第15話 木村



「現在の法律では、身体さえ残っていれば、罪に問うことは出来ないんだ」

「何度も言いますが、身体さえ残っていれば……例え、中身が変わってしまったとしても、それはその人物を保証されているのであり、正しいことなんです」

「身体が人間な以上は、人間として扱うべきでしょう」

「身体さえ残っていれば、あとはお父さんは何の責任も取らなくていい、静かに、ね? 中身は、気がふれたといえば、ばれないから」




 小さい頃からずっと、そういうことを言われ続けてきた。

現在の法律では身体が残っていれば殺人にならない。

人、とは何なのだろうか。

人格、心、思い出、それは、人ではないのだろうか。

 うちはずっと、中身がなにかもわからないもののなかで怯えて生きていくしかなかった。

 脳が、感情が、人格が、罪を犯すのであれば、それは本当に肉体だけで議論されて良いものなのか? それを、平等だと言っても許されるのか?

身体が残っていれば、本当にそれは人間と呼んでもいいのだろうか?

身体が残っていれば人格を得られるとするなら、あらゆる生物の中身を人間に植え込めば無法地帯だ。心の問題だと言えば、モンスターを作り出せるじゃないか。

誰も、この問いの答えを俺には教えなかった。

 脳死の本、認知科学、あらゆる本を読み漁った。

肉体だけ生きてれば良いなんて、そんなことをどうしても思えない。


牢屋の向こうにいった『奴』対しての周囲もそうだった。

『何』を、大事にしているのか。肉体そのものに、意思のない人形の役目をさせるだけなのか。で、それで、何が分かった?

 ただ、死んだだけじゃないか。

あの時のことだって自供すらしないで。

 加害者の心神喪失が認められ無罪になるのに、被害者が『居なくなった』ところでそう易々と加害者が死刑にはならない。


 暗い部屋。柵の向こうの、人の皮を被った化け物を見ながら、俺は今そこに『いない』マスターの名前を呟く。


あいつを、返せ――



マスターが『死んだ』日。

マスターは、見知らぬ老人の眼つきになっていて、

「やぁ、青年、コーヒーは飲むか?」と知らない声で言った。

心が壊れる、なら、まだそこにマスターは居る。

けれど、もう、居なかった。


ミャンが俺を抱きしめて、悔しそうに呟いた。



「ボクたちは、抜け殻の中で生きていくしかないんだ」







「おはよう……」

変な夢を見て目が覚めた。身体がだるいけれど、すぐ横で眠っているぬくもりを思い出して少しだけ和む。

 あのあと、そーっと起きて、眠っている砂季の横で夕飯を食べて、二人分の食器を片付けて、そして改めて寝た。

此処に来るときはいつも空いている砂季の隣の部屋を使わせて貰っているが、今日は普通にこっちで寝てしまった。少し、しまったな、と思ったけれど、思ったよりも熟睡してしまったので悪い気はしない。

「砂季、って寝ているか」

「俺が……サーモンに、なれば……」

謎の寝言とともに、むにゃむにゃと寝息を立てている。

お前、サーモンになったら物理的に食われるけど、良いのか。 

 眠っている彼の頭を優しく撫でる。

「サーモンにならなくても、充分に可愛いぞ」

「……」

「っていうか、そんなに簡単にサーモンになったら、サーモンの中でしか生きられないんだ。もっと自分を大事にしろ」

……返事はない。

 寝ている。まぁいいや、と起き上がりひとまず壁掛け時計を確認した。

朝の5時。さて布団から抜け出そうとして、服を掴まれていることに気が付く。


――好きに、なったら、『俺』は、どこに行っちゃうの?


 


好きにならなくていい、和解もしなくていい。

自分を守ってやれ。


「体調が悪いならやめとくぅー? 体調が悪いならやめとくぅー?」



部屋に大音量で女の声が響き渡った。

ビクーっ! となりながら砂季が起きる。

 携帯のアラームだったらしい。それが震えながら机の上から盛大に騒いでいる。なんちゅうアラームだ。


「せん、せ……」


机に近寄ると、彼は寝ぼけながらアラームを解除し、俺に抱きついてきた。


「そのアラーム、なんなの」


「んー。母さんの、声。うっかり録音した奴設定してたみたい……」


「どんなうっかりだよ」


 どうやら寝ぼけて、アラームを止めるはずがレコーダーを開いたことがあって、そのときにアラームが止まった代わりに録音してあったらしい。

「俺、母さんに一言も体調が悪いなんて言っていないのに。なんか、昨日の今日で、変な感じ」


ぼーっと、寝ぼけながら彼は言う。


「おはようございます」.

「あぁ……おはよう」

ひとまず離れて貰おうと変な汗をかく俺を知ってか知らずか、砂季はさらにしがみついてくる。

「えっと、着替えたいんだけど」

「寒い」

寒いのがだめだとそういえば言っていた気がする。

「……寒いよ」

「そうだな、今朝はちょっと気温が低いかもしれない」

とりあえず適当に相槌を打って冷静さを保つが、内心はひやひやだ。

 ひやひやといえば、凭れてきている彼の、その指先もだった。


「俺──彼奴に好きになってなんて言ってない。それまで、背負わなくて、いいんだよね」

まるで、夢じゃないかと確かめるかのように砂季は呟く。


「そうだ、お前が悪いんじゃない。それが理由で言い寄られても、誰だって予想がつかなかったさ。


 勝手に好きになって、勝手に迷惑をかけたから勝手に和解してくれと、家にしばらく訪れるようになったら誰だっていい気がしない。一方的過ぎるよな。お前からしたら和解もなにも理不尽だと思う。そもそもそんなに深い仲ですら無いんだろ? 仲直りみたいな雰囲気出されても厚かましいよな」

適当に、そんなことを言う。

俺も冷たい大人なのかもしれない。ミャンの顔を思い出して、自嘲気味に苦笑いする。

腰に回される腕に力がこもる。

「……人として、悪いこと、したのかなって」

「いきなり私情を混ぜてくるやつがいけないんだ。自分を省みないからそういうことになる」

よく、わからない、というような、まっすぐな目が俺を見つめる。

俺も結構私情を挟んでるじゃないか、とは思うんだけども、彼は指摘しなかった。

ちょっとだけ、思い出した。

昔同僚に居た嫌いな女。

ちょっと厚かましくて、自分にやたら自信があって、人の席に勝手に座って────



「お前の立場なら、俺だって頭に来る。放っておけよ、それより離──」

「熱、下がったけど、寒い……」

「わかった、だから」

なにか言おうとしたが、あきらめて抱きしめる。こんなところ、お母さんたちに見つかるわけにはいかないが、たぶん大丈夫だろう。

「暖かいか?」

「うん……」


ずっとなにか呟いている彼の背を撫でながら、俺は昨日のミャンを思い出す。抱きしめたときに傷が擦れて、ちょっと痛い。


「事件の話をしているのに、いきなり、好きだ、って、言われたら事件なんかどうでもいいみたい……それって、俺なのかな? 事件はどうでもいいのに、俺が……わからない、ただ、普通に過ごしてきたのに、なにが悪かったんだろう」

 自分を好きになって欲しいということが「人として」なんてそこまで強い言葉を使わなくてはならない程のことだろうか。

言いふらされると言っていた真意はわからないけれど、雰囲気からするとただでさえ無関係な私情を更にギャラリーを集めてまで挟んだということらしかった。

「予想がつかなくて、迷惑だったよな、運が悪かったんだ、仕方がない」

「そう、だな。あ──、どうしたの?」

ふと、彼が俺が痛そうにしたのを感じ取る。

「ちょっと転んだだけ」

ふうん、と彼は俺から離れる。近くの棚(本棚なのに、ほとんど本が入っていない)を漁って救急箱を出すと、そこから絆創膏や包帯をとりだす。

「見せて」

「平気だって」

なんでか、わからないけど、ここで見せたくなかった。

別に大したことじゃないのに、ミャンの顔がちらついて切なくなる。

何回か拒否すると、彼はあきらめたらしい。


「……じゃあ、俺、顔を洗ってくる」


絆創膏や消毒を近くに置くと、他を棚に戻して部屋を出て行った。





2021年11月12日2334─11/141:24─11/1514:24













 部屋で着替えを済ませていると、ふいに、ドアがノックされた。

砂季かと思って「はい」と返事をする。

しかし出てきたのは姉のほうだった。

「あっ。どうも……」

 なぜ、俺が砂季の部屋にいるのか、とか突っ込まれたらどうしようかとひやひやしていると、彼女はにやにや笑って言う。

肌が不健康に白く、目がどこかぎらついていた。

「溺愛ですよねぇ? 私好きなんですよ、溺愛~」

「は?」

 何か、を答える間もなく、彼女は俺が借りていた隣の部屋、に向かっていく。しばらく呆然と、彼女が何を見て溺愛なんて言葉を使うのか頭を抱えていると、またドアが開いた。

「じゃあ、砂季のこと、お願いしますね。溺愛~」

ドタバタと足音をさせながら彼女は外に出ていく。


 溺、愛? 

どっちかっていうと、看病とか、補助に近いような気がする。

 現代において、性暴力とは別に、恋暴力は、今社会問題になりつつあった。

自我を認められていない、誰にも褒められたことがないなどで、

自分が居るのかわからない、という人間の急増に基づいている。

そこに漬け込んで、既に自己が認められているにも拘らず、弱者に一方的に付きまとい、自分を理解してもらおうとする人間が暴力を振るうという具合だ、


好意、好意、と自我がある側が押し付けるのは、

暴力の一種と言っていいだろう。

言いふらしたり、全国放送するようなことはあってはならない。


「……あ、先生」


ドアが開く。砂季が無表情で立っていた。


「さっき姉が来ませんでした?」


「あ、あぁ……彼女は、えっと……」


「気にしないでください。姉は、いじめられてるから逃げているんです。

だから学校に自分の意志で行かずに、毎日、人と会ってるんだって」


「そうか、自分の意志で行っていないなら、いうことはないな」


砂季は目を丸くした。

「なんだ?」


「いや、変わっているなと思って、いじめってワードにだけ過剰に反応して聞いてないこと語ってくる先生とか居るのに」


 確かに、そういう教師もいる。

けれど人には事情がある。

 いじめられたというだけで特別扱いはしないし、いじめているからと特別扱いもしない。いじめから逃げるために学校に行かないと自分で決めているなら、無理に学校に行かせるようすすめても意味がないだろうし、時には逃げることだって必要だ。





「あっ、そうだ、母さんが、昨日の刺身出してるって」


砂季はあわただしくそういうと、再び下に降りて行った。

昨日、他人を好きになると自分はどこに行ってしまうのかと怯えていたから、少しでも元気そうで良かった、と思いながら、俺も後に続く。


 『自分が居なくならない』から、櫻を見ていたんだと考えると得心が行く。

恋愛は基本的に心を盗む、奪う犯罪行為。

 そして砂季は、生まれてずっと身内により意図しない形で盗まれ続けていた。

 その根本になる心すら未発達な状態で、盗まれたら自我が崩壊しかなり恐ろしいことになるのかもしれない。


(溺愛、ね……)


溺れたら死んでしまう。

けれどきっと、理解できないもの程、過剰に見えてしまうのが人間なんだろう。




2021年11月19日1641



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