第21話 ミャンと櫻


 冬至の家を目指して住宅街を歩いている途中。

ふと、とおいが、何か見つけたように「おい、あれ!」と言う。

そちらを向くと電柱の陰に櫻……が居たのが見えた。

「出かけませんかぁ?」と誰かを誘っている。

「まじでキモいんだけど。俺の笑顔を崩さないでくれるかなぁ。出かけたいなら他当たって下さいな。二度と会いたくない」

 相手も相手で、ズバズバと突き刺すようなことを言っている。

確か、櫻……じゃなくて、太田原先生は金銭的な問題でタイムリミットが近づいているのでいつまでも上役に付き合ってられないとか言っていたけれど、当局の監視を潜り抜けることに成功してるんだろうか。

 ――教師として、しばらく大人しくやり過ごすつもりだと思っていたのだが。

「あんた、エイリアンだろ?」

どすの聞いた低い声が、辺りを震わせる。そんなに大声ではないはずなのにそれはよく響き渡った。

「ボクさぁ、昨日から機嫌が悪いんだよ。納豆巻を作ってたら日付が変わってたもんで寝不足。 高校時代、こんなのよく延々とやってたな。 たかがこんなお遊びにウン時間かけて睡眠削って」


   ――そう、思うだろ?

ガッ、と櫻の腹部に膝が打ち付けられる。

櫻は、なんとか受け身を取ったものの、かわしきれなかったらしい。

後ろの塀の方まで吹っ飛ぶ。一体何が起きているんだろう、


「大方、既存の人物を再現するのに髪型にいいのが無いので、別の衣装が髪型違ったなと思いそっちを作ろうとしたら更に難易度が上がったってところか――変装が中途半端なんだよ」

街灯に照らされながら、ダークグレーの髪の青年が立っていた。

制服風のブレザー服を着ていて、両耳には黒い輪っかのようなピアスが揺れている。真っ赤な目をしている。

あれ、は……?

「あぁ。ほんと眠い。マジねむい。すげぇねむい。何故納豆巻き作ってたんだろう。 納豆巻ってやつはこんなに作るの大変だったっけ」


 彼はスラックスのポケットから銃を取り出して、なかなか起き上がらない櫻を眺めながら退屈そうに中身を詰め替えている。

浜梨が一言、「ミャン……」とかわいらしい猫みたいに鳴いた。

あれ、そういやあれは鳴き声ではない、幼馴染の名前だったぞ。


「さーて、教団のデータ書き起こしてたら想像以上にヤバいものに仕上がっとる。 てか、本当にこういう下世話な宗教話ネタはポンポン出てくるなぁ。 ただ、これ使えるかなぁ。あと、倫理的にヤバいかもしれん」


 止める暇も割り込む暇もないまま、彼は躊躇いなく構えたそれの引き金を引いた。

「だぁああん! だぁああん!」

と口で言いながら、弾は容赦なく櫻の顔にめり込む。

手慣れて居るのだろう。辺りからは甘い花のようなにおいがする。

エイリアン用の特注品なのかもしれない。


 櫻は、顔がどろどろと溶けた状態で、それでもゆっくりと起き上がった。

 「ぉ……まえ……人間じゃないな」

怨みがましい声で唸りながら、

のそのそと、彼に目掛けて腕を伸ばす。


「ご名答。まー、あれかあ四年は経ってるし仕方ないか。 モンハンで相当寿命削ったな。こいつも……」

と、愛用の銃を撫でながら(熱くないのだろうか)

ミャンは伸ばされた腕をかわす。僅かな灯りから見えたエイリアンは顔の半分がどろどろとしたスライム状になっており、腕をかわされた代わりとばかりに液体をミャン目掛けて飛ばした。

 慌てて銃で防いだミャンだが、スライムに絡めとられた銃に舌打ちする。

 どこか関節の隙間に入ったらしい。

「とりあえず民間の業者で交換の依頼して、最悪買い替えも視野に入れるか」



チャンスとばかりに、櫻がにっこりと笑った。


「お前の身体を手に入れれば、無敵かもしれないな」




2022年5月31日3時20分
















 櫻が舌なめずりをしてミャンに向かう。

ミャンは苦笑している。攻撃手段をどうしたものか考えているらしい。

横に居た浜梨がそっちに走っていく。



 それにしても。

ミャンは、刺身と付き合ったことはあるんだろうか? 

口に入れるたびに、電柱でも本棚でも、パソコンでも、誰かが自分以外の全ての物質を触るたびにそれに恋愛感情を抱いているんじゃないかとモヤモヤすることは、あるんだろうか?


――食べ物の好きと、恋愛感情の好きは、何が違うというんだろう。

ううん。同じ。

 

 ただ、恋愛で、誰かを好きになることは、才能に恵まれていて、どうしようもない、途方もないほどの才能が必要なことなのは確実なことなのだった。

綺麗ごとや努力で手に入るものじゃない。空腹で手に入るものじゃない。

 他人に自分の考えや自分の言葉を認めて貰っている必要が先にあり、

自分があって、それをもって、ようやく、他人を受け入れられる。

それがある人間と、無い人間が居る。




 こんな緊急事態だというのに。

俺は、ただなんとなく、そんなことを考えていて――

とおいと一緒に、その場に座り込んだまま、膝を抱えた。

どうせ、あのグミを食べないと、動けないし。足手まといだし。

それに

――先生が、美味しそうに刺身を食べているところを見ていることを、思い出してしまうのが、辛かった。

付き合っていないっていうなら、どうしてあんな風に笑うんだろう。

あのサーモンの性別だとか、余計なことまで考えてしまう。

「冬至……」

俺は、好きな物なんて無くしたい。心が痛い。今更、好きな物を増やしたって、全部が心を引っ搔いて、悲しくなって、誰かが好きだって言って刺身を食べているだけで泣きたくなるんだ。好きな物があることが、それを当たり前に他人に振りかざすことがどれだけ無神経なのか。どれだけ、傷つけるのか。



でも、冬至の気持ちだってわかる。

 冬至がママになったってこと、せめて、納得させて。


納得したら、今度こそ、今の冬至の背中を押したい。

 鞄からはみでたとおいが、ぅわん、と控えめに鳴く。励ましてくれるのか? いや、こいつに限ってそれはないか。



「──俺さ」

 数メートル先の先生たちに聞こえない小ささで独り言を呟く。とおいが聞いてくれてるかは謎だけれど、自分の気持ちを整理したかった。

「冬至はあまり大勢とつるまない俺に出来た、少ない友達で、辛いときもよく励ましてくれて……なんでも相談してたんだ」


 何処かで叫び声がする。あれは、櫻のだろうか。

 「それがママになってしまって、学校で独りになる自分が嫌だった。見たくなかった。

だから、冬至の気持ちも否定した。自分が寂しくなるから、友達が居ないのが辛いから、無意識に自分のことばっかり考えて……最低だよな」


冬至が家に居場所が無いことも、冬至がママにさせられる中で戦っていることも全部なかったことにして、いつも通りに友達を強要しようとして。

「必死に戦っている冬至のことも考えず、追い討ちみたいに俺はいつもの冬至になって欲しいっていう、むかつく気持ちばかりで、心をなんとも思ってなかった」


なんて、醜い────



じっとしていると、このまま夜に溶けてしまいそうな気がした。

「おい」

すぐ横から声がして、ハッとする。

浜梨と、ミャンが俺を見下ろして居た。

「終わったぞ」

「……え、と、」

「櫻は、逃げてった。当局に通報はしたけどな」

 ミャンの服の袖の部分に焼けた跡があった。

どうも浜梨に向かおうとした、櫻の溶けた顔のスライムを咄嗟に被ってしまったらしい。

「大丈夫か?」

「俺に触るな、このくらい、なんてこともない」

浜梨が心配すると、ミャンが舌打ちする。

余程、浜梨の裏切りに腹が立っているんだろう。二人の問題だからどうこう言うのも無粋に感じるけれど。


──彼は浜梨から距離をとると、ついでのようにこっちをジロッと見下ろした。夜が似合う、闇みたいな人だ。

「誰、こいつ……あぁ、生徒サンか」

「はい」

「さっきの。驚いて、なかったな」

「先生と同じ、施設の出身、なんですよね」


「なぁんだ、聞いたのか。そうそう、まぁそういうワケ」

「ぅううう~」

唸り声がして、振り向くと、犬──

光る犬が立っていた。

「──ってとおい……!?」

ぬいぐるみから、犬の格好に戻っている。

ミャンを威嚇しているらしい。

「こいつもエイリアンか」

ミャンは余裕そうな表情で犬を見下ろした。

「エイリアン犬の脱走、どこかにリストなかったかな。お前、ただのエイリアン犬じゃ無いだろ?」

「ぅわん!わん!」

とおいが飛びあがり、彼に駆けていく。

「あっ、とおい!」


 ミャンは飛びかかってきた犬に仰向けにされるが銃身を咥えさせながら、どうにか起き上がった。

「なに、キレてるんだよ? エイリアンは殺すしか無い──だろ?」

 人間がそう俺たちに教えたんだ。同族だろうとなんだろうと、悪いことさえすれば殺す。「人間は家族だ友人だってわけるが──エイリアンは、ただのエイリアン……だから殺す」

 隠していたらしいナイフを取り出そうとするミャンに、浜梨が慌てて叫ぶ。

「待ってくれ。人間が全てそうじゃないだろ? 室長たちは自分の利益になる人間しか家族と呼んでない。元々そういう情なんか持っちゃ居なかったんだ! 家族を区別したり差別してるとかじゃなく、人間には大事なものがあり、エイリアンには思想や大事なものがないと決めて」

「そんなことはわかってる!!!」

張り上げた声が響いた。それから、消え入りそうな声。

「わかってんだよ……」


シン……と辺りが静まり返る。



「室長は…………ボクたちを、化け物としか……見ていなかった」


とおいが唸るのをやめ、じっ、とミャンを見つめる。


──好きになった子も、友達も、化け物だからって殺した。ちょっとなにかしただけで殺す。それが許されている。

 だけど人間の家族は、どんな悪いことをしていても人間だからという理由で、なかなか殺そうとしない。馬鹿みたいに感情を考慮するだの世間体だのと理屈をつけて。

「ボクたちの命は──いつでも消せて、大事な友人も家族も恋人も、消せるのに──消してきたくせに」

なにが家族だよ。なにが血の繋がりだ。

 都合よく使い分けられる建前の中、彼は殺し続けることでしか自分を許せないのだろう。なんだかわかるような気がした。

「お前も人間にだけ家族を適用してんじゃねぇぞ! 人間にだけ、正義を気取って、それで優しいつもりか!」

浜梨に罵声が飛ぶ。とおいは、じっとミャンの傍に座っていた。一応いつでも噛み殺せそうにはしているつもりみたいだが、それでも状況を待っているらしい。

「ミャンのことも、友達だと思ってる」

浜梨は至って真面目に答える。

「はぁ!? 馬鹿にしてるのか? お前が卑怯者の裏切り者って話をしてるんだが」

「だけど、ミャンは良いやつだから」

 ミャンは立ち上がり、ゴミを見るような目で彼を見下ろした後、(何を言っても駄目だコイツ、という表情だ。同情する。)



俺に視線を寄越した。

「あんたは、家に帰らないのか? エイリアンなら、たぶん、追い払ってしばらくは来ないと思うけどなぁ。少なくとも、顔を形成するまでは人前に出れないだろうし」

「あ……冬至に、会いに行きたくて」

冬至。

「あぁ。なるほど、そういえばアイツ、この近くだもんな。でも、心を消して、ママになっちまったものは二度と戻んないぞ。いっそママが居るって思った方が良いと思うけど」


その言葉を聞いた瞬間、なぜか、ぽろっと瞳から水滴が落ちた。


「……」


 簡単に言っているけど、俺は分かってなかったんだと思う。

肉体さえあれば、人は生きていて、だから、またすぐにいつものように友達に会えると思い込んでいた。

 だけど多重人格があるなら、その逆もある。

増えていくものがあれば、消えるものがあって、消えたら二度と戻らない。


「おいおい、なに泣いてるんだ?」


彼が望んだことだった。

「泣いてなんかない。あいつを……俺くらいは、讃えてやらないといけないんだから」


 脳裏にいろいろな思い出が蘇ってくる。

 一緒に授業を受けた事、弁当を食べたこと。放課後に買い食いをしたり、ゲームの話をした。失恋パーティとか、鍋会とか、しょうもないことで集まって騒いだ。



今になってようやくわかったんだ。




――あれは、冬至の人格が、彼の肉体に備わっていたから出来ていたことだった。


2022年5月31日4時50分―5月31日(火)PM3:40ー15:55

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