第18話 バウムクーヘンと風船④
くるみが公園の滑り台で無邪気に遊ぶ姿を、俺と荒木戸さんはベンチに座りながら見守っていた。
「そういえば荒木戸さんって、どうしてくるみを初めて見た時にせん、越野さんの子供だってわかったの?」
「津部さんは越野さんの所に住んでいるでしょ?それでよ。
一年前に起きた飛行機の件のパイロットは越野さんのご主人だって知ってたし、あれだけ大きく世間で取り上げてた事だから知ってたわ。それに今でも調べ続けているわ」
ん?終わった事故じゃないのか?まだ解決していないことでもあるのか? 後で俺も調べてみるか。
「ところで津部さん。3年前にやっちゃったあの事件の事を聞いていい?事件調書を読んでも、どうも腑に落ちないことがあってね」
「ど、どうかな、昔の事だからほとんど忘れちゃったよ。あはは。それよりさ、荒木戸さんはどうしてサイバー局に来たの?」
「私?原課長に誘われたの。スカウトってやつ。5課って、はじめは原課長一人で立ち上がったらしくて、人選や捜査方針は原課長に任せられてたらしいわ。
私が所属していた科捜研って、右から来た依頼に従って分析して、左に流すだけだから何の事件か全貌がさっぱり分からずにやってたの。だから、やりがいがなくてモヤモヤしてたのよね。
そこへちょうど原課長が来て『君の好きにやっていいよ』って言ってくれて、移動を決めたってわけ」
原課長ってそんな権限をもらっているのか。どうしても解決したい過去の事件でもあるのか?
「ただ、もう一つ理由があるんだけど、、、津部さんは角嶋巡査長の事どう思う?」
「どうって、まあ面白い奴だと思うけど」
「面白い?そお?私はあのストイックさがいいと思うのよね。パソコン以外興味ありませんみたいな?なのに時折見せるニヒルな笑顔。しびれるわ~。
直で彼の顔を見られないから、普段はダテメガネかけて薄いレンズを
あっ、これ絶対に内緒よ。誰にも言わないでね。大好きなバウムクーヘン食べてたら口元が緩んじゃったわ」
そうですかそうですか。職場恋愛大いに結構じゃないですか。っていうか巻き込まれないように注意しておこう。
「ところで、さっきから触らせてもらってる津部さんが作ったシミュレーションソフトの計算結果に、おかしな気流が発生しているのよね~。どういうことかしら?詳しく調べる必要があるわね。
パソコンありがとう。私はこれで失礼するわ。また職場で会いましょ。
くるみちゃーん!バイバーイ!」
「メイお姉ちゃ~ん。バキュ~ンバキュ~ン!」
俺からしたら荒木戸さんがおかしな気流のような存在だ。
色々なことに興味を持ち、好奇心の塊といったところか。自分が納得する全体像が見えるまで追い続ける研究者でありながら、職場の後輩に恋する乙女。
日が暮れる前に帰ろうと思い、くるみを呼ぶも、遊び足りないのか遊具から離れようとしない。
泣かせてはまずいと、優しさと強引さの瀬戸際ギリギリのところで、遊具からの『くるみ剥離攻防戦』が繰り広げられた。
精神をすり減らしながら、やっとの思いでその攻防戦を制すると、無事家路についた。
夕食
「くぅーちゃん風船見つかってよかったな!キョン!大手柄だ、許す!」
「キョン兄ちゃん、大手柄~」
罰で一日潰れたけど、面白いプログラムが出来たし、俺自身も楽しめたからなんだか充実した日だった。
「くるみがこんなに楽しそうな笑顔を見せたのはいつぶりかしら?杏太郎君、見ててくれて本当にありがとね」
俺はこの時、先生から初めて感謝されていることに気が付いた。
いままで色々な人に感謝をされた。でも、先生からのそれは今までと何か違う。なんだか体の芯に陽が差し込んだように暖かい。
この人からもっと感謝されたい。頼られたい。そう思った。
俺は今、気分がいい。遊具でダダをこねたのは内緒にしておいてあげよう。くるみ。
「ずっと、いい子にしてたぜ、くるみ」
風呂上がりにリビングを通ると、先生が一人で寂しげにお酒を飲んでいた。
声を掛けていいものか一瞬悩んだ時、先生から話しかけてくれた。
「杏太郎君。今日はありがとね。あの子、本当はわがまま言ってたでしょ?」
俺が言った、くるみはいい子にしていたという話は嘘ではない。一日の間にいい子にしていた割合が99%なら、わざわざ1%を説明する必要はない。いい子だ。
「そ、そんなことねーよ」
「そぉ?ならいいけど。私ね、あの子が風船に執着してたのが最初は分からなかったけど、持って帰ってきた風船に飛行機の絵が描かれてて納得しちゃった。
私の夫ね、パイロットだったのよ。しかも、あの時に操縦してた。
私の父さんと母さんは飛行機嫌いだったけど、夫の操縦なら安心だって、初めての海外旅行だったわ。
それがあんなことになってしまって、くるみにはまだはっきりと亡くなったことは言えてないの。それどころか、夫がパイロットで留守がちだったから『いいこにしてれば帰ってくるよ』って嘘ついてるの。
悪い親でしょ?本当のことを伝えるのが怖くて逃げてるのよ。私」
何でもお見通しで、弱点なんてないと思っていた先生が、初めて俺に弱みを見せた。俺はすかさず全力で先生を肯定した。
「そんなことねーよ!まだ8歳の子供なんだから『死』なんてものがはっきりと分かるはずない。俺だってまだよくわかってねーし。
説明したところで、どうしてどうしてで余計混乱するだけさ。それに、、、くるみは何となくわかってると思うぜ。いつもかっこいい先生の背中を見てる。
今日だって出かける前に仏壇の前に座って手を合わせて『行ってきます』って言ってたんだから。それ見てたら、俺より大人だって思った。先生は悪い親じゃないし、逃げてもいない。
俺が一番よくわかってる!」
「え?!あ、ありがとう。杏太郎君、、、」
涙?!
何かまずいこと言ったか?俺!いや、少し笑ってる?
抱きしめたい。こんな時にそんなこと考えるのは不純かもしれない。でも、でも、
喜びだか、悲しみだか分らん先生の感情を知りたい。
分かち合ってもらいたい。
俺、この人と。
「やだ、どうしちゃったのかしら私。涙なんか流して。あはは。
さー、もう寝ましょ。明日も早いから」
これが例外。ついていい嘘。厳密に言うと嘘ではない。絆があってこそ成り立つ事象。悲惨な出来事は時として人を成長させ、絆を強くする。
俺はバウムクーヘンの年輪を剥がして食べるのはどうかと思っていたが、まだ一度もやったことのない事柄への好奇心を無くしてしまった時点で、自分自身の可能性の扉を無意識に閉ざしてしまうのではないのかということを今、ふと思った。
今度やってみよう。
これにより、大人になるための皮をまた一枚、むくことが出来るかもしれないから。くるみのように。
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