第41話 パウンドとポイズン⑤

航空無線

”こちら偵察用戦闘機。目的地まで残り10秒。地上から反射光あり。荷物を投下する”


 政府から臨時の指揮官を任命されたサイバー局長が、遭難者がいると思われる島へ投下された衛星テレビ電話の番号へ発信した。


 応答があった。


 俺はデスクで頭を抱えたまま薄目で、接続先を映し出した正面の大型モニターを見上げた。

 するとそこにはヒゲを生やし、やせ細った一人の男性が映し出されていた。


「もしもし!聞こえますか?!こちらは日本の警察です!もしもし!」

「はい!聞こえます!こちらは、ジパングエア555便の乗務員です!」


「うそっ!!」


 先生の声がサイバー局のフロア中に響いた。

 俺が残業していることに心配をして来ていたが、おそらくモニターに映し出された人物を見て、その面影や声でそれが誰なのか気が付いたのだろう。


「もしもし!87名全員無事ですか?無事ですか?」

「いえ、それが、、、」


 やはり1年は長すぎたか。手遅れだった方もいたんだろう、、、


「それが、1名増えて、88名全員無事です!!」


「「「わー!!!」」」


「これからすぐに救助へ向かいます!よくぞ耐えられました!」


 歓声、拍手、雄叫び、笑い声、そして、涙。

 モニターを見ていた誰もが喜んでいた。モニターの向こう側からも沸き立つ声が聞こえてきた。


 だが、俺だけは違った。

 なぜなら、なぜなら、


「うそ、、、あなた、、、雅則まさのり、なの?」


「恵梨香か?そこにいるのか?そうだ僕だ!会いたかったよ!」

「何?!恵梨香がおるのか?ワシもおるぞ!母さんも元気だぞ!」

「恵梨香?!ちょっと長いバカンスだったけど、これから帰るわね。うふふっ」


「お父さん!お母さん!待ってるわー!あ”ー!」


 先生が号泣している。そりゃそうだ。一年前に亡くなったと思っていた最愛の人が3人も生きていたんだから。


 俺が先生と出会って3年と数日。特にここ最近は親密に関わってきて、お互いに信頼関係を築けてきたと思っていた。

 でも、そんなものとは比較にならないくらい大切な家族が帰ってくる。

 先生と愛し合っていた夫が帰ってくる。


 先生の喜んでいる顔を見たくてがんばったのに、

 先生の笑った顔を見たくてがんばったのに、

 先生の悲しみを癒したくてがんばったのに。

 先生への思いはそう簡単に捨てられない。

 俺はこの現実に耐えられそうにない。


 先生がどこかへ電話をかけた。

「美佳?落ち着いてよく聞いてね。お父さんとお母さんが生きてたよ。雅則も、みんな生きてた。うん。さっき電話で話したの。そう、本当なの。あなたに一番に伝えたくて。帰ってくるのよみんな。杏太郎君が見つけてくれたの。くるみにも伝えて、パパが帰ってくるよって。う”ー」


 テレビにニュース速報が流れた。

【一年前の飛行機事故で死亡認定されていた87名全員の生存を確認。明日帰国へ】


 俺は無言のまま、原課長と荒木戸さんとの通信を切った。

 本当は仲間と成し遂げた偉業を称え合って喜びたいという気持ちはあったはずだが、それ以上に先生の心が離れていくような絶望的な感覚が俺を襲っている。

 血の気が引いて、もうこれ以上何も考えたくない。

 歓声で沸くフロアを背に、ふらつく足取りで誰にも何も言わずに家へ帰った。


 俺は帰宅すると、ただいまも言わずに自室へこもった。


 この毒薬ポイズンは俺には強すぎたかもしれない。思った以上に効いている。

 思考だけじゃない。気力や体力も奪っていく。

 大好きなはずのケーキでさえも食べたいと思わなくなってしまった。

 美佳の作ってくれたパウンドケーキで勇気をもらったはずなのに、美佳の言葉で立ち直れたはずなのに。

 大好きな先生を諦めなきゃいけないだなんて、これほどまでにつらいんだったら、俺は愛ってヤツを知らないままでいたかった。

 免疫も無いのにこんな毒薬ポイズン、勢いだけで飲むんじゃなかった。




 自室の床に横たわり、半開きになった窓のカーテンの隙間から夜空を眺め、その毒に侵され腐りゆく心に抗おうとはせず、深い闇の中に身を置いて、このまま朽ち果てるのを待とう。





 コン、コン、コン




 誰かが部屋をノックする音が聞こえる。


「ああ」


 俺が返事をすると扉が開き、目線をやると美佳が入ってきた。俺の顔色が悪い状態を察したのか、それに合わせて暗いトーンで話しかけてきた。


「お姉から電話もらったよ。キョンが見つけ出してくれたんだってね。ありがとう。テレビはその話でもちきりだよ。『ツブアンがー』とか、『スパットコンがー』とか、キョンが主役なのに、、、元気、ないね」


「ああ」


「辛いことでもあったの?」


「・・・」


「キョンはお姉の事が好きだったんだよね?知ってたよ」


 ?!


「今日、アタイのお店に来た時もそのことで悩んでたんだよね。

 でも、逃げずによく戦った!最後まで戦い抜いた!アタイだけは知ってるよキョンは強い人間だってことを」


 すぐ横まで来て励ましてくれた美佳。

 俺は美佳にしがみつくようにすがりついて、、、泣いた。

 世界で一人だけ俺の気持ちを理解してくれた美佳の胸で、、、泣いた。


「よくやった杏太郎!すごいよ杏太郎!強いよ杏太郎!

 とんでもなくすごいことを成し遂げたんだよ!胸張っていいんだよ!」


 美佳はとても優しく、頼もしく、あったかい。


 美佳は両親が帰ってくる喜びを、本当はみんなと分かち合いたいはずなのに、こんな俺に寄り添ってくれている。

 俺は、美佳が俺の事を好いていてくれている気持ちを利用して甘えているだけなのだろうか?

 ごめん、美佳。ありがとう、美佳。


 ひとしきり泣いた。


「どうだ?泣いたらスッキリしたか?高校生じゃあるまいし、失恋の一つや二つで落ち込むな。ってあれ?まだ高校生の年頃か。悪い。うふっ。

 この家に居づらかったら、お店の2階が生活できるようになっているからそこに住みなよ。両親がお店を開店したての頃はそこに住んでいたんだけれど、今は誰も使ってないからさ。お姉には私から言っておくから。ね」


 なんていい奴なんだよ。

 体内に回りきっていた毒素が、ゆっくりと中和されていくのがわかる。


 でも俺、

 やっぱり先生の事が、

 そう簡単には先生の事が、

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