第12話 ミャン


「待てよ!」

俺は思わず浜梨を押し退けた。

「何をしようとしてる」

「キス。恋人なら当然だろ」


だれもいないし、と言われる。

けれど、俺は居る。

「なんで、口を、近付けるんだよ! 恋人になんで、当然なんだよ、そんなの、聞いたことがない!」

「あー。歴史が知りたいのか」

浜梨は困ったように後頭部に手を当てて答えた。

「これはな、元々は、近東から古代ローマに伝わった儀式なんだ。

日本でも口吸いと呼ばれていた昔からの伝統だぞ。日本紀略や土佐日記に書いてある!」

「へぇ……」

そんなに昔からあるのか。

「生物学的には、猿が子供餌を口移しで与えるしぐさからのものという見方もあるから、本能かもしれんな」

本能……そう聞くと、ちょっとドキドキするような気もしないでもない。

「で、でも、男同士ってのは」

「ロシアやフィンランドの一部では同性だろうと挨拶でするらしい」

挨拶!? じゃあ恋人関係ないじゃん!余計ややこしいことを言われた。

 どうしていいかわからず、ただただ近い距離に目が回りそうになる。

なんだか泣きたくなってきて、堪えようと彼から目をそらした。

先生はなにも言わない。

俺を待っているみたいにじっと見詰めている。


恋人を、喜ばせる。

俺が、何をしたらいいか、の答えの要求。わかっているのに、わかっていなかった。


怖い!!


思わず突き放す。

「……迷惑だよな、俺ガキだから」

うわごとのように、言葉が、溢れていた。

惨めだ。悲しい。心が痛い。

「ご、ごめんなさい……」

呆れられた。嫌われる。

 恋人っていう文化もろくわからないで……勝手に空回りして……

先生がせっかくこんな俺に応えようとしてくれるのに……

「わけがわからなくて、怖くて……」

肩が震える。泣きたくないのに勝手に涙が溢れてくる。

先生は大人だ。俺とは違う。

顔を見るのが怖い……。

 浜梨はそっと俺の肩に手を置いた。砂季、と優しい声が呼ぶ。

「それが、そうでもないよ。1950年代にはまだキスは日本に馴染みがなかった。挨拶としても定着していない」

「え……」

「昔の口吸いは性行為の話だ。

公なものじゃない。手塚治虫が初めてキスシーンを漫画で描いたときは抗議が殺到したらしいからな。

 最近の時代になってきて表現が緩和されたんだ。今時の子だから知っていると思っていた。俺の方こそ悪かった」

そっか……

「し、知らなくても、怖くても変じゃない?」

あわあわ、と狼狽える俺を見て彼は楽しそうに笑っていた。

「まだ高校生だろ、知らないことが沢山あって当然だ」


『恋人を馬鹿にしているのは無知なお前自身じゃないのか?』そう言って冷たい目を向けられると思っていた。けれど珍しいことじゃない、時代が違えば誰だって抗議があったり叩かれていたかもしれないことなんだ、俺がおかしいわけじゃないと知って、急に安心した。

「なんか、ホッとしました。話して良かった」


「ははっ。まだ子どもなんだから、急いで強がらなくて良いんだぞ」


 浜梨は、まるで教師みたいなことを言う。それが嬉しかった。

でも、喜ばせることが出来なかった。

「先生は、お刺身を食べなくても俺を好きでいてくれますか」

「そりゃそうだよ」


肩の力が抜けて座り込む。

「そっか……」

緊張が一気に解れた気がした。

「あはは、恋って、やっぱり、難しいんだ、なぁ……」

声が、震える。合わせて今になって足がガクガク震えだした。

「と、止まらない……身体が……」


 やがて全身の震えになり、痙攣みたいになった。顔が熱い。

乾いた筈の涙がまた溢れた。


「難しかったのに、よく頑張った♪」

「本にも載ってなかったから……凄く、心臓が、バクバクしてる」

お刺身を買いに行っていても、行かなくても、俺は嫌われない。





 別の話し合いをするために呼んだはずだったのに、下校時刻まで思いきり脱線して話をしてしまった。

 結局あれからずっと彼の話をしていた。

薄々感じては居たが、やっぱり彼は些細なことにすら物凄く考え込む性質のようだ。神経質というよりも思考自体がプロセスを構築しきっていないのだろう。

(文系だけ極端に成績が良いのも熟考の成果なのか……)

 俺とは正反対のタイプだ。

ちょっとした言葉の意味すら物凄く考えてから発言しているのだろうか。

「……いや」

あのとき保健室でシュウマイちゃんと寝ていたときは適当過ぎる軽口を叩いていたから必ずしもそうではないようだけれど。


 特に恋愛には明確なゴールがなく、本にも結果と過程しか載っていないものがほとんどだ。意味のわからない常識を押し付けた誰かのことが頭が真っ白になるくらいに怖かったのだろうというのは感じられる。


 先生らしく教えることが出来て良かったなと思った。

どれだけ失敗しても良いから、自分なりに恋愛をして欲しい。

 よく、恋愛漫画で勉強しろという暴論があるけれど、

彼女たちはすでに作家の頭や恋愛の設定の中でプロセスが出来上がった中で動いて居るだけで、勉強に役に立つわけじゃない。

主人公のように成功するにはその人自身にならないといけないのだ。

(俺としては、刺身が増えたって良かったしな……)

ともかく、一生懸命に相手のことを考えるのは良いことだ。


「怖がらずに、わからないことがあったら聞いて欲しい」と話してその日は解散した。



 仕事を片付けて外に出る頃には、既に外が真っ暗だった。

駐車場に向かっていると、グラウンド付近で誰かの気配を察知した。

「誰だ」

「お久しぶりですね、先生」

街灯に照らされながら、ダークグレーの髪の青年が立っていた。

制服風のブレザー服を着ていて、両耳には黒い輪っかのようなピアスが揺れている。真っ赤な目をしており、何より、手にバナナを握っていた。

「そのピアスは、校則違反だ」

彼は、にぃぃぃっと笑ってこちらを指差す。

「固いなあ。生徒じゃないんだから。あいたかったよぉー!」


「学校で騒ぎを起こしているのはお前か」

たぶんそうなのだろうと思いながらも聞いてみた。最近あちこちで、謎の男の幽霊が出る噂があったが、

コイツが、すっ、と姿を消すことから出来たものだろう。


「ねぇ、裕せーんせ。 いい加減に、本部に戻って来てエイリアン殺そうよ、昔みたいにさ」

 彼は答えない。代わりにやはり、にぃぃぃっと笑ってふらふらと左右に落ち着かずに揺れながらそんなことを言う。

昔……教師になる前、俺は──こいつとエイリアンを殺していた。

「今の俺にはやることがある。だから、当分そっちには戻らないよ」



だって、それがマスターとの……


「あんたはいつもそうだ!」


彼、は、激昂した。


「どちらか選ぶなんて、あんたに出来るわけがない! なんだって中途半端! エイリアンにも、人間にもなれやしない!」

「ミャン……俺は」

なにか言おうとした。けれど今の俺が、こいつになにを言えるというのだろうと思ったら言葉にならない。


「お前が、平然と、裏切り者の側につくといったときのボクの気持ちがわかるか?」


「ごめん……ミャン」


「本当にわかって居るか。人間は平気で、俺たちを見殺しにした。祖先が分岐したってだけで、同じ人間の血が流れているのに! 俺たちは同族じゃなかったんだ!」


 俺とマスターとミャンはエイリアンの血が流れており、仲良く施設で育った。

 人間の血も流れているのに、施設の大人は俺たちを化け物にしか見なかったし、ずっと腫れ物扱いをされていた。よく人間は同族殺しはいけないなんて言うけれど、俺たちは同族じゃなかった。

それなのに、エイリアンは殺さないと施設では給料が貰えなくて、そんな矛盾に苦しめられていた。

 「人間と打ち解けるなんて、その確執を甘く見過ぎている! あんた、それでエイリアンを探してるんだろ! 頭がおかしいんじゃないのか!?」

「…………ミャン」


確かにその通りだった。

 ミャンからすれば、俺は施設との問題やエイリアンの確執にけじめもつけられず、甘いことを言って、人間側につくなんて言って……。

本質は中途半端で何者にもなれていない裏切り者だ。

「悪いと思ってる……本当に。それは嘘じゃない」

「マスターのことなら俺たち、同族で見つければいい! わざわざ確執のある裏切り者につく必要があるか」

「ごめんな……」

 激昂しているミャンのもとに歩み寄ると、抱き締める。

「お前が受けてきた傷 あの施設で俺たちが受けてきた痛み……みんな覚えてる、今だって許すことが出来ない」


俺たちは同族じゃなかった。

エイリアンは殺してもいい、その中で『俺たちには同族を殺させて』いた。これを当たり前のようにやるのが人間の笑える仲間意識。

「あいつらは、やっぱり異常だ。今も俺はそう思ってる。だから、昔を軽んじたい訳じゃない……

でも、マスターを探すだけじゃ、昔と同じことになる」

「──成り済まし、ね」


 腹部に鋭い衝撃が走り、地面に投げ出される。ミャンが俺を蹴飛ばしたらしい。受け身を取ったときに手のひらを擦りむいたらしく、ひりひりする。

「俺は、人間を許す気はない。

偉そうに人間側につくなんて言う、裕も」


彼は、そう言うとスッと消えていった。



2021/11/4/13:18─22:58















 すっかり暗くなって『砂季の家に』帰宅、してみると玄関の時点で灯りがついておらず、真っ暗だった。

 おかしい……確かにあいつは帰っているはずなのに。

お母さんはなにかと忙しい方なので、よく家をあけるみたいだが。

 嫌な予感がして階段を上がり、二階の彼の部屋に行く。

「うわあああっ──ああああっ」

ドアの向こうから何やらうめくような声が聞こえてくる。

鞄を引摺りつつ、ノックをする。

「──先生?」

とだけ声が返った。

「どうした、大丈夫か」

ノブを回すと鍵はあいていたらしくドアが開いた。部屋も暗かったが、壁際のスイッチをつけた。

「せん……せ……」

暗闇の中で、砂季はガタガタ震えていたらしい。心なしか涙目だった。

「せん、せえ……」

よろめきながらこっちに向かってくるのを抱き止める。

「なにかあったのか?」

彼は、何も答えなかった。

震えと戦うように俺に抱き付いている。

「裕……」

「ただいま」

彼は、うわごとのように俺を呼ぶが、ぼんやりしたままだ。

「なあ、なにか、あったのか」

背中をさすりながら聞いてみる。

いつもの元気な様子はない。

「なにも」

「……そうか?」

「先生は、俺のこと、好き?」

「……あぁ」

彼は、再び黙ってしまった。

抱き付いている体温が、やけに熱い。

「まだ、熱があるんじゃないか」

「今日ちょっと、考えすぎただけだから、休めばなおる」

抱き付いている彼をそのまま抱えて、ベッドに誘導する。軽い。

「恋愛のことを考えて疲れた……」

布団にくるまりながら、彼は力なく笑う。

「母さんは、もうすぐ、帰ってくるとおもう……夕飯作ろうと思ったんだけど」

「俺が作る」


 失念していた。

俺みたいに、すぐに何でもノリで決めてしまうやつばかりじゃないと頭ではわかっていても、実際にこうして目にすることは初めてだった。

 教師でありながら、気軽に抱き抱えたり、連れ出したりしていたが……そう考えてみると彼は沢山考え込まねばならず、言動一つ一つがストレスになっていたのだろう。

 砂季の話とまた違うが、自閉症やサヴァン症候群などの人も道を一歩進むのにも相当に考え込むというのは聞いたことがある。誰かを好きになるのは想定にないアクシデントのようなものだ。

そんな事故に巻き込まれたら……


「ずっと、お前の気持ち……考えていると思ってた」

ベッドで眠っている彼の頭を撫でる。汗で張り付いた前髪さえ愛しく感じた。彼は目を細めて笑った。


「先生は、変わってるなぁ」


「俺がか?」


「うん……。そんな人、居なかった。いつも俺が馬鹿にされるのに……本当はすごい怖くて、ちょっとしたことがパニックになってた。また、パニックになって、また、言いふらされるって思って……」


「──そうか」

「なんか、あっさりしたもんがいい。適当に作っていいよ」

「わかった」


確か、魚がまだあったし、いや、また刺身を思い出すのは負担になるか?

 あれこれ思案しながら台所に向かう。

ベッドから投げ出されていたらしい、犬のぬいぐるみ……じゃなくてとおいが足下で、ぅわん!と鳴いた。




11月5日16:28

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