第35話 パウンドとポイズン②

 嘘だ、

 ダメだ、

 嫌だ!

 どうしてまさか、、、そんな!


 これ以上この案件に関わっちゃだめだ。

 もし助かっている人がいるのなら、みんなにとって最高の出来事だろうが、俺にとっては最悪の出来事になる。

 なぜなら、先生の旦那さんが帰ってくるということになる。

 そうなれば、俺の方を振り向いてくれそうになっている先生が、今後ずっと手の届かないところへ、、、行ってしまう。


 搭乗者が生きている可能性を無視して黙っておくか、飛行機を見つけ出して生きて帰ってきた旦那さんに先生を取られるか。

 俺はどちらの毒薬ポイズンを飲むか決めなければいけない。


 それも今すぐに。


 早まるな俺!

 まだ仮説の域だ。

 まだ生きていると決まったわけじゃない。

 そうだ。1年も遭難して生きていられるはずがない。

 搭乗していた87名の家族が死を受け入れたんだ。ほじくり返す必要はない。

 それにもう死を受け入れようとしているくるみにも悪影響だ。 


 でも、もし生きていたら?

 生きていたらきっと助けを求めている。

 連絡の取れない場所でサバイバルをしているのか?

 どこか狭い所に監禁されているのか?

 苦しんでいる人が87名もいる。家族に合いたがっている人が87名もいる。


 ん”あ”あ”あ”ーーー!!!


 俺はこのことを黙って一生罪悪感を背負って生きていくか、最愛の人である先生をあきらめるか、どっちの毒薬ポイズンを飲んだらいいんだ!


 ん”あ”あ”あ”ーーー!!!

 ダメだ。決められない。俺には無理だ。


 パソコンが人より出来るばっかりに、こんな仮説で悩むことになるなんてどうかしている。自分自身の未来が見えない。このことを考えはじめたら、数秒先の事でさえ考えたくなくなる。


「原課長。今日は気分が悪いから早退させてくれ」


 わずかに見えた可能性の光を自らの手で塞いだ。


 俺は選択することから逃げた。

 そうさ意気地なしさ。

 でもこうするしか、俺の心は守れない。

 あのまま思考を張り巡らせていたら、おれの精神が持たない。

 だから、俺は、逃げた。


 今後、パソコンに触ることはもう無いだろう。

 うん、それが一番いい。


 ・・・


 ・・・


 洋菓子店ラポーズー


 家に向かっていたつもりだったが、気が付いたら美佳の店の前に来ていた。

 俺の姿に気づいた美佳が店の中から声を掛けてきた。


「キョン!こんな昼間から仕事はどうした?」

「ああ、ちょっとな」

「まあ、入んなよ。好きなだけケーキ食べていいよ」


 何も知らない美佳が俺を優しく招き入れてくれた。


「なぁ美佳。俺にもケーキ作れるかな?」


 今後パソコンに触れることをしないと決めた俺は、別の道を模索し始めたのか、不意にこんなことを言ってしまった。


「こっちへ来なよ。教えてやるから」


 厨房へ通されると、美佳からパウンドケーキのつくり方を教えてもらった。


「いいか?パウンドケーキはとにかく混ぜることが大切なんだ。材料を少しづつ少しづつ足していきながら混ぜ続ける。

 休んでる暇なんてないぞ!

 混ぜ続けろ!

 じゃなきゃおいしいケーキが出来ないぞ!

 混ぜ続けろ!キョン!」


 出来上がった生地をオーブンで10数分焼いて出来上がったケーキに、溶かした砂糖をかけてアイシングした。

 糖衣をまとったパウンドケーキを食べた。


 うまい。


「あのさぁ美佳。ケーキ作りって簡単だな。俺、洋菓子職人になろうかな。他にも教えてくれるか?」


「・・・

 プロなめんな!

 無理するなよキョン。あんたは楽しんでない。キョンに向いているのはこれじゃないよ。

 キョンが今、何から逃げているのかは分からないけど、立ち向かっていけよ!

 アタイも昔さ、ケーキ作りが嫌になったことがあるんだ。両親から新作を任された時に何度やっても理想の形にならなくてさ、逃げだしたんだ。でも、逃げ出したんじゃ解決しなくて、結局厨房に戻ってまた何度も焼いた。そんなアタイを両親が支えてくれて、完成させることが出来た。

 今思えば、甘えられる人がいたから弱気になっていただけだったのかもしれない。今は全部一人でやらなくちゃいけないから、それが分かったんだ。


 逃げてちゃだめだって。


 アタイは、誰にも負けないスキルで自信満々なキョンが好きなんだよ。

 今のあんたは嫌いだよ。

 ほら、これはアタイが作ったパウンドケーキだ。これ食べて元気出せよ」


「うまい、

 うまい、うまい、

 う”ま”い”、う”ま”い”、う”ま”い”」


 同じ材料を使っているはずなのに自分の作ったケーキとの格の違いに、笑ってしまった。

 それと同時に自分の不甲斐なさと、美佳の優しさに感激して、泣けてくる。


 俺は何を迷っていたんだ。答えは決まっていたはず。

 その答えを出せない自分とはここで決別だ!


「美佳、ありがとう。このお礼は必ず返す」


 走って店を出て、走った。

 今は1分1秒がおしい。

 この先、どんな結末が待っているのかわからないが、もう俺は逃げない。


 そして戻ってきた。

 警察総合庁舎に。


 前にも一度、ここから逃げたことがあったっけ。

 あの時はチームメイトに迷惑をかけまいと逃げたが、今回は自分自身を失っていた。でも俺は取り戻した。

 立ち向かっていく勇気を。

 美佳が教えてくれた。


 わずかに見えた可能性の光。

 俺一人の力でこじ開けようなんて思っていない。

 まずはサバイブのメンバーに相談することから始めよう。


 俺は一人じゃない。

 サバイブの仲間がいる。

 美佳がいる。

 先生もくるみもいる。

 みんなと一緒に、みんなの為に、俺はやる!

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