第16話 才能と人格
「まだまだありますから、食べてくださいねー」
台所。
顔を洗って降りてみると、昨日あれから9時くらいに帰宅した母さんが、それなのに6時くらいに起きて朝食の準備をしているので驚いた。客が居る手前というのもあるだろうけれど、起きるのが苦手な俺は素直にすごいと思ってしまう。
「はぁい、いただきます」
横に座った浜梨は普通に丼でご飯をがっついている。
朝からよくそんなに食べるものだ。うちの食費は大丈夫なのか。
いつもなら憎まれ口くらい叩くのに今日は何も言えない。
(先生、刺身に恋しているのかな……)
刺身が好きだ、って言っていた。
最初は食の好みだと聞き流していたけれど、少しだけ不安になる。
好きってどういう意味なんだろう。
刺身を性的に見ているという可能性だってある。
朝起きて、ふと、それを考え出したらうまくまとまらなくなった。
昨日は帰るのが遅かったし、なんか怪我していたし、何があったんだろう。
もしかして、俺が余計なことを言ったから刺身との間になにか……?
「食べないのか?」
「……食べてる」
箸の先で刺身をつまんでご飯に乗せる。
でも、刺身が好きだとして、俺もそれを食べているというのは、やっぱり、ちょっと、どうなのか。いや……刺身を性的に見ていない可能性だってある。
なんで朝からこんなに悩まなくちゃならないんだろう。
はっ。もしかしたら、誰も刺身を性的に見てなんかいない、
刺身のことを好きだと思っているのは、俺自身なんじゃないのか……?
「そういえば、お前の部屋、硬筆コンクールとか作文の賞状が散乱してたけど、すごいな、天才じゃないか。あれ、ちゃんと飾」
「先生」
話題が嫌なほうに向かいそうだったので遮る。
「朝は短いんですから、さっさと食べて学校に行きましょうよ」
自分の茶碗の中身を少し早いペースで食べる。
今日は昨日よりも食欲があった。
おいしい。おかゆもいいけれど、やっぱり炊き立てのご飯が良い。
「お、おお……触れちゃまずい話題だったか?」
「べつに」
どんな賞をとれても、何を作れても、認めてほしい人が認めてくれなきゃ、意味がない。認めてもらえる環境がなきゃ、意味がない。
汚れたら、愛してくれた?
バカで、汚くて、少し抜けてて、欠点だらけなら。
人間味があるって、
父さんに似ていて――
「ごちそうさま」
適当に平らげて、お茶を飲んで台所を出た。
2021年11月19日1939
怒ってしまったのか、友郷砂季は、俺の車には乗らずに先に学校に
向かった。
せっかく送ろうと思っていたのだが、まあ、それならそれで良い。
そう、思おうとしつつ、ちょっとだけ寂しさを感じる。
(あんな顔、初めて見た……)
部屋で、転がる賞状や盾を見たときはすごいことだと思ったのに。
まるで環境、才能という概念自体を嫌悪するような──
そんなものがあってもなんの意味もない、と、悟るような、大人びた、遠くを見る目。
あの目は、覚えがある。
砂季が出ていった道を辿るように運転をしながら、彼の気持ちを確かめたいことで頭がいっぱいになる。
「あー……」
重症だ。良い大人なのに、こんなに一人に、それも一回り離れた歳の生徒に入れ込むなんて。
あれは──大学のときの俺と同じ目。
どれだけ賞をとれても、どれだけ秀でた論文をだしても、友だちが増えるどころか余計に冷たい視線に晒された。誰かの受賞など逐一皆に伝えていた先生も、俺のときだけは何も言わないで、腫れ物を扱うみたいにあわれむだけ。
俺みたいな化け物に居場所はなかった。
才能や環境にはなんの意味もない。
誰かに認められるかどうか。
賞を取りたいという以上に、賞を取る自分を認められたかった。けれど
、それがないなら、才能やそのための環境なんかはなくても同じだ。
周りの冷ややかな目。嘲笑。
おめでとう、は俺にだけは聞こえない。
賞と、環境だけが与えられても、
それは、軍と戦いだけが与えられたみたいに、どこか渇いた、人工じみた状況だ。
大抵の人はみんな、その二つばかり気にして喚く。
環境がどうした、才能がなんだ、そんなの目的のための道具でしかないだろう? 国の名誉とか、そういう為でなければならないのだろうか。
環境があったって、寂しく、虚しいだけだ。寂しさを埋められるのは賞じゃない。
その点にばかり熱くなるみんなが、やけに冷たくなったかのような嫌な感じだったのを覚えている。
人生で一番めでたいはずなのに、
人生で有数の屈辱感と孤独感で、有数の痛い記憶。
放っておけないのもそのためだろう。
あいつも認められたいなにかに、おめでとうと言われなかったのかもしれない。
学校の敷地へと車が走っていく。
左右を確認しつつ駐車場へ前進する俺に、右側、グラウンドの方から誰かが手を振っていた。
11/2610:45
車を停めて、そちらをよく見ると、砂季がどこか不安そうに此方に呼びかけていた。
「どうした?」
「冬至の様子がおかしくて」
おかしくてって、言われても今一つ状況がはっきりしない。
「エイリアンか」
彼は首をかしげる。
「いや、冬至は、冬至だった。少なくとも頭がお花畑になったり、舌が伸びたりはしていない。でも、様子が変だ」
早めに学校についた砂季は、教室にカバンを置くと、図書室に調べ物をするために向かった。以前見かけた恋愛小説の『同じベッドに入り、同じ車に乗ってくると関係を持っていることになる』という壮大な一文を読み返し、感銘を受けていた時に、(だから車に乗らなかったのか)冬至がやってきた。
以前にもそこで会ったことがあるので、べつにそこは疑問に思わなかったようだ。
彼はなんだか元気がなく、陸上の部活をやめていたことや、今も朝練の時間に目が覚めてしまうことを聞いた。
「うーん。俺、此処に来たばかりだから、彼のことはまだよく知らないしな。
でも、何か悩みがあるのかもしれない。でも、それは、元気がないって話だろ。なにがおかしいと感じた?」
「わ、わかんない……ずっと喚きながら、何か、『違う』、とか、『俺は』、とか、ぶつぶつ言ってて、話しかけてもニヤニヤしながら『あら、おはようございます』って敬語で。話しかけた時だけそのモードで。
まだ、俺くらいしか教室に来てないし、他は朝練だし……その、親友だけど、なんか、どうしていいのか……別人みたいに、でも冬至なんだ」
「そうか」
「病院とかに、かけたほうがいいかな?」
「いや……意識そのものを破壊している可能性がある。
その場合、心療系はあまり意味がないよ。とりあえず、校内に向かおう」
俺がやけに冷やかに言うからか、彼は不安を隠すように、俺に嚙みついた。
「意識そのものの破壊ってなんだよ! どうしてそんなに冷静なんだ、意味がないって、だって、心が」
「人間の頭の中には、命令を実行する部分と、命令の結果の経験、感情から生まれる意識が漂っている。でも、要らなくなった意識……人格ともいうかな。
誰からも必要じゃなくなった意識っていうのは破壊される。なくなってしまうんだ」
「なくなる?」
「身体の中にすっと溶けていって、肉体だけが残ることだよ。
心が無いのに、心を治すことは不可能だ。だから」
説得を試みているはずなのに、彼はなんだか苛立っているようだった。
「あいつにだって、心はある、だって、おはようございますって言ってたし、あれは、冬至だった。絶対そうだ、なんでそんな冷たいこと」
グラウンドの奥から、運動部の朝練の声が響いてくる。
いつもの朝。変わらない風景。
しかし、少し肌寒い。外に出て、今更寒さに気が向いてしまうのは、俺も、本心では恐れているからかもしれない。
なんで、そんな、冷たいこと。
声が震えないように深呼吸して、そっと答えた。
「肉体を乗っ取られたマスターが、親友が死ぬ前の状態もそうだったからだよ。
多重人格だって、統合することが出来るんだ。
普段の人格だって、否定し続ければ、消すことが出来る。
意識はみんなが思う以上に不安定なものなんだ。
だから、病院に行っても心は増えない。」
砂季は、はっとしたようになり、少し寂しそうに、そうだったんだ、と呟く。
「誰からも必要じゃなくなった……冬至もそう、だったのかな」
「まだ、わからない」
気休めで、そう言っておいた。
――マスターは、俺に、いらっしゃいませと言った。
ここらで見ないお客さんだと言う。
宇宙人は信じているか、俺は昔宇宙人の血をもつ人たちと暮らしていて、同じような仲間と施設で暮らしたんだと語った。
敵のエイリアンを倒すのが楽しくて仕方がなく、他の仲間もみんなそうであったと、熱く語った。
「だからこそ」あの血のために、熱いコーヒーを作っているのかもしれない。
自分を分析するように語った。
「……ミャン」
不安になるとき、いつも、俺を止めてくれた。今も、ずっと、想っている。
やっぱり、ミャンやマスターとのことを、忘れることが出来ない。
「なんですか? 猫?」
廊下を歩きながら現実逃避していると、砂季が不思議そうに聞いてきた。
「あぁ、いや……違う」
.
だったら行きましょう、と彼は先に歩いていく
。
「そう、だな……」
それもその通りなので、彼に続いて中に向かおうとして、砂季がこちらに振り向いた。
「その前に。聞いときたいことがあるんですけど」
「どうした?」
「先生、刺身のこと、どう思ってるんですか」
「え……」
砂季は、困ったように眉を寄せて俯いた。
「刺身のことが、好きって、どういう意味の好きだったんだろうって、昨日の夜急に……考えてしまって」
何を言い出すかと思えば、と少しだけ安堵した。砂季にまで更になにかあったんじゃないかと身構えてしまったが、ただ単に刺身のことをどう思っているかを気にしていたらしい。
「率直に聞きます……刺身のこと、性的に見ているんですか?」
俺は砂季の手を握った。抱き締めたかったが、学校の、それも外で、なにかあったら言い訳出来ない。
「刺身のことは、好きだけど、性的には見ていないよ」
砂季は少し安心したように微笑んで、すぐに真顔に戻った。一瞬だったが、ちょっとうれしい。
2021年11月27日0029─11/3019:4
「なるほどな、つまり砂季は、俺が刺身と付き合うとか、刺身に気持ちが向いていると思ったのか?」
「別に……好きって、言うから。そういう意味かと、思っただけ」
彼は、ちょっと気まずそうに目をそらす。
まあ、確かに好き、と言ったら、それを喜んだら、普通はそう考えるよな……食べものの好みとは思いながらも、やっぱり最終的に不安に陥ったのだろう。
愛されていると思うと悪い気はしない。
「そっか。でも俺は人間が好きだから。心配しないでいいぞ♪」
せめて腕を組んでだる絡みしようと近づくが、ぐいぐいと突っぱねるように腕で反抗される。
「うーざーいー。あと、学校では、友郷って呼んでください先・生!」
教職員と生徒の昇降口は、左右で反対側にあるので、俺と砂季は一旦分かれてそれぞれの昇降口に向かったあと、階段を上がる途中の廊下で鉢合わせた。辺りは部活の朝練の音くらいしかしておらず、確かに静かだ。
まずは先に職員室に行って荷物を置いたりしてこようと「どっかで待っててくれ」と言って職員室に向かった。
────
誰かの愛情はいつも、話しかけられる度に、
自分が何処に行くのか、消えてしまうかもしれない、今まさに殺されるかもしれない、と考えさせられ呼吸が止まりそうなくらいに恐ろしい。居なくなるのが、怖い。
心が支配される、なんて完全に麻薬。
暴力だ。
俺たちはまだ子どもで──その感性が、自我や肉体が発達して当然になるものなら、まだまだ当分発達するための時間くらい欲しいものだ。
「だよ、なぁ? 冬至」
何があったかはわからないけれど……
まだまだ不安定な心が、何かによって、破壊されたというなら、他人事とは思えなかった。
心を盗む、
奪う、
壊す。
そして殺す。
自分もまた、他人からそう見えて居るのだろうか。誰かを──壊すのだろうか。
刺身は、先生の恋愛対象じゃなかった。
それだけのことで安堵してしまう。
それだけのことを、壊してしまいたい。
「冬至……」
意識は、俺たちが考えている以上に不安定なもの。誰かに認められて、誰かに呼ばれて、少しずつ形成されていく。
教室に入っても良いのかわからず、適当に廊下を歩いたあと、少しして先生と一緒に上に向かった。
11/3019:42
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