第30話 スフレとフレア②

 俺はトイレで用を足して、リビングへ戻ると、先生が座るソファの横に座った。

 さっきまでとは違う席へ座った俺に、先生は一瞬驚いた様子でこちらを見たが、俺は無視した。何か問題でも?といった感じに。


 家の外は、飛行機や工事や車など普段の騒音は何一つ聞こえてこないのでとても静かだ。

 テーブルに置かれたラジオのスピーカーからは、宇宙天気予報が流れ、時折明るいテンポの曲も流されていた。


 俺は先生に素朴な疑問を投げかけた。

「先生は今の仕事、楽しい?」


「すっごく楽しいわよ。

 働き始めたきっかけは何だったかな?ってくらい覚えてないけど。おかしいでしょ?うふふっ。

 でもね、少年院で働き始めて思ったわ。悪さをして入ってくる子の原因は、ほとんどが恵まれていない環境のせいで、両親がいなかったり、悪い大人に騙されたりした子が大半なの。院で更生したように見えても、同じ環境に戻るとまた捕まって少年院に入っての繰り返し。そんな子たちを相手に私たち大人は、あきらめずに真面目に働いていたらきっといいこともあるよって教えてあげなきゃいけないの。だから、手を抜いてたりしたら絶対にバレるから、本気になれて、すごく楽しいわよ。

 毎回杏太郎君みたいに優秀な子だったら楽なんだけどね。うふふっ」


「そうなんだ」


 院の中にいたら聞けないだろう質問に、正直に答えてくれて嬉しかった。最後の一言も冗談でも嬉しかった。

 だから俺は好きなのかもしれない。先生の正面からぶつかってくれる姿に心を打たれたのかもしれない。

 俺の中にある先生への思いは、理性という蓋では塞ぎきることはできずに、大きく膨れ上がってピークを迎えたのがわかった。


 原課長から聞いた最悪のシナリオ通りに進んだとしても俺たちは生き続ける。

 だけど、世間の空気はそれとは違い、みんな大切な人とその時を待っていた。

 そして俺も、その世間の空気に便乗して先生に甘えた。


「なぁ先生、世界が終わるかもしれない前にわがまま言っていいか?」

「何?突然。縁起でもないこと言わないでよ」


 確かにそうだ。しかし、こうでも言わないときっと聞いてくれないから。そう言った。


「死ぬ前に一度だけキスをしたい。誰でもいいわけじゃない。先生としたいんだ」

「・・・っもうヤダ!杏太郎君。そんな冗談を言えるようになったんだ?うふふっ。面白いわよ」


「冗談なんかじゃない!俺は、俺は、先生の事が、」


 突然、目の前が暗くなった。それと同時に、頭があたたかいもので包まれた。

 すぐ横に座っていた先生が、俺の言葉を遮るようにして抱きしめてきたのだ。

 俺の頭を抱え、先生の胸の中で顔が埋もれるように。


「今はこれが精一杯。あなたにしてあげられる限界」


 先生は、俺が好きだと言おうとしたのを察知して止めたんだと思う。先生も俺と同じ気持ちであってほしい。それともただ、哀れんでくれただけなのか。


「杏太郎君はきっとお母さんに甘えたいだけなのよ。何でも悩みを言ってちょうだい。私が聞いてあげる。ねっ、いい子だから」


 俺は先生を母親として見ている?いや違う!女性として好きなんだ!でも、そうは言わせてくれない。抱きかかえたまま反論させるスキを与えてくれない。 

 きっと、先生はそれさえも知って、俺を諭している。


 俺も先生の背中に手を回して抱き合った。

 先生が俺の事を男として見てくれていないこの状況ではあったが、俺はこれに満足した。

 だって、先生の胸の中で初めて

 ぬくもりを感じながら、

 においをかぎながら、

 柔らかさに包まれながら、

 胸の鼓動を聞きくことができただけで、心が満たされたから。


 今は。


 ただ単に俺の事が男としての魅力が無いからだけなのか、仕事の立場上できないだけのか、まだ亡くなった旦那さんの事を思っているのか分からなかったが、俺は満足した。


 今は。






「ただいまー」


 美佳が帰ってきた。

 先生はとっさに立ち上がり、さっきまでの事がバレないようにと平然を装って美佳を迎えに玄関まで行った。


 夕食


 カセットコンロを使ってお湯を沸かして、4人でカップラーメンをすすった。

 そのあと美佳がフライパンでスフレを焼いてくれた。

 オーブンでしか作れないと思っていたそれは、美佳の手にかかればどんな道具でもおいしく出来上がる。


 食後の片付けも終わり、くつろいでいると、どうも外が騒がしい。4人で玄関へ出て空を見上げた。


「大きなわたがし~」


 くるみがとっさに口にした。確かに綿菓子の様だがあれは違う。


 オーロラだ。


 まさか日本で見ることになるとは思いもしなかった。太陽フレアの影響だろう。

 薄いカーテンのように揺らめきながら、ビル群の中で緑色に輝くそれはとても幻想的で綺麗であったが、強力な電磁波で文明を焼き切る可能性のあるそれは、俺からしたら恐怖でもあった。

 ただ、そんな恐怖の象徴に感激し、オーロラが発する光をまとった先生の横顔は、人々が見上げるスペクタクル天体ショーの比にならないくらい、美しかった。


 5日後


 大きな被害はなく、一連の騒動は過ぎ去った。

 政府の外出制限が解かれ、原課長から通常業務に戻る旨の連絡が来た。

 大げさにしすぎていたのだろうか。しかし、甚大な被害が出たとしても一人一人がお互いを思いやっていれば、きっと乗り越えられるものであったはずだ。

 電子機器だけが使えなくなるなんて、まるで人類が発展しすぎた事へ自然からの警鐘のようでもあった。

 パソコンしか取り柄のない自分の無力さを痛感し、他にもスキルを身につけなければいけないと思った。


 メレンゲを焼いたふわふわのスフレケーキは、熱々のまま食べるのが一番おいしい。時間が経つと生地がしぼんでしまうからだ。

 先生を好きになってしまった俺の気持ちはしぼむどころか、ピークを越えてもなお時間が経つにつれ、より熱く、より大きく膨れ上がっている。


 いつ破裂して暴走してしまわないかと怯える一方、

 先生と結ばれない世界だったら、

 いっそ太陽フレアによって滅んでくれても

 、、、よかったのに。

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