回帰と常態化(3)
既に日課にもなりつつある「敵」の殲滅を終え――ふらふらと彼、いや彼ら――ミドオとアドリは家族が今住んでいる場所の近場にあるはずの公園まで来ていた。何度か、妻子と休日に行った覚えもある。本当に何回かあったかなかったか……と言った程度だが。それなりに大きい場所で噴水がキラキラと光る中、縁に座りこむ。エメラルドのマントに光が乱反射し、節操のない輝きがそこらじゅうを軽く照らし込んでいた。賑やかなビジュアルではある。無論、ごく普通のニンゲンからは認識できぬ光景ではあるのだが。
ミドオとアドリは自宅から持ってきた新聞をマントの裏から取り出し、広げる。隅の記事には櫻田探偵事務所は所長の櫻田裕、及び従業員の佐々木利男が攪拌現象で死亡、更にバイトのまとめ役をしていた皆神――自称皆神と言われているが住所及び本名不明の男性が、忽然と姿と痕跡を消し行方不明となっている事への言及があった。
ほぼ櫻田探偵事務所は壊滅と言って良いだろう。
他の友人や、事務所の受付などをしていた従業員。ついでに理加などになんと説明すれば良いのやら。それもまた、当面の悩みのひとつでもある。
今回トドメを刺した相手は田沢、と呼ばれたあのマザリを解説していた男だ。テレビメディアやネット上に対して情報操作を行っていた協力者――影法師の補佐をしていた人材。やはりニンゲンではなかったようだが、特筆して影法師ほどの超常的な、高次元に帰属する力を持っていたわけでもなく。雑多な尖兵の一人としてあっさりと倒せてしまったわけだ。
『下っ端と言っても、皆神さん――と、今でも言って良いのかはわからないけど。歴史の裏で殺し屋みたいな事を延々とやっている分、強い方では、あったんだろうな……』
『あまり当人は楽しそうでもなかったがな――』
深山弘二が、そして虎井シンがこんな姿になって。出鱈目とすら言えるニンゲンを超えた力を発揮し続けようとも――人々の心にも、物理的な影響にしても。マザリの爪跡は、しっかりと残ったままだ。
尋問した田沢との交戦の後、一般人を装って寄ってきた更なる敵のように。皆神もそうだったが、表向きは普通のニンゲンとして暮らしながらも襲いくる怪物が、この社会には数多に居るらしい。
果たして――それを殺し続けるのは善なのだろうか。襲い来る敵の誰もが皆神のようにあくまで「ニンゲン」として暮らしていたのなら……自分のやっていることは人殺しなのではないか? ミドオはその疑問に対する回答を出せない。敵の全体図すら未だつかめないのだ。全ての関係はまだ漠然としている。日常の仕事とは違い。ただ自らの生存と、守るべきモノのために戦い続ける事しか今の彼らにはできない――
『しかし、この年になってこんな世界に身を投じる……なんてな。俺なりに地に足ついた人生を……折り合いは、付けていたつもりなんだが』
愚痴にも似た独白だが。それを聞いてくれる相手が、いつも傍に居ることだけはある意味では救いだったかもしれない。シン――否、アドリはそれに対して平然とした感じの言葉をいつも返す。
『現実はわかりやすい現実味のある確証など与えてくれないものだ。どれほど異常に満ちていると拒否したところで、問題はそれが確かな脅威であり、手段として私たちは対抗し得る力を持っている。ならば、立ち上がることまで含めての日常だろう』
「……わかっているよ」
少なくとも自分たちにとっては――実際起こっている事である以上、それを否定することこそが逃避でしかないのだと。
そんなことはミドオにもわかりきったことだった。
意味も無く空に衝撃波を撃ってまた、エメラルド色に染めてみようか。そんな阿呆な冗談をミドオが言うと、アドリがやりたきゃやってみろと返す。
「いやいや、流石にやらんよ」
『なんだ、やらんのか』
本気の声色であっけらかんと言うものだから、ミドオは逆に呆れてアドリがなんなのかと問う。
『……お前、本当に「俺」なのか? 性格と言うか……感性が全く違う気がするんだが』
『……今さら我々の間で口にするまでもないかもしれんが、心とは一個人の内においても元々多面的な物だ。ニンゲンの多重人格とて、あれは別個の精神があると主観的、客観的に錯覚を起こすほど乖離した側面を見せているに過ぎない』
『そりゃ、ましてや虎井シンと深山弘二は別の人生を送ってきたわけだしな』
事実――物理学的に見れば、脳まで二つではあったのだ。
『今は「ミドオとアドリ」として覚醒状態だから……微妙に元の状態とも違うがな』
同じ筈のマインドが、輝きを見せ別の色を有しているかのように思わせる。ある時は青に。ある時は緑に。くるくる変わってみせる二つの折り重なる
大和古来において、緑は青とも呼ばれていた。それらは折り重なる曖昧な境界の概念だったのだ。やがて時代を経て緑と青は分化し――個別の色彩概念として確立した。これは日本に限った話ではなく、今でも緑と青を区別すらしない文化圏の民族は複数存在する。
さて。一方ミドオとは、アドリとは何を指し示す言葉か。それはかつて、さる哲学者が提唱した新しい色――ある時までは緑であり、一定の時点より以後は青とされる色の概念が「ミドオ」である。ある時までは青であり、一定の時点より以後は緑とされる色の概念が「アドリ」である。
だが、前提たる緑と青の境界その物が未だ無かったとしたら。緑と青の境界をどこに置くかではなく。その区別自体がほぼ無いに等しいような、そんな概念のままの文化は? そういった前述の文化圏の言語を指し示すためにも、哲学者の提唱した言葉は用いられた。
――つまりは総じてそれら全てが、深山弘二と虎井シンの覚醒してしまった姿、その資質の象徴なのだろう。緑も青も、錯綜したように入り混じるエメラルド。
「面倒な体質だなぁ」
他人事のようにミドオは呟いた。アドリもまた、それに乗っかって滔々と語る。
『影法師との違いを見る限り、これは恐らく我々独自の固有性なのだろう……な。彼とは似ても似つかぬ。読心能力は分かたれたマインドの欠落意識が起こす残滓に過ぎなかったと……分離処置の後遺症は、外見や物理的な健康状態でないにしろ確りと出ていたわけだ』
とんだ
「なんというか、イメージより随分お喋りだな。アドリ」
『ま、ようやく半身と出会えたからな。半生を支配してきた、あり得ないような重量の重石が取れた気分だ。そっちは?』
「……同感ではある、けど。どうにも他にも心配事は多くて」
『我が事でもある。同情せんでもないが――「シン」が未婚で助かったな?』
天涯孤独故の無味乾燥な人生を、今や余計な厄介事が無い利点として皮肉っぽくアピールするアドリに対し、ミドオは乾いた笑いと裏腹に。
「――笑えねえって」
とだけ返した。
別れが無さすぎた女と、別れが多すぎた男は、どちらが幸福なのだろうか。そう考えて、比較自体が不毛であることを即座に気付き――ミドオは、噴水の縁に寝転がることにした。
『マントが濡れるぞ』
『いいよ、布製でもあるまいし』
ふと、誰かが噴水まで来た。誰か来園者がここに座るつもりか――邪魔になっても気まずいか、とこっそり去ろうとして。
「……純、香」
自身の妻を、そこに見た。
どこかか細いような、待ちわびるような姿。数少ない家族揃った思い出のひとつに浸るかのように彼女は公園に来ていた。気分を切り替えるために、ふらふらと来てしまったわけだが――行動パターンは夫婦でそう変わらなかったようだ。
純香の方はミドオとアドリのことなど見えてはいない。いやむしろ、見えていた方が大変な状況ではあるが。
『――我々の力の一端は「認識」だ。応用で覚醒状態を常人に見えないようにしてあるが……解くか?』
『バカ言え……!』
腰抜かして倒れたらどうするんだ、とミドオはアドリに対し声を荒げた。このまま行こう、と跳ぼうとすると――妻だけでなく、奥から息子の顔が不意に見えた。思わずミドオとアドリは立ち止まる。
『茂――我が子、か』
「ずいぶん、大きくなったもんだ……」
記憶よりまた大きくなったかと思わせる、ミドオにとっての息子。ある意味では、今やアドリの子とも言えた。小学生の頃から短パン姿で似たようなシャツを好んで着ていることから、逆に成長が際立って見える。目元は力強く、体格も良くなってきている。そう言えばこの子は陸上に興味があったな、とミドオは思い返す。
おそらく茂にも高い確率で才があるとは言われていた。自身の子である茂にはまた「ミドオとアドリ」とは別種の魂の資質があるだろうと。
このまま距離を置くのが最上の手段なのかはわからない。ひょっとしたら、自分たちのように何らかの力を覚醒させた方が実は安定するのかもしれない。だが。
――それで。歳若い息子まで、自分たちのような、こんな境遇にまで追い込むのか? 戦いの片棒でも担がせるのか?
そう、ミドオは悩む。アドリも今や、その苦悩を分かつ者だ。良くも悪くも存在しなかったはずの身内という重さを今味わう彼女もまた、その新たな重みに軋む。
結局、己自身の選択で戦わざるを得ないのだろう。いつ終わるともしれない争いを――ただ妻と息子のため、という凡庸な願いのためにも。ミドオとアドリ自身が、生きていくためにも。
『もういい。隠れてこの状態を解いてから、人の姿で会いに行け。それで良いだろう、会いたい人が居るのなら――今くらい、会いに行っても罰は当たらん! 何を恐れているんだ!』
アドリが焦れたようにミドオへと叫ぶ。
半身が悩むのが見ていられないと言いたげに。
お前には、大切な人たちが居るんだろうと言わんばかりに。
私と違って――とまでは、もう考えてはいないようだけれども。
『いや、だが……』
家族を巻き込むような気がして――その引け目からただ中途半端に掌を差し出す格好で棒立ちになっていると、フラフラと。茂が噴水まで来て……手を、伸ばした。
二つの手が重なる。
直後、ミドオは手を引っ込めた。
「どうしたの?」
純香が、茂へ心配そうに呼び掛ける。急に息子があらぬ方向を見ては手を伸ばせば、そのような言葉にもなるだろう。
「……いや、なんか。あったような気がして。埃かな」
「大丈夫? 顔色悪いわよ、休む?」
「う、うぅん。平気」
大丈夫だから。言い聞かせるような言葉が、ミドオとアドリにも確かに聞こえた。
「…………」
『ミドオ?』
スタスタと、茂と純香の居る場所まで歩んでいき。ぽん、とミドオとアドリは茂の頭を軽く平手で叩くように撫でる。だが、茂には認識されていない。
そして、すぐ傍にいた妻をも少し抱き締めて――それでも、純香にも認識はされていない。深山弘二としての記憶の中の妻よりも……実際の純香の身体は、どこか軽かった。
少しして。
『――もう、良いのか?』
「……ああ。ああ……充分だ。行くぞ」
充分だと、ミドオの返答に偽り無いように、ミドオとアドリは――空へと跳んだ。
それは、迷いとは一切無縁の跳躍だった。
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