第13話 南鳩


「うぅ……」

気持ちが悪い……気持ちが悪い……

布団にくるまって震えが収まるのを待つ。

初めてのことで、疲れてしまったからか、熱が出た。先生はよく頑張ったと褒めてくれたけれど、 それすらまともに喜ぶ余裕が今はない。

予期しない話し掛けられ方、予期しない動作の要求。全部、初めてで目が回る。


こわい……


叫びだして、壁に頭を打ち付けて、手当たり次第に物を投げ散らかして、ずっと発狂したら、落ち着くんだろうか。冷や汗で指先が湿っている。寒い。頭は熱い。吐き気がする。

こんなの本にはなかった。本には結果しかない。あとはわかりきった結末をただ実況するだけ。だから知らなかった。

「せんせえ……」

 ぼんやりした頭で、よくわからない恐怖と戦う。本当は、キラキラなんかしていなくて、恋っていうのは、こんなに負担がかかるものだったなんて知らなかった。


「うわああああああああっ! わああああああっ!」

怖い。生憎体が怠くて実際に暴れ回ることは出来なかったけれど、沸き上がってくる恐怖はどうしようもなくて、体を引っ掻いた。

「ああああああああっ! うわああああああああっ!」

怖い……また意識がふっと消えてしまいそうになる。

「とおい……」

手だけ動かして、近くに転がるとおいを探す。

「クソだな!」

少し布団の周りを探していると手になにかをつかんだ感覚があり、とおいをゲットしていた。

「なに、恋ごときで寝込んでいるんだ! 本当にクソだな!」

手で掴んでいるとおいが不満げにバタバタしている。

「気持ちが悪いんだから、しょうがないだろ。刺身だって買おうと思ったこと今までなかったんだから」

「地球人って本当にクソだな! 軟弱すぎる!」

「南鳩……」

「え?」

────おい、俺と和解しろ!


「うぅ……」

──俺は、お前が好きなんだ!

なぜ和解しない!

「うぅ……う」

心が重たい。苦しい。


──和解しろ!

勘違いなんだから和解しろよ!

好かれても出来ないのか?


「うううう……」

頭のなかに、奴の声がする。

わからない、意味わからない。気持ちが悪い。わからない。怖い。怖い。


──昔の、ことを思い出した。

『彼』のこと。

ある事件があった後日、彼は俺を勝手に好きになっていた。

 勝手に迷惑をかけたから勝手に和解してくれと、家にしばらく訪れるようになった。

 勝手な話だった。

俺は、好きになってくれなんて言わなかった。なのに、この予想出来ない要求を挟んできている理不尽な態度。その上和解しろとか……妄想に付き合わせるのもいい加減にしてほしい。

 和解、に仲良くしようは含まれていない。要求されたことすらなかったことまで俺に押し付けることのどこが和解なのか。

 お前の気持ちまで考慮して和解、そして今まで築いてすらいない関係を築けなんて勝手過ぎる。

だって、そもそも俺は、馴れ合うつもりはなく、他人から距離を置くために────


『お前と居ると俺が尊敬の目で見られるんだ!』



「おーい……」

浜梨がドアの向こうから声をかけてきた。

「両手が塞がってて、ノブが回せないんだ」


 俺はベッドから降りると彼の方に近づいて行く。ドアを開けると先生がトレイを持って立っていた。刺身の乗ったおかゆと、鶏肉入りのスープがある。

「ちゃんと寝てなかったのか」

ドアを開けさせておきながらそんなことを言う。

「怖くて寝付けない」


めくっていたパジャマから見える袖をさっと隠す。ちら見したときに無数の傷が出来てしまっていた。

「先生は、怖くならないの?」

「俺は、大人だからな♪」


すごい……恋が、怖くならないなんてことがあるのか。


「どうせ、俺は子どもだ」


今も、足が震えてる。声だって、うまく出せていない。

 先生が歩いてきて、目の前の机にトレイを置いた。ベッドに机はついてないのでそちらに歩く。

「先生もこっちで食べていい?」

「……良いけど」

また熱が出てきたのか、ちょっとぼーっとしながら、置いてあるスプーンを手に取る。

「……おいしい」

おいしい。ちょっと熱いが、体に染みていくような不思議な味だ。


「良かった。じゃあ、行ってくる」


浜梨が下に降りていく。





台所に向かいながら、友郷砂季のことを考える。なんだかにやけてしまう。

 クラスだとよく、澄ましているように見られているけれど、いっぱい考えてなにかするのに何度も悩んで、それでやっとすごしているのがわかって少しミャンに似ているなと微笑ましくなった。


「あいつも真面目だったからなぁ」

だから、ちょっとした質問やちょっとした好意でも、予期しないものにすごく苦しむ。

 その苦しみは相当なもののようで、ミャンもまたしばらく口をきかなくなったりなにか投げ付けたりしていたものだったけれど、本人も自分を責めてしまうから、あくまで明るく接していた。

なんだか、情けないことばかりだ。

「恋のストレスから自殺する人も居るってのはあまり知られていないんだ」なんてミャンが言っていたのを聞き流していた自分を思い出す。あれは、それこそ、女の子たちにチョコレートをもらったときだったか。

ミャンはしばらく学校に行かなくなった。

理由を聞いても、ぼーっとしながら空を眺めていた。

『なんだか、今日は行く気がしないんだ』そう言うと、ちょっと困ったように笑った。



「せんせえ……」

自分のスープをよそっていると、ふらふら、歩いてきた砂季が、俺に軽く体当たりする。

「寝てろよ、病み上がりなんだから」


「……だって、幻聴が、わーわーうるさくて、寝付けない……好きになれ、和解しろ、わからないことばかり言う」


砂季を抱き締める。震えていた。


「好きにならなくていい、和解もしなくていい、だから、体調を整えろ」

「好きに、なったら、『俺』は、どこに行っちゃうの? 消えたく、ない……消えたく、ないよ。俺に、他人が入って……怖いー!怖いー!」

「よしよし……」

櫻のときと、違う反応だ。途中でマスターに標的が変わったから苦しまずに済んだのかもしれないけれど。とりあえず撫でていたら、バタン、とすごい音を立てて床に倒れた。



「……ひとまずこいつを置いてくるか」



抱えて部屋に戻り、ベッドに彼を置く。

 綺麗な寝顔を晒している。

疚しくない、疚しくない……と心のなかで唱えながら布団をかけて、そしてまた台所に降りていく。

 ミャンのことを思い出した。マスターのことも思い出した。

「お前も、こんな気持ちだったのかな」

 確かにからかってはいたが、彼を塗り替えようだとか支配しようとは思っていない。居なくなってしまうことをするつもりはなく、本当にただ、安らいで欲しかった。

(説得力、ない、か)


「うーん……かといって、変に固くなるのも嫌だし」

説得力ない、と笑っていたマスターの顔を今でも思い出す。



『みんな必死に生きている。そのなかにエイリアンに怯えて生きているやつもいる。

『自分』を奪われたら、生きていけないから、みんな必死に守っている。嫌悪も好意もそれを脅かす意味では同じだよ、裕』


「…………仕事するか」


寝てしまったなら、たまっている仕事をここで片付けるのも良いかもしれない。せっかく

自分の分の食事も用意したけど、会話が出来ないし、休ませてやりたい。

 「…………でもなあ」

一人、台所で食べるのもなんだか虚しいし、寝顔を見ながら食べたい。よし、決まった。

トレイを抱えて、階段を上った。

2021/11/710:49











 起こさないよう、今度は一旦トレイを置いてからドアを開けたのだが

「先生も一緒に寝よう?」

と部屋に入るなり声がかかった。

椅子に座り、空の食器を目の前の机に起きながら手招きする。あれだけ送り狼とかって、言ってたやつがどういう風の吹きまわしなのだろう。

と思ったが、彼がなんだかぼんやりしているので言葉にならなかった。


 恋、ひとつで人間は此処まで弱くなる。そういう虚ろな目だ。

「砂季……」

もしかしたらグミの副作用も重なっているのか? とも少し考えていたが、見るかぎりではそうでは無さそうな気がする。

「──他人が入って良いのか?」

「ううん。声と違って、心は、

他人が居ることがわかる……俺じゃないってことがわかる」

よく、わからない。

文学的というのだろうか。


「眠るまでで良いから……」

掠れた声が懇願する。

「わかった」

俺は、頷き、先にベッドに入った。一人用のベッドだから、二人はちょっと狭い。

 好きになれ、和解しろ、という声に魘されていたというから、好きにならなくていいと言った俺を思い出して安心しているのかもしれない。「ミナポンたちが人間に危害を加えなくなるような規定が、早く生まれると良いんだけど……」

 人間が誰かを好きになるのも、なにかを嫌になるのも、自分があるから。『自己の存在を認めてもらっている環境があるから』。

 その恵まれた環境下でやっと他人を選ぶかどうかを決める心理が働くのだ。


だけど、宇宙開発が進むにつれてなりすましが多発するようになった結果、自己の存在さえ認めて貰えない人間の数が増加した。

 和解しろという誰かはきっと彼を認めてはくれないだろう。


 寝間着に着替えて歩いてきた砂季がベッドに入って来る。

「──おやすみ」

ちょっと困ったように笑って、

布団に隠れるように潜り込んだ。

 2021/11/817:50

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