第14話 冬至







 授業が終わり、砂季たちから別れてやっと帰宅。

少しゆっくり復習しようかと部屋に戻ろうとしていた。

けれどリビングで待っていたパパに呼び止められた。今日は運が悪い。

「おかえり、冬至」

ぎらついた目が、僕をみる。

見つかった、と感じた。

「た、だいま」

 目をそらす。

冷や汗が背筋を伝う。

 僕のパパは、おかしくなってしまった。ある日、理由はわからないけれど優秀だったママがパパを突き放してからだ。嫌気が差したと家に戻って来なくなったママの寂しさを埋めるように、パパはいつも、僕にママの服やママのエプロンを渡してくる。

「もうやめようよ。そんなことしたって、僕は僕だ! 僕は冬至だよ!」


「ああ、冬至。怒ったところまで、ママにそっくりだなぁ~」


懸命な訴えもむなしく、にやにやと遠い目をする。パパ。

パパは壊れた。僕をママにする気だ。声が、震えて、うまく出ない。

「パパ……パパは、僕が嫌いなの? ママになったら僕はどこに行っちゃうの?」


こわい。

自分がいなくなるのがこわい。

「僕を! 僕を、見てください、パパ……」


誰かから、聞いたことがある。

人間は、魂が内側と外側にあって、からだが死ななくても、内側から、いなくなっちゃうんだって。

僕がママを、ママになることを受け入れたら、 僕がママになってしまったら、僕は居なくなる。

 けれど、パパを嫌えない。優しかったパパが戻って来るんじゃないか、そんな幻想を抱いてしまう。

「早く、ご飯の支度をしておくれ、ママ」


パパは、にこにこと笑いながら、ママのお気に入りだったエプロンを平然と僕に押し付ける。

「嫌だ! ここにママはいない!

僕はママじゃない!」


パパが僕を必要としない。

ママになることを必要とするだけ。


「小さい頃、僕の誕生日、祝ってくれた、あれも嘘だったの?」


パパを説得したかった。

僕が、パパから消えていく。

僕が、僕から消えていく。


「あぁ……楽しみだなぁ。ママは、なんでも、得意だったよなぁ~

今日の夕飯は、なにかなぁ?」


 ソファに腰かけたパパは、まるで動じない。

はやくはやく、と僕をせかした。

眼鏡の奥、曇った目は、今日もどこかわからない遠くを見ている。

 子どもは神様の祝福だ、有難い贈り物だと言っていたパパはもう居ない。僕がママになったら、その祝福も消えてなくなる。


「パパ……」

こんなことをしてもパパは駄目になっていくとわかっている。

けれど、どのみち食事はしなくてはならないから、エプロンを手に取った。

「あぁ~! ママ! ママ、帰って来たんだね?」

 僕が料理をしにいくのを見て、キッチンのすぐ後ろのリビングから、パパの歓声が上がる。


──もし、僕が居なくなったら、パパは幸せ?

 近くの箱から取り出した玉葱をまな板に乗せながら、ふとそんなことを考えてみた。僕が僕という存在で居てもパパは僕を見てはくれない。

だったらいっそ、ママになってしまうのはどうだろう?

「……」

脳裏に砂季たちと遊んだ日々が浮かぶ。今日の放課後も、またな、って別れた。

──これは『僕』の思い出。

『僕が居なくなったら』必要がなくなる。学校に通うのには少々不便になるかもしれない。でもどうせ卒業したら会わない、三年間の仲だ。

 最初は痛いかもしれないがきっとすぐに慣れる。みんなのことは全部忘れて勉強に打ち込めばいい。僕がママになったら、パパが居てくれるかも。

僕を褒めて、認めてくれるかも。

「もうちょっと、待っててね、パパ」

掠れた声で、ママのように呼び掛ける。

パパはうきうきしながら、「はーい」と返事をする。『その声』のなかに、僕はどこにも居なかった。

「……」

目の奥が熱い。痛い。玉葱が染みる。全部玉葱が悪い。



 夕飯はナポリタンを作った。まあまあの出来だと思う。隠し味の牛乳もいい感じに馴染んだ。

リビングにパパを呼びに行く。

僕を求めていないパパを呼びに行くのは、

ママ。僕ではなく、ママ。



「ママは、こんなもの好きじゃなかったよ」

ガサッと、何かの音がして、血の気が引いた。

「──なにしてるの、パパ!」

パパはいつの間にか僕の部屋に入っていたらしく、手にしているのは、小さいときママに買ってもらったロボットの形のフィギュアだった。

リビングで、ごみぶくろに詰めている。

「ママは、こういうの、趣味じゃないからな」

「パパは、僕が要らないんですか」

「おぉ! 今日も、よく出来てるじゃないか!」

僕を素通りしたパパ。ごみぶくろを手にしたまま、キッチンに向かっていき歓声を上げる。


パパは戻って来ない。

ママは器用で、苦手なのは運動くらいだった。

ほとんどなんでも出来る人。

でも、僕は、本当はそんなことない。

 パパに似て絶望的に手先が不器用だったから、ナポリタンだって他の料理だって、パパが残業で居ないときに、こっそりとおこづかいで買ってきた食材で何回も作って練習している。

 なにか出来るようになるたびに僕はママになっていって、居なくなるような気がした。

「さぁ食べようじゃないか!」

パパがとても良い笑顔で食卓につく。

「ほらほら、ママも座って!」

リビングに立ち尽くしたまま動けない僕を、パパが呼ぶ。「僕を──呼んでよ……」

声にならない声を堪えてキッチンに歩く。

 僕が僕であることを否定するために、

ママへと矯正するためにどれだけ努力しているか、パパは知らない。

本当に認めて欲しいのは、僕自身だ。

でも、ここには、ママしか必要ない。

 視界がぼやけて、顔が熱くなる。

口に運んだナポリタンがうまく啜れない。

何度も、何度も、麺が皿に戻っていく。

食べないと……ちゃんと食べないとと焦るけど、なかなか食べられない。パパはなにも気にすることなく陽気に食事をしていた。

(パパが、僕を訝しむ前に食べないと)


目の前が、真っ暗になる。

がしゃん、とフォークが床に叩きつけられる。

傷だらけの指に、汗が染みて痛む。

テーブルから落ちた皿が割れ、中身が飛び散る。

「あ……ごめんなさい……」

パパがこちらを向いた。

少しだけ期待した。もしかしたら、僕を見て、僕に気付いてくれるかも──



「ママったら、本当にドジなんだから」





気が付いたら、家を飛び出していた。

僕が居ない。

僕があの部屋に居ない。

僕が、僕が居ない。




「いっそ、全部忘れて、ママになっちゃえば?」


目の前に、見知らぬ男性が立っていた。

制服風のブレザーを着ている。

「な──なにを」


見てきたようなことを言われて開いた口が塞がらない。


「あーあ、可哀想に。そんなに指けがして、おこづかいも使っちゃって、身を削ってママになっても、パパは平気な顔してさ、君って本当に可哀想に」

「……お前、なんだよ、見てきたようなこと」

「ああ、見てたよ」

彼、はニッコリと笑った。

「ママみたいに愛嬌もないし、変なエプロンも着たくなかったし、料理も得意じゃなくて、

 本当は外でもっと運動だってしたいのに、部活をやめて──君は、どれだけマゾなのかな」


 知らないやつに、なんで見られてるんだ。

なんで、わかったようなことを言われてるんだ。普通ならそう言えたのに、僕は追い詰められていた。なによりも──図星だった。

グラウンドを走りたい。

料理だって難しくていつも半泣きになってる。

頑張ったよ、って報告にいっても、パパは『さすがはママだな』しか言わない。


僕が僕でいるのは、辛かった。

叫びだしたい。


「パパが、僕を要らないなら、僕、ママになりたい」

いっそ記憶を全部消して、ママになったらパパは喜ぶかもしれない。

「──出来るよ。『君』を代償に失うことになるけれど」

彼は、愉快そうに笑いながら僕を見る。

真っ赤に光る瞳が僕を映す。

眩しい…………


(2021/11/520:33─11/614:11)

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