第17話 心
先生と二人、教室に続く階段を上る。二階の踊り場前の廊下から聞こえたのは、絶叫だった。
「盗らないでくれー---!!!!!!!!!!!盗らないで、心を、盗らないでー----!!!!!わああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
「おはよう、冬至」
どうして良いのか全然わからないが、改めて、声をかける。
「俺は、心を盗ったりしないよ?」
冬至は何も言わなかった。俺に気が付いてすら居ないのかもしれない。
「心を盗らないで!!! 何も聞かない!!!!」
「誰かが、お前の心を盗んだのか、なぁ、何があったんだ」
彼は頭を抱えて蹲ったり、立ち上がったりと落ち着きがない。
いつもの優等生風の態度ではなかった。
先生が俺を下がらせる。
「待て、親しい人でない方が良いかもしれない。親しい人は会話をするだけで、血圧や心拍数があがったりする。今の彼がいきなりそれを受けるとショックを引き起こす危険性がある」
ショック……?
急に心拍数が上がったりして、逆に体の反応と追い付かなくなるということだろうか。人体にそんな症状があるなんて、知らなかった。
数歩下がって離れたところから、先生と冬至を見守る。
なんの話をしているんだろう。
気になるけど、あんまり聞きたくない。
ふらふらと、廊下を歩く。どうせ俺が居ても、余計に取り乱すだけだ。とりあえず奥の方で待っていることにした。
えーと。さっき言われたことを思い返してみよう。
つまり、冬至は、誰かに心が盗まれた。
それなのに、親しい人に話しかけられて、その段階での心拍数とつりあわない動悸とかがあって、錯乱して、ショックを起こしかけ、自分に会話の刺激が伝わるのが駄目になってしまった。
(そういや、心は、その都度の刺激を纏めた受容器官のようなもの。って、本で読んだ気がする……)
内側からいなくなるというのは、単に、何か、魂が抜け落ちるとか以前に、その『いままで刺激を纏めていたもの』が、失われるということ。
だから、何かを言われても理解出来ないし、俺が居ても、意味はなく……
他人を好きになると、自分はどこに行ってしまうのだろう。
みんなその話題を口にしないから、自分が変なのだと思っていた。
冬至が怖いのが、わかる。
だけど、だから、俺は近づくことが出来ない。それがもどかしい。
考えれば考えるほど、頭に血が上りそうになる。
恋は、体をホルモンによって作り変えるほどのエネルギー。
普段俺たちが習うのはせいぜい、男性の方がやや恋愛などのストレスが掛かりやすいという記述くらい(突発的な暴力を少しでも減らす為?)だが、
恋に有害な要素が無いわけはないだろう。
同時に、先生がやけに慣れた様子だったのに胸が痛む。
マスターも、こんな状態になったのか。浜梨裕はどんな想いでマスターを見送った?
「俺も……どこに行くんだろう……」
冬至のようにしゃがみ込んでみた。頭を抱えてみる。わからない。
冬至の恐怖が、どれだけのものなのかは。
でも、俺だって怖い。何が、と言われてもよくわからないけど、
自分がどこかに行ってしまうんじゃないかって思って。
それなのについ誰かに話しかけたりしてしまって。
でも、やっぱり、心が盗まれたら、と考えてぐらぐら、心が、歪んで、揺れて、壊れたら、きっと、俺は生きてゆけないとそう思って――
なんて、矛盾しているんだろう。まるで、恋は自殺願望じゃないか。
「がぁー-あ。クソだな!」
物思いに浸っていると、とおいが、制服のポケットから吠えた。
「ちょっ。静かに」
最近静かだなと思っていたけど、元気そうだ。
だが距離があるとはいえ、誰かに聞かれたらまずい。
「オマエ、気づかないのか」
小声で、とおいが話しかけてくる。
「なにがだよ」
「あいつ、エイリアンのにおいがする」
「え――」
何か、言いかけて、男性の甘い声がした。
「砂季」
後ろから抱きつかれたらしいが、ぼんやりしていたので反応が遅れた。
「……だから、友郷」
浜梨先生、がどうやら戻ってきて俺を見つけたらしい。
もう少しかかると思っていたのに案外早かった。
冬至は、と俺が問うと、彼は、すぐ後ろを指さした。
倒れている。
「寝ているよ。気を失ったらしい」
「そう、ですか」
運んでくるから、と冬至のもとに向かう浜梨を、俺は何となく呼び止めた。
「何」
「あの……」
エイリアンのにおいがするみたいだけど、と、言おうとして、言わなきゃいけないのに、なんだか言葉が詰まって出てこない。
「大丈夫だ、少し、安静にすれば良くなる」
冬至を心配してのことと思ったのか、彼の手が俺をそっと撫でる。
心配ではあるが、そうじゃ、ないんだけれど。まぁ、いいか。
担いで下に降りていく浜梨を眺めながら、小さな声でつぶやいた。
「俺も、消えたく無い、な」
どきどき、鼓動が高鳴る。この動悸が、恐ろしいと、思った。
俺が、此処にいて――
それって、いつまで? そして、どこまで?
めまいがする。足元が揺らいで、おぼつかない。
人に話しかけられるって、自分以外が、心に反応するということだったんだ、と、今更のように、けれどわかっていたみたいに、考える。
声が、温度が、感触が、全部、ぐらぐらと、めまいみたいになる。
覚束ない気持ちになって、吐き気がする。
こんな風に、響いてくる刺激を、浴び続けるのか。
身体の内側に響いて、風が無いのに内側から揺れているみたいで、平衡感覚が変だ。よくわからない、暴れだしたいような衝動が湧いてくる。
けれど暴れたいわけじゃなくて、よくわからなかった。
人間の脳の、恋愛をする部位と、闘争本能の部位はほとんど近い位置にあるという。昔から異性を求めて戦った動物としての本能が残っているためと言われている。
「殴りたい……蹴りたい……なんだ、これ」
ドキドキ、沸騰しそうだ。
何か、力を込めて、思いっきり、殴りつけないと、収まらない気がする。
心が、盗まれたら、もっと、響いて、怖くて、目が回ってしまうだろう。
「冬至……」
2021年12月5日0142
「居るんだろ?」
階段を降りて角を曲がる昇降口の辺りでふと、呟いた。
周りを見渡す。うん。誰も居ない。
ひとつの気配をのぞいては。
「どうせ、面白がって、俺を眺めている。わかっているんだぞ」
「ご名答ー-」
生徒用の下駄箱の陰から、ミャンが出てきた。
「よく、わかったな」
「そりゃ、わかるさ。ずっと一緒だったんだし」
怒っている、というわけでもない、変な気持ちだ。
なにか、言おうと、少し悩んだ。それから、少しきつめに問いただす。
「聞きたいことがある。この生徒から、お前のにおいがした」
「へぇ。それで?」
「お前が、冬至の心を盗ったのか。どうしてだ。俺への復讐なら、俺が許せないなら俺を殴ればいいだろう。昨日みたいに……」
ミャンは、ふわふわと宙に漂ったまま不気味な笑みを浮かべた。
俺を試しているようだった。
「はぁ? なくしてくれって、そいつが頼んだんだよ。だから、楽にしてやったんだ」
「え……」
「そいつの心は、ママになる以外で認められない。
人間的最低限の思考以外は必要じゃない。だから、取り戻せてもまた同じことを繰り返す」
「どういう、ことだよ……」
ミャンは、冷たい目をしていた。誰よりも聡明で、仲間想いの彼が、俺を許さないのもまた、仲間を思うが故だ。
だから、不思議と嫌な気はしない。けれど……
俺の気を引くための犠牲が彼なら、俺はミャンを止めなくてはならない。
「あのなぁー、そういうんじゃないだろ? すぐ、戻せ、直せって、言うだけなら出来る。だけど、心っていうのは、環境がなきゃ存在しちゃいけないものなんだ。その環境が無いって言ってるの。お前には、環境を用意できるのか?
あいつの親は、冬至をママの分身としか見ていない。
生き写しだ生まれ変わりだ親の分身だって、そういう馬鹿げたもので年寄りがいつまでも過去を縛って。恥ずかしくならないのかね」
冬至の両親は離婚している、という噂は聞いたことがある。
だけど、まさか、家でもママの存在しか認めていなかったとは思わなかった。
ママしか呼ばない、ママとして扱う、そうやって行くと、子どもはどんどん、ママになっていく。
けれど、大概が途中で自分とのギャップに支障を来す。
「そうか。冬至が、望んだなら、すまなかった……」
ミャンはくすくすと笑って、外に向かっていく。
「お前には、誰一人、救うことが出来ない。昔から、そうだ。優しいだけ、って一番残酷だよな!」
去り際に、彼は当てつけるように、楽しそうに、そう言い放った。
大人たちはいつも、今を生きる子どもの魂を、とっくに昔死んだ亡霊のために、殺して、壊して、それを、美談だとでも思っている。
俺たちを、ミャンを壊したのも、そうだった。
『実験だ。100年前の宇宙人と同じかどうか。ちょっと試させてもらう』
違うよ。間違いだ。
昔と同じものなんか、なにひとつ存在していない。試すこともできないんだ。
例え条件が似ていても、それは目に見える一部分に過ぎないのだから。
冬至を保健室のベッドに寝かせながら、無性に無力感に見舞われた。
――心っていうのは、環境がなきゃ存在しちゃいけないものなんだ。
その環境が無いって言ってるの。お前には、環境を用意できるのか?
――盗らないでくれー---!!!!!!!!!!!
盗らないで、心を、盗らないでー----!!!!!
わああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
「ごめんな……」
話しかけられて、心を盗もうとされて、怖かっただろう。
「……俺が……終わらせるから、きっと、」
.
2021年12月11日0431
保健室のドアが開く。
入り口に、友郷……砂季が立っていた。
「冬至は……!」
「寝ている。静かに」
砂季は慌てて口を押さえると、やや声量を落とす。
顔色が悪く、ベッドに横たわる冬至を見ながら彼は悲痛な感情をこぼした。
「冬至、俺と居ても無理してるみたいで、見ていられなかった。信用されてないのか」
それは、俺に刺さる言葉だ、と思ったが、ただ苦笑いする。
「どう話したら良いのかわからないことってのは、あるんだよ。他人にはどうにもならない悩みもある」
「どうにもならない、悩み……やっぱりそうなのかな。俺には出来ることが、無い? あいつは何を頑なに守って居るんだろう。先生は聞かなかった?」
「あぁ──」
なにか、言おうとして、砂季が俺の頬に触れた。
「浜梨も、辛そう」
顔に、出ていたのか。そんなに、ひどい表情をしていたなんて。
「……前に、友達から、俺は『優しいだけ』『誰一人救えない』って、言われた。それを、痛感していただけだ」
「俺だってそうだよ」
彼は、安易な慰めではなく、自身の話をした。
「──冬至のこと、なにもわからない。朝練を辞めたのだって、知らなかったし。だけど。最近いつもさっさと帰るのが増えた気がする……でも、気にしないでいた。もしかすると、学校の外で、何か」
そうなんだろ? と詰め寄られてたじろぐ。
「教師には守秘義務が」
砂季は、絶対にあきらめないという目をしていた。
なんだか、ミャンと被る。
放って置いたら、こちらが思いもつかないところに行ってしまうときもあって、だけど、それも退屈しなかった。
「……はぁ……駄目な教師だな、俺は」
ため息を吐く。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
浜梨は、どこか疲弊しているようだった。
本当に落ち込んでいるらしい。
「家庭の事情で、ママの代わりに家事をするので忙しいみたいだ」
「そっか……それは、しょうがないのかな」
納得、しようと思ったが取り乱しようを思いだして、少し違和感を覚える。
ママの代わり、と心を盗む、がどう繋がっているのだろうか。
――盗らないでくれー---!!!!!!!!!!!盗らないで、心を、盗らないでー----!
ママの代わりをすると、心を盗ることになるのか?
ママの代わりをやりたくなかった?
「まるで、成り代わるみたい……」
ママにさせられようとして、心が消えていくかのような叫びだ。
ポケットから出てきたとおいが吠えた。
「クソだな! なにボケっとしてるんだ。あいつから、エイリアンのにおいがしたって言ってるだろ!わんわん!」
そういえば、そんなこと言っていたような。
浜梨の表情を見ると、苦み走った顔になっていた。
「エイリアンが、冬至に寄生しているのか?」
「いや……彼のお父さん」
思わず口を滑らしたとばかりに、ハッとしながら、浜梨は言った。
「……俺が言ったっていうなよ。あいつは、ママになるようだ」
「はぁ!? っていうか、エイリアンのにおいは!?」
「そ、それは……」
珍しく、彼が口ごもる。
「なんだよ」
話しにくいことなんだろうか。彼はさっさと話をつづけた。
思わず勢いに押されてしまう。
「とにかく、今、彼のお父さんが、完璧なママに仕立てようと、冬至の人格を保証していたものを全部否定しているらしい。このままだと、あいつは、そのうち冬至じゃなくなる」
「お、おぉ……」
ママにするため。
言葉だけだと、いまいち想像がつきにくい。
否定されるのは、辛い。そのくらいしか、はっきりわからない。
確か、親が数年前に離婚したって言っていたけれど、つまり、その、ママに見立てる為に、彼を再教育しているということで……
そのうち冬至じゃなくなる。
ママになる。
だから朝会ったときも、他人に接するようだったのか。
あれは、参観日に来た母親のような挨拶。
此処に来る前にしていた会話が脳裏に過った。
「……意識そのものを破壊している可能性がある。
その場合、心療系はあまり意味がないよ。とりあえず、校内に向かおう」
「人間の頭の中には、命令を実行する部分と、命令の結果の経験、感情から生まれる意識が漂っている。でも、要らなくなった意識……人格ともいうかな。
誰からも必要じゃなくなった意識っていうのは破壊される。なくなってしまうんだ」
「身体の中にすっと溶けていって、肉体だけが残ることだよ。
心が無いのに、心を治すことは不可能だ。だから」
いらなくなった人格――
誰からも必要じゃなくなった意識は破壊される。
彼の身体に居たのは、彼の人格のはずだ。
それを追い出してママにすることしか、父親が認めなかった。
ようやく彼に起こっていることが理解出来て、血の気が引くような思いだった。
なんて非人道的なんだろう。
当然のようにそれを強いて生活させるなんて、正気とは思えない。
「家庭の事情には、介入しづらい」
浜梨がそんなことを言うけれど、納得できなかった。
「あいつは、誰になるんだよ! ママって。ママは離婚したんだろ!?
あいつは、ママじゃない。結局は偽物だ……そんなの、あいつが居なくなる、それだけじゃないか、そしたら、あいつは――」
知らない人になってしまう。
怪物が居なくても、殺人で人が死んでいるし、エイリアンが居なくても、殺人で人は死んでいる。
「肉体の命、そのものには、影響がない。現代の法律ではただ、喪失とか錯乱になるくらいだ……『そんな風』には、誰も受け取らない。異常者ってだけだよ」
「そんな……」
うすうすわかっていた。冬至が居なくなると、あいつを作っていたものが無くなる、それは、俺も含まれている。
思わず声が震えた。
もう一つ、気づいてしまったから。
「マスターも……」
彼は、何も言わなかった。悲しそうに、俺を抱きしめた。
「何度も、何度も――失くしてきた俺は、今更、誰かを救えるんだろうか」
優しいだけ。
か。
「ぅわん!」
俺のポケットに居たとおいが吠えた。
「とおいは止めない。辞めちまえばいい」
とおいはあっさりしていた。
「ほれ、やめた? やめるか? 無理なら、やめないと」
「ごめん、ちょっと試した……わかってる、俺がへこんでどうするんだって。一番近くで、生徒のことをわかってあげないとならないのに」
とおいの言葉もいなしながら、彼は苦笑して、顔をあげた。
「止めないでくれて、ありがとな」
12/1711:14ー2021年12月24日23時24分
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