第40話 寒天とサバイバル③

 遭難から60日目


 生活班にいた大工がめっぽうな腕っぷしで、次々と木を切り倒し、皆の居住スペースを作り上げ、そこそこ快適な生活を送ることができていた。

 しかし、ミラーを持った救難信号班は高台から辺りを見渡し、通りかかる船に向けて太陽光の反射で合図を送ろうとするも、肝心の船が通らない。

 先の見えない日々に誰もが不安を隠せずにいた。


 そんな時、毎朝行う全体ミーティングで畑瀬副機長が覚悟を決めた顔で発言した。

「僕はもう限界です!毎日同じことの繰り返しで、わずかな食糧で娯楽も無い。

 んー焼肉食べたい!酒を飲みたい!

 乗ってきたボートで脱出して別の島を目指します!付いてくる人はいますか?」


「よせ!危険だ!ここにいた方が安全で確実だ!」


「越野機長は黙っててください!僕はあなたほど人間出来ちゃいないんですよ!保存食の干物を作って5日後に出発します。これは決定事項です!」


 遭難者87名の内、畑瀬副機長を含む10名がこれに賛同した。

 それから出発までの5日間、いがみ合いが続くかと思われたが、不思議なことに分裂することは無かった。

 なぜなら、脱出組が助かれば残留組もその後に助けが来る可能性があったからだ。

 残る77名は応援の意味も込めて干物づくりを手伝った。


 遭難から65日目


「では、出発します。先日の無礼な発言は謝ります。もしまた会えたなら、もう一度越野機長の横で操縦させてください」


「いいんだ畑瀬副機長、いや、畑瀬船長。君はこの船のキャプテンだ。何があっても9名の命を守ってくれ。そして、また必ず会おう。必ず!」


 海岸で残留組の77名が見守る中、10名の脱出組は大工が作った人数分のオールを受け取り、力いっぱいボートをこぎ出した。


 救助される希望を胸に。


 島から200mほど離れただろうか、ボートは高波にさらわれて転覆してしまった。

 島から見守っていた人たちは急いで助けに行き、10名は救われた。


「どうしてなんだよー!救助は来ないし、島から出ることも許されない!俺たちはこのままこの島で野垂れ死んちまうのかよー!」


 命からがら助けられ、びしょ濡れの畑瀬副機長が悲痛な叫びをあげるが、島に押し寄せる高波によって、希望どころかその声さえもが、かき消されてしまった。


 遭難から100日目


 新婚旅行で搭乗していたカップルの女性が、食事がのどを通らずに吐き気もあると体調不良を申し出た。

 衛生班の医師と看護師は彼女を診察し、神妙な面持ちで診断を下した。


「こんな時だが言わせてもらうよ。おめでたです」


 この情報は瞬く間に島内の遭難者に知れ渡った。

 いつ助けが来るのか、どうやって脱出しようかと日々それだけを考えていた遭難者たちは、いかに彼女が安全に出産してもらえるかかに最優先事項が切り替わり、気持ちが一つにまとまった。


 パティシエをしていた越野勝治は、彼女が食事がのどを通らないと聞き、海藻を使って寒天を作り出した。

「おいしいです、これなら食べられるわ」


 勝治の妻、越野泉は彼女を勇気づけた。

「私も2人の娘を産んでるわ。何でも相談してちょうだい。だーかーらー、無理してでもたくさん食べて、元気な赤ちゃんを産んでね。みんなで応援するわ」


 遭難から200日目


 越野機長と義理の母親である泉が、ビーチで腰を下ろし、沈みゆく夕日を眺めながら話をしていた。


「お義母さん。僕は帰ったら恵梨香さんと結婚式を挙げます。彼女が法務省へ入ってすぐ、授かり婚となり、手順を踏まなかったことは今でも申し訳ないと思っています。結婚式をいつかいつかと思って8年も経ってしまいました。僕がこんな状況になって改めて彼女と娘の大切さがわかり、これからもずっと一緒に添い遂げたいと思っています。お義母さんとお義父さんのように」


「いいじゃない。パァーッとやりましょうよ。生還記念も兼ねてさ。うふふっ。

 あの子はねぇ、二つの夢を捨てているの。一度目は私たち両親を見て育ってきたから、将来はパティシエになるんだって言っていたんだけど、妹の美佳が『私の夢を取らないで!』って言ったもんだから、別の道へ行ったのよ。姉妹でやってもよかったのにね。今じゃ美佳は覚えてないだろうけど。うふふっ。

 それともう一つの夢はお嫁さんになって純白のウエディングドレスを着たいって言ってたわ。そっちはどうか実現させてあげてちょうだい。雅則さん」


 普段の生活をこなしていては聞くことのないような内容の話を聞けた越野機長は、改めて生きて脱出したいと強く願うのであった。


 遭難から330日目


「オギャー!オギャー!オギャー!」


 新婚カップルの子供が産まれた。

 女の子、母子ともに元気。

 ある者は涙し、ある者は笑い、またある者は未だに助けの来ない現状に子供の未来を思い悲観した。

 若いカップルは子供に『のぞみ』と名付けた。そこにいた誰もが、由来は聞かなくてもわかっていた。そしてその名前にあやかえるよう願った。


 遭難から350日目


 夜空にオーロラが現れた。

 南の島に現れたそれは、誰もが不思議に思ったが、自分の置かれた現状はそれ以上におかしなことだと、それを楽しむものはいなかった。

 もうこの地球にはこの島しか残っていないのではないか。飛行機ごと異世界へ移転したからこんな綺麗なオーロラが現れたし、助けがこないのではないか。多くの者が、そう思えるほどにまで疲弊し、衰弱していた。


 遭難から366日目


 通りかかる船は無いかと目を凝らし続ける救難信号班が、頭上に低空で飛ぶ飛行機を発見した。

 すかさず持っていたミラーの反射光で助けを求める合図を送ると、飛行機は何かを投げ捨てた。

 荷物に付けられたパラシュートが開くと、ゆっくりと島に落ちた。

 それを拾い上げ、包装を外すと中から衛星テレビ電話が出てきた。


 ピロピロピロピロ♪ ピロピロピロピロ♪


 取り出すと同時に鳴り出したテレビ電話を急いで越野機長へと運び手渡し、応答した。


 モニターには臨時指揮官をしていた警察庁サイバー局長の姿が映し出され、その後ろにはデスクに突っ伏して頭を抱える青年の姿も映っていた。


 希望を捨てずに救助を待ち続けていたパティシエの勝治が、産まれたばかりの赤ん坊のために離乳食として開発していた寒天がビーチで干され、風になびいていた。 

 その改良に改良を重ねた寒天は、その後だれも口にすることはなかった。




人物紹介

越野雅則まさのり 34歳

 ジパングエア機長 遭難時は統括班

 恵梨香の夫 婿養子

 責任感が強く安全第一主義


越野勝治かつじ 60歳

 パティシエ 遭難時は生活班

 恵梨香の父

 窮地でも笑顔を絶やさず愛妻家


越野いずみ 60歳

 パティシエ 遭難時は食料班

 恵梨香の母

 思いやりがありユーモラス


畑瀬礼二れいじ 28歳

 ジパングエア副機長 遭難時は救難信号班

 脱出組船長

 活発で無鉄砲


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