺はどうしたいんだろう」

勢いで、此処まで来てしまったが、冬至のことを呼んだって、父親を否定したって、それは自己満足で、家庭を壊すだけじゃないのか。

もう、ママしかいないのに。



――――冬至は、居ないのに。



「マスターは」

俯きかけたとき、ミャンがポツリと、消え入りそうな声で呟く。

「俺が、殺した」

口を挟む間もなく、浜梨がそれを遮るように言う。

「俺もだよ。ミャンだけの、罪じゃない。もっと早く、櫻を止められていたら――――こんなことにはならなかった」

それを無視して、ミャンは続けた。

「……、だけど。今更、なんの償いにもならないとしても、マスターの存在が無くなってしまったとしても、それでも、もう意味が無いって言われたとしても、あのエイリアンを止めたいんだ。そう、思うことは、いけないのかな?」 





 理屈ではなく、何か、変わるかどうかもわからなくても、それでも、冬至がくれた言葉を、どうでもいいことをして笑っていた頃を、今でも変わらず思い出すよ。

それはきっといつまでも変わらないことだから。だから。

「あんたは、冬至が居なくなったとしても、それでも、ただママの代わりとして使い続けられる存在が居るってことが、許せないんじゃないの。だから、こんなところまで来た」

「はい」



 ――――それに、あれは、もしかしたら、俺だったのかもしれない。

冬至が許されず、認められず、居なくなったとしても、それでも彼は、クラスメイトで、ママの代替品なんかじゃないんだ。 




 チャイムを押す。

インターホンが「誰ですか?」と問いただした。冬至の声。

「あの、同級生の、友郷です」

どうしたら良いのか、未だにわからないけど、

「早退、したって聞いて……その……」

「お見舞いに来てくれたの?」

インターホンの向こうから、おっとりとした、『まるで母親のような』冬至の声が聞こえてきた。

一瞬、ぞわっと毛が逆立つような感覚が全身にまとわりつく。

 だけど、一瞬だけだ。悟られないように微笑んでいるとすぐに落ち着いた。

言いたいことをいろいろ考えていたのに、とっさに喋ろうとすると、何を言っていいかわからなくて焦る。


「はい……この前の、朝は、ほんと、ごめんなさい。俺。自分のことばっかりで……あっ、あの、話、したいんです、けど、えっと」

シン……としているので、警戒されているのかもしれない。

やっぱりもう帰ろうかなと慌てていると、静かにドアが開いた。

「いらっしゃい。わたしもちょうど、話したかったの」






 「家は今散らかってるから」と、冬至が外に出てきた。

ふと、周りを見るが、先生たちは居なくなっている。どこかに隠れているのか、それとも帰宅したのか。話しやすいように気を遣ってくれたんだろう。

「ごめん、待たせたわね」

「いえ……」

距離感が、わからない。

冬至は居ない、という言葉通りなら、初めましての方が良いのだろうか。

 冬至はよく見ると、家事をするときに使っているのだろう、エプロンを付けたままだった。

(本当に、ママになってるんだ)

見た目だけなら確かに、彼は母親もこんな風なのだろうと思わせるようなかわいらしい顔立ちだ。

俺の視線に気づいて、顔を赤らめる。

「ご、ごめん、なさい、わたしったら……さっきまで、洗濯物を畳んでいたから」

「突然来たのは俺の方なんで、あの、いきなり呼び出して、その」

まずは、初めましてを――――そう、思って、改めて口を開こうとしたとき、先に冬至の口が動いた。

「あの後ね。あなたの言う冬至を、呼びだしてみようとしたの」


低い、男の声。

いつもの、冬至の声。姿。

その彼から他人事のように語られる俺の知っている冬至。


「だけど、ごめんなさいね。冬至の事、何も分からないのよ、ほんとに、あなたの言う冬至が居たのかも、わたしには何一つ。きっと、昔の思い出を聞かせて貰ったところで、他人事みたいになっちゃうと思う。あなたの友達は、残念ながらもう居ない、二度と、目覚めないと思ってくれていいわよ」



 ――――覚悟していたことだった。

ミャンから前もって聞いて居なかったら、もっとショックを受けていただろうし、みっともなく取り乱したかもしれない。



「だからね。こんな、わたし、気持ち悪いでしょう? 無理して付き合う必要なんてないのよ。今まで、冬至とお話してくれて、ありがとう。きっと冬至も嬉しかったと思う」

 これが、ママになってしまった、冬至。

お父さんに否定されない為の、ママの代替品になるために生まれた姿。

自分で、気持ち悪いなんて言ってるけど、そうなるために、どれだけ苦悩したのかと思うと笑ったり出来なかった。

ただ――――怖い、そう思った。

人格は簡単に壊れる。

 肉体と、精神が、結び付けられている保証なんてどこにもないんだと、それを目の当たりにして、

肉体だけ生きて居れば、冬至が戻ってくるという保証もどこにも無いんだと、それを、目の当たりにして。

多重人格があるなら、人格の消滅や変更もある。

俺もまた、そうなるかもしれない可能性があるんだということを知ってしまった。




――――誰かが自分を、自分の好きな物や嫌いなものを、自分の為に、

自分の存在価値と同時に認めていてくれる環境、それが無ければ、俺の人格も簡単に失われるかもしれない。



  黙ったままでいると、不安そうに「もしかして、わたしがふざけてるって思ってる?」と聞かれた。

「そうよね、こんなこと言っても、信じてくれないわよね」

「いえ、そうではないです!」

 なんて言えばいいかわからなくて、言葉を探していたけれど、黙っていても不安にさせてしまう。

とりあえず、ふざけていると思っていない、という意思だけは紡げた。


「俺、その……えっと、気持ち悪いとかは思ってないというか、あの、その、学校で、会ったとき……俺、自分のことばっかり考えて、ました。

自分が一人になることばかり、冬至が俺と友達じゃなくなるってことばかり気にしてました。

 昔の冬至が良いとか、そんな、あの、冬至の気持ちも、なんにも知らずに、どうしてかとか知ろうとも考えようともしないで、勝手に追いつめるような、責めるようなこと、言ってたんじゃないかって、ほんと……情け、無くて」


「そうなんだ。優しいのねぇ。でも、わたし、何も言ってないもの。知らなくてもしょうがないわ」


 追いつめるような、責めるようなことを、言ってしまったかについては、冬至は言及しなかった。

ただ、街灯に照らされた顔は少し悲しそうに笑っていた。



「お世辞でも、嬉しい。でも、 もう、さよなら。あなたは優しい人だから、きっと、もっといい友人に出会える。わたし、どうしたって、どんなに頑張ったって、あなたの知る冬至になれないんだもの! いっぱい、がんばったの。でもね、頭が痛くて。息がつまりそうになる。お父さんも、やめておけって、ママで良いんだよ、無理しないでいいんだよって」


 あぁ。やっぱり。冬至には、会えない。

でも、嫌がられている事、俺が話しかけるだけで耐えられない程に、冬至の心が痛いのは見たらわかるはずなのに、それでも距離を置こうとしなかった。

なぜなのか自分でもわからないけど、冬至の声や、冬至の優しさはどこか、まだ、面影があるみたいで、なんだかそれが、懐かしかった。

別に悪人になったとか、受け付けないような人に変わったというわけじゃない。

 気が付いたら、「今の冬至と遊んだり、するのって、駄目かな?」 なんて、頭の隅で考えている。

クラスメイトなんだし、どうせ、冬至も学校に行くんだから、クラスに馴染んだ方が楽しいと思う。

やっぱり形が変わっても冬至は冬至なんだと、俺の中の感覚が告げていた。それは、どうしようもなく、理屈でもなく。

思わずそう言っていた。

「俺の事、嫌い、ですか?」

「え……」

冬至は驚いている。

「あ、あの……なんていうか、俺、その。せっかく、知り合えたんだし! あの……、なんていうか、俺は、もう、俺の知る冬至を押し付けたりしません。だから、もっと、話とか、したいって、いうか……」

なんだか告白みたいで、変な汗をかく。

しばらく、まとまりの無いことを呟き続けてみたが……反応が無い。

 どうしたんだろう。

思わず逸らしていた顔を上げてみると、冬至が泣いていた。

「え……? 泣くほど嫌だった!? うわ、ごめんな!」


胸を押さえて、無理に笑ったような歪んだ笑顔を向けた。

「違、うの……!」

だけど、涙は止まらなくて、雫だけが溢れて落ちていく。

「冬至?」

心配になってそっと表情を伺う俺の前で、冬至が肩で涙を拭い、困ったように笑う。

そして俺の手を握った。



「わ、たし」



――――わたし、誰だったのかなぁ。


2022年5月31日20時18分‐2022年6月1日22時56分










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